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鏡と窓

23/10/2022

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先週は火曜日に保護者の方々への授業参観日、そして水曜日には他校の先生方をお招きした学校公開がありました。さらに、金曜日と土曜日にもイベントがあったので一週間を通してたくさんの方々が来校されました。

保護車の方々には1時間目から7時間目までご自由に参観していただきました。他校の先生方には3時間目から放課後まで私たちの学校の教育活動をご覧いただきました。そこまで長い時間公開すると、当然のことながら、発表用の見せもので見た目に良い体裁を整えるのは不可能です。

水曜日のイベントを入学希望者や外に向けて学校の良さを発信するためのものととらえていましたが、真の目的はこの学校共同体の成員のすべてがIdentityや自分達が持つ強さや弱さを再発見するためのものだったと言えるでしょう。私たち自身が「鏡」を見てIdentityを認識しますが、来校者の反応や会話を通してのやりとり、そしていただいた感想などの「窓」を通して多くの物事を感じ取りました。Positiveな内容も棘のあるものも私たちにとっては貴重な収穫です。

質問です。
① 鏡に映る自分自身を観て見えるもの、そして目で見えなくても確実に感じるものは何でしょう。
② 窓を通して相手や対象物を見ながら、いつしか自分自身も見ていると感じることがあるでしょうか。


多くの方々に見ていただいたことで、私たちがめざしている質の高い学習活動や到達目標に向かうためには、それらを組み立てる基本を確実にする必要性があることに気づかせてくれたような気がします。

“Get back to basics. Understanding the basics, as boring as it sounds, is one of the key elements of effective thinking. A lot of people assume the basics are not important and never really take the time to learn them, preferring the sexiness of complexity. Understanding a simple idea deeply, however, creates more lasting knowledge and builds a solid foundation for complex ideas later.” Farnam Street (2022)

「基本に立ち返る。基本を理解することは、退屈に聞こえるかもしれませんが、効果的な思考をするための重要な要素の1つです。多くの人は、基本的なことは重要でないと思い込み、時間をかけて学ぶことはせず、複雑で高度なことの魅力に惑わされています。しかし、単純なアイデアを深く理解することは、より永続的な知識を生み出し、のちに複雑なアイデアを生み出す確固たる土台となるのです。」

教育や学校の話題になると一般的に用いられる名詞や動詞を使わずに、私たちが大切にするべき「基本」を私たちの言葉で表現し思考を深めていきたいと思います。
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Generation Z

16/10/2022

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秋の穏やかな夕日がぽっかりと校庭を包んでいます。秋と冬のシーズンの境目でスポーツチームの練習がないので、あちらこちらで自然発生的にグループができていて、子どもたちが嬉々として遊んでいます。既に下校時刻は過ぎていました。

中高生の時に放課後にみんなと校庭で遊んだことがあっただろうか。

6時になったので玄関まで降りて行くと、子どもたちがそれぞれ放課後にしていたことを終えて帰宅していきます。しばらくすると8年生のグループが固まって現れました。その真中にいる女の子は足を怪我したようです。

駅まで19分の道のりをどうやって行けば良いか話し合いが始まりました。タクシー会社に電話をしたり、別の子が親に電話をして迎えに来てくれるかどうかたずねたり。結局みんなで交代に背負って駅まで行くことになり、学校を出て行きました。

中高生の時に誰かを親身になって助けたことがあっただろうか。

質問です。
① 今の中高生が明らかに同年齢の頃の自分と比較して異なっていると感じることがあるでしょうか。子どもたちは、どのように異なるのでしょうか。その理由は何でしょうか。
② 中高生の頃や20代の初めの自分自身の思考や行動、価値観に大きく影響を与えたものは何だったでしょうか。


“the world of the Zoomer, of Generation Z, has been shaped by a succession of major crises. They were four when the Global Financial Crash erupted, six when the Eurozone sovereign debt crisis followed, ten when the refugee crisis began, twelve when the votes for Brexit and Trump shocked the world, sixteen when Covid-19 and the lockdowns descended, and eighteen when the war in Ukraine and a global energy crisis followed. For them, so far, the world has been volatile, polarised, unpredictable, and chaotic.” Matt Goodwin (2022)

この筆者は英国に住んでいるのでEuropaからの視点で描かれていますが、確かにZ世代にとってはこれまでの年月は大きな危機の連続でした。そしてZ世代の意識には、世界は変化しやすく、二極化していて、予想がつきにくく、混沌としたものとして受け止められているはずです。そしてこの世界で生きるために、過去の世代の負の遺産を背負わなければならないのもZ世代です。

教室の机の上の子どもたちのファイルに、戻ってきたテストが挟まっていました。許可をもらって広げてみると、単元末テストでした。そこにあるすべての問題の解答は名詞、つまり単語だけですむものでした。このような知識の断片のみを暗記させられるような学習をしていては、この子どもたちが直面するであろう問題を解決するような能力や考える習慣を育むには道のりは遠いと感じました。
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Learning focused

5/10/2022

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学校に講演に来る方は、どのような立場であれ、一般化できるほどに共通の誤りや認識不足があることに気がつきます。多くの方は目の前の聴衆、つまり中学生や高校生、がこれから話すことを知らないだろうという先入観、あるいは主題の内容を時間の範囲内で「教え込まなければならない」という思い込みを持っていることです。さらに悪いことに、子どもたちの主題への共感を大前提としていることも、この手の講演会の体験を悪いものにしている原因でしょう。

一方、教科の学習活動をのぞくと、教師主導の「講義」が坦々と続いている光景が見られます。前述の先入観、思い込みの上に「講義」が組み立てられ、子どもたちの興味や関心がどのくらいあるか、前時の内容の習熟度はどの程度あるか、進行中の内容をどの程度理解しているか、つまずきはないかという教師として基本的な確認事項を忘れています。

質問です。
① このような例に共通している講師や教師の問題点は何でしょうか。聴衆・学習者の一人として似たような体験があるでしょうか。
② 講演や学習活動を受ける立場の人々や子どもたちの感情、関心、既習事項、体験などを提供する側が一次的な構成要素としてとらえると、その内容や方法はどのように変わるでしょうか。


ある国際NPOの方による中高生に気候変動のワークショップです。気候変動かるたから始まり、次々にタスクをこなしますが、中高生のやる気のスイッチはOffになりました。

“The shift that teachers, leaders and students need to make is obvious – and hugely significant:  We need to switch our thinking, our emphasis, our language, our mindset away from tasks and towards learning.” Tom Sherrington (2019)

「教師、指導者、そして生徒がすべきことは明白であり、非常に重要なことです。  私たちは、思考、重要としていること、言葉、考え方を、課題から学習へと切り替える必要があるのです。」

中高生にとってそれらのHands-onはMinds-onにはなりませんでした。かるたは中高生にとってあまりにも幼稚で、必然性も意味も感じていないからです。

教科学習の場合はどうでしょうか。子どもたちは、学習目標が何であるかを明確に説明できるでしょうか。そして教師は学習目標に対する一人ひとりの学習の進行状況を確認しているでしょうか。

今日のクラスで問題をやり終えたのは誰か、誰ができなかったか。できなかった子どもからSOSが届いたか。重要な用語、解き方、意味などを理解しているかどうかを見極める証拠や材料は何か。それらの具体物をもとに分析するとクラス全体の理解分布はどうか。
​
次時のクラスでは、その分析をもとに、何をどう扱うべきか。特に目をかけるべき子どもは誰か。誰が発展的な内容をするべきか。これらはすべて形成的評価の手順であり、教師のMindsetです。
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The Sciences of Teaching

25/9/2022

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John Hattieは、子どもたちに期待する学習成果を導き出すために良い影響・悪い影響のある要因が何であるかを、世界各地から集めた膨大なデータを分析して138種にまとめました。

質問です。
① ご自身の学習者としての体験から、あるいは親や教師としての体験から重要な要素・要因と感じるものは何でしょうか。
② 果たして、教育の現場で子どもたちの学習成果を上げるためにICTの影響力はどのぐらいあるでしょうか。視点を換えて、仕事の質や成果を高めるためにICTが担っている範囲はどのくらいでしょうか。

Hattieの分析で明らかになったことは、ICTが学習の質の向上に与える影響力は138中93番目でした。数値化すると0.47で0.4が意味・価値のあるプラスの影響力ととらえる境界線なので、結果としてICTは効果があると分類されたグループに入るものの、大きなものではないという結果になりました。

ある学校の作品展を拝見する機会を得ました。94回目のこの展覧会に並んだ作品の研究内容、方法、発表手段は完全に手作業が基本となっており、今をときめく話題のICTの片鱗を見ることはありません。けれども、一つひとつの作品の質は高く、奥が深く、思考過程や努力の道筋が伝わってくるものでした。
​
STEAMという看板を掲げ、最新の機材を導入した教室環境を整え、子どもたちを呼び込むのもひとつの方法でしょう。その一方で、人間の感性、手先を使うこと、行動力、本質的な思考方法、手順に沿って個々の作業を積み上げることなどのような人間本来の資質に重点をおいて、子どもたちに投げかけることも別の方法でしょう。

この作品展を観て直感的に感じたことは、Carol TomlinsonがThe Sciences of Teaching (2020) の中で挙げている4つの必須条件のうちの2つと一致することです。ひとつ目はGrowth Mindset.  
 
”Teach students the skills, attitudes, and habit of mind that help someone develop a growth mindset. Dweck cautions that a growth mindset not only requires a person to work hard, it also requires them to work wisely.”

二つ目はSocial-Emotional Skills.

”Help students connect their emotions to what they’re studying. One way to do this is by encouraging students to use the arts in learning.”
​

学ぶことの意味と本質を見失わずに実践することが、学ぶことと教えることの「科学」に合致することを認識しました。
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Resilience

18/9/2022

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1年間留学に行っていた生徒と話す機会がありました。その中で、現地の高校生がクラスでの発表の際に、気持ちが不安定になるからという理由で拒むことが多くあったということを一種の驚きとして話してくれました。

その話を聞いて、Australiaの教室でもそのような事例がよくあったことを思い出しました。そのほかにも試験などでも同じ理由で受けられない子どももいました。 

質問です。
① 子どもだけでなく大人も含めて、どちらかと言うと苦手なこと、嫌なことにも向かっていく力や動機を生むものは何でしょう。住んでいる地域の環境や学校の文化はどのような影響を持つでしょうか。
② もしクラスの子どもが、発表ができない、試験を受けることはできないと訴えてきたら、教師としてどのような対応をするでしょうか。学習活動や評価を計画する際には常にそのような可能性があることを予測する必要性があるでしょうか。

日本で生活してみると1年のうちで本当に気持ちの良い季節は意外に短いことに気が付きます。そして、学校に通う子どもたちは雨が降れば靴下を濡らさずには学校に着かないこと、重い荷物を背負って通わなければならないこと、通学に長い時間がかかること、拾い上げると負の要因が何と多いことか。

けれどもその生活環境が、たとえばAustraliaのような恵まれた環境で生活する子どもたちと比較して、子どもたちの精神や身体を逞しくしているのだろうというぼんやりとした仮説を持つようになりました。先週のPodcastで自分の将来の計画を話してくれた12年生の話の中にも、つらいことを跳ね返す強さと逞しさを感じました。自分ではどうすることもできない環境や状況の厳しさに直面すること、それがたいへんなことにも負けない勇気や根気 Grit、回復力 Resilience を生み出すひとつの重要な要素のような気がします。
 
“We all face limits - not just in talent, but in opportunity. But more often than we think, our limits are self-imposed. We try, fail, and conclude we’ve bumped our heads against the ceiling of possibility. Or maybe after taking just a few steps we change direction. In either case, we never venture as far as we might have.” Angela Duckworth (2017) Grit

私たちは誰でも、才能だけでなく、機会においても限界に直面します。しかし、私たちが思っている以上に、その限界は自分で作り出していることが多いのです。挑戦し、失敗し、可能性の天井に頭をぶつけたと結論づける。あるいは、ほんの数歩踏み出しただけで方向転換してしまう。そうして結局のところ、私たちは遠くへ行くことはできないのです。
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Maslow's Hierarchy

4/9/2022

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夏休みの限られた期間に改装工事を予定通りに完成させることは容易なことではないと、海外の学校に勤めている時には常に感じていました。建設会社から完成予定日が提示されても、誰も信じないという残念な現象を生みます。

ところが、日本での体験はその正反対です。昨年に続き、今年の工事も予定通りに終了しました。

質問です。
① 新しい生活や学習環境が目の前にあらわれた時、人はどのようなことを考えるのでしょうか。どのような絵を描くのでしょうか。
② 新しい環境から、新しいものの見方のヒントや新しい行動のきっかけが生まれ出てくることを期待している人と、そうでない人がいるようです。その違いが出てくるのはなぜでしょうか。

改修工事が終わって出現した環境を喜ぶ人と、喜べない人がいます。「無いもの」に目が向いてしまい「新しい空間や可能性」には気がつかないという現象です。

そんな時にMaslow’s Hierarchyという理論を思い出しました。マズローの欲求階層説というもので、人の欲求は5段階に分類されるというものです。この学説の興味深いところは、人の動機が「欠乏」から来るものと「成長」から来るものの二つに分けられることです。

5段階の4段階は生理的欲求、安全欲求、親和欲求、承認欲求の欠乏動機によって行動を起こしますが、それらが満たされると一番上の自己実現の欲求が生まれてくるというものです。

Esteem 承認には自分自身が自分を認めることと他人から認められることがありますが、他人から認められていないという感情が、新しい環境を肯定的に見ることができず、自分自身がさらに成長する機会と見ることができないのでしょう。

今回の改修工事の場合、本人が必要と考えている教材等の収容量について誰からもたずねられなかったことが、他人から認められていないという感情を生んだのかもしれません。限られた面積の中で優先順位の高いものに十分なスペースを与える方針を貫くと、私物の保管スペースは最小限にならざるを得ないでしょう。
​
物理的な制限があるとそれに対応しなければならないのは当然のことで、その過程で何が必要で何が必要で無いかを考える機会が出てきます。物にあふれている生活に慣れきっていると際限のない物的欲求が深まっていきます。その習慣に一区切りをつけることは大切なことでしょう。改修工事は来年の夏休みも実施されます。
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Are We Born To Work?

13/8/2022

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夏休みを子どもたちは楽しんでいるでしょうか。大人たちはスイッチを切って休んでいるでしょうか。

東京から大阪へ向かう機内に小学校低学年の女の子二人が座りました。関西に住むおばあちゃんのところに行くそうです。これから始まるいろいろな楽しいことへの期待が最高点に達している二人の様子を見ながら、この子たちのお母さんやお父さんが同行しない理由について想像していました。もし四人で旅行ができたら二倍も三倍も楽しいだろうに。
 
質問です。
① 日々の生活の中で、私たちは様々なしがらみをひととき断ち切って本来の自分に戻る時間を確保する努力をしているしょうか。もしできないとしたら、その理由は何でしょうか。
② 日々の生活の中で、私たちが最も幸せに感じる時間はどんな時でしょうか。最近そのような瞬間があったのはいつ、どんな時だったでしょうか。

久しぶりにシャツにアイロンをかけながらpodcastを聴きました。私たちは仕事をするために生まれたのか、生きるために(生活するために)生まれたのかというテーマでした。Time tracking(自分が1日の中で従事した物事をたどること)をして幸せに感じた時はいつだったか、逆に嫌な気持ちがした時はいつだったかを分析してご覧なさいという話題で対話が進みました。

この調査をした研究者の分析によると、人々が一番幸せに感じた時間は家族も含めて人とつながる時間で、一方否定的に感じた場面は通勤・通学の時や仕事に関するメールをチェックする時などでした。

冷静に考えてみれば、この当たり前の研究結果を取り出すまでもなく、私たちは何が自分の心身の状態を安定させ、幸福感や充足感を導くかを知っています。問題なのは、それを拒む現実をどのように改善するか、どのように幸福要素を生活の中に散りばめるかにあると思います。

自分の判断や選択が及ばない事情も多くあるでしょう。例えば家から勤務先までの通勤方法やそこにかかる時間は、換えたくても換えられない事情がたくさんあります。けれどもその時間にSNSにいくのではなく(調査の結果ではnegative要因が多くありました)、別の生産的なことをして過ごすなどの賢い選択肢は無限にあります。

私はメールをチェックする時間を決めて、メールに振り回される現状を回避しています。肝心なことは何を優先するかということだと思います。

ご参考までに前述のpodcastのリンクはこちらです。残りの夏休みをごゆっくりとお過ごしください。

​
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The Power of Regret

17/7/2022

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学期最後の7年生のクラスで、春学期を振り返っていろいろ質問をしてみました。

一番おいしかったお弁当は。一番楽しかったクラスは。一番たいへんだった宿題は。問いかけごとにあちらこちらでにぎやかな声が上がりました。誰もが中学生としての通過儀礼を体験したようでした。
 
質問です。
① もし時計の針を戻すことができたら、どこの時点に戻りたいですか。その理由は何でしょうか。
② 自分のこれまでの人生を振り返って、何かしらの後悔の念がわいてくるのは過去にしてしまったことについてでしょうか。それともしなかったことの後悔でしょうか。


最後にどの時点に戻りたいかとたずねてみると、中等部の入学式の日に戻りたいと言う7年生がたくさんいました。その理由は、春学期にしたテストをもう一度やりなおすことができて、良い点が取れるからというものでした。

この回答を聞いて少し複雑な気持ちになりました。私たちの学校はそれほどまでに7年生にたくさんのテストをして、その結果を常に彼らの目の前にぶら下げるようなことをしているのだろうかと。さらに、中学生としての自分の成功や達成度がテストの点数や成績だけで決まると考えているのだろうかと。

学期末の振り返りの中で、7年生が持った後悔はするべきことをしなかった、あるいは不十分だったという反省でした。

“Action and inaction alike is to use the regret to improve the future. If we look backward with a specific intent of moving forward we can convert our regrets into fuel for progress.” Dan Pink (2022) The Power of Regret

行動したことも行動しなかったことも、同様に、後悔を未来への改善に役立てることです。前進するという具体的な意図を持って後ろを振り返れば、後悔を前進のためのエネルギーに転換することができるのです。

Pink氏のチームの調査によると、人は20歳を過ぎる頃から自分がしたことについてよりも、過去にしなかったことについて後悔することの方が多くなるということがわかっています。

夏休みの終わりに、あれもこれもしなかった、できなかったと後悔しないように、ひとつずつ実行していこうと思います。
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Assessment must belong to them

26/6/2022

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教室に8年生が入ってきました。それぞれが座ると、教科書やノートを出し始めました。彼らの表情を見れば分かることですが、これらの動作でもこの日に何があるのかわかります。テストです。
​
きょういくつテストがあるのと軽くたずねると、3つありますとか4つですという声が聞こえてきました。私たちの学校では、このような事態が起きないように「アセスメントカレンダー」を作って、教員がそこに予定しているアセスメントを記入するという仕組みを昨年から導入しているのにこの有様です。

この時間に8年生と一緒に考えようと思っていた課題をその瞬間にDeleteして、子どもたちに2つの選択肢をあげました。ひとつは教室でテスト勉強をする。二つ目は校庭に出て遊ぶ。豈図らんや、ほとんど全員が歓声をあげて校庭に出て、梅雨の合間の強い日差しをものともせず、どろけいで走り回りました。


質問です。
① 教師をテストなどの評価に駆り立てるものは何でしょうか。なぜ学期の終わりにそのような評価が集中するのでしょうか。たとえば、単元の3分の4を終えた時点で評価をしたとすると、その結果から何を読み取ることができるでしょうか。
② 総括的評価の必要性はありますが、形成的評価を効果的に実施することで総括的評価をなくすことは可能でしょうか。


そんなことを悶々と考えていた時、偶然この報告書に出会いました。
“Assessment must belong to them. If students immediately see you as someone who will evaluate and identify their shortcomings, who will determine their success or failure, you have already lost them. They will have checked out because they don’t own their success, you do. However, if you recognise their assets and deliberately shift to regular and effective use of student conferencing, peer and self assessment and descriptive feedback as your primary assessment strategies, they will own their next steps. You guide, they drive.” Michael Fullan et al. (2021) Engage Secondary Students Because the Future Depends on it

評価は彼らのものでなければなりません。もし生徒があなたを、自分の欠点を評価し、特定し、成功か失敗かを決定する人物とすぐに見なすなら、あなたはすでに生徒を失っているのです。なぜなら、彼らの成功は彼らのものでなく、あなたのものだからです。しかし、もしあなたが彼らの才能を認め、主な評価方法として、定期的かつ効果的な生徒との面談、相互評価、自己評価、記述式フィードバックに意図的に移行すれば、彼らは自分の力で次のステップに進むことができるのです。あなたが導き、彼らが動かすのです。
 
評価が子どもたちのものになるように努力していきましょう。
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手品の鉄則

19/6/2022

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​手品をかなり真剣に練習している10年生と話していると、手品には三つの鉄則があると教えてくれました。① これから何が始まるか言わない。② ねたを明かさない。③ 繰り返さない。なのだそうです。
 
これを聞いて気がついたことは、まさにあまり良くない学習活動の典型的な例ではないかということです。習慣として確実に欠けている要素は①と③で、これから何を学習して何ができるようになるのか伝えられていないことがよくあります。そして学習内容を先に進めることに集中するあまり、十分な振り返りや解説を繰り返す機会は少ないでしょう。②については多くの先生方が使命感を持って説明しているのが現実だろうと思いますが、「ねた」を「証拠」evidence, proof、あるいは「材料」materialととらえると、ある事象や公式がなぜそうなるのかという証拠をつきとめたり、深く考察する材料を提供する場面はもしかすると少ないかも知れません。


質問です。
① 上記の手品の3つのきまりが、学校の中で一番明確にあらわれてくるのは評価の場面でしょう。もしテストの数日前に、何が始まるか(何が出るか)を伝え、ねた(解答を導く材料)を与え、もし会心の出来でなければやり直すことができるという機会を提供したら、子どもたちの中にどのような変化を生むでしょうか。そしてテストの問題はどのように変わるでしょうか。
② 学習のまとめとしての総括的評価がそのような手順と内容に変わると、学習活動自体はどのように変化するでしょうか。


まずテストで測ろうとする子どもの知識と技能が、単純な暗記で答えられるような問題ではなくなるはずです。学習したことをテストで再生産させるような問題ではなくなるはずです。

そうするとその題材・単元の学習内容と方法が完全に異なってきます。答え探しや反復練習のような作業から、物事の意味、法則、因果関係、応用を探る活動、読解だけでなく分析や表現への発展的な創作活動など可能性は無限に広がります。
 
To put it in an odd way, too many teachers focus on the teaching and not the learning. They spend most of their time thinking, first, about what they will do, what materials they will use, and what they will ask students to do rather than first considering what the learner will need in order to accomplish the learning goals. Grant Wiggins (2005) Understanding by Design

変な言い方をすれば、多くの教師は生徒が学ぶことではなく、教えることに重点を置いているのです。学習目標を達成するために学習者が何を必要とするかを考えるよりも、まず、自分が何をするか、どんな教材を使うか、生徒に何をさせるかを考えることにほとんどの時間を費やしているのです。

手品師と教師に共通している技は、注目を集めるということでしょうか。
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    萩原   伸郎

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