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教科書でかわる?

25/4/2019

 
​『デジタル教科書、変わる授業』のような新聞記事の見出しがありました。本当でしょうか。

「教科書を教えるのではなく、教科書で教える」とは教育実習の際に言われたことがあります。「を」と「で」の助詞の入れ替えで意味が異なるような錯覚を与えますが、実際のところどちらも教科書を学習の中心においてそこに記載されている事実や知識を理解させる教師主導の一斉指導であることに気がつきます。平板で一元的な教科書を必須の媒体として、構造的で発展性のある深い学習活動や個々の能力や興味関心に応じた多様な学習活動が可能になるのでしょうか。

教師にとって教科書はどのような意味があるのでしょう。自分の教材観を反映させたり核となる内容を重点的に扱うなどの自由度や柔軟性はあるでしょうか。教科書と一対になっている指導書の指示を批判的に読み、目の前の子どもたちに一番適切な方法と内容と順序を探し出す習慣はあるのでしょうか。

質問です。
  1. 教科書には質問と解答、考え方、留意点、補足資料などが丁寧に提示されています。そのような内容構成は子どもたちにとってどのような利点や機会があるでしょう。その逆に、どのような欠点や危険性があるでしょうか。
  2. 学習活動の目的と子どもたちに獲得してほしい能力を念頭においた場合、デジタル教科書の優位性は何でしょうか。

自分が使った小学校から大学までの教科書やノートが入った段ボール箱を開ける機会がありました。当時の小学校低学年の教科書を手にとると、たとえば社会科は意図的に描かれた絵がページいっぱいに広がっています。様々な事象の典型的な情景を表現していて、決して引きつけられるようなワクワクするようなものではありませんが、説明や指示がないのでそれらの絵から自由に読み取ることができます。おおらかな時代だったことがうかがわれます。

一方、今の子どもたちが使っている教科書は過保護なほど丁寧に編集されているので、順に読み進んでいけば考えたり疑問を持ったりすることなく教科書にある内容を頭に入れることは可能だと思います。デジタル教科書はその点が一層「便利」になって「わかりやすく」なっているのでしょう。ますます学習は受け身になって、主体的で深い学習はさらに遠のくでしょう。授業がかわる(改善される)と予想することは極めて困難なことに思われます。

デジタル教科書の出現で、各教科で競うように使っていたドリルや資料集などがデジタル化されて付いてくるので、その点だけを見れば授業が「かわる」と言えるでしょう。

正規分布

10/4/2019

 
創作活動が中心となる教科は楽しいと感じています。8年生のPhotography and PhotoshopとGame Design and Developmentでは学習内容や評価の方法を全面的に書き換えて新しいものを提供しています。子どもたちも私も「楽しい」「おもしろい」と感じられる要素や、夢中になれる要素を盛り込むことが大切だと考えています。教え込むのではなく、どこで何を探せば良いのかヒントを与えるだけですが、子どもたちはあっという間に方法を探し当ててすばらしいものを産みだしてきます。
​

評価についても、Swift Playgroundsにある既成のプログラムに手を加えて個別化したゲームやPhotoshopで編集した画像について創造力、問題解決能力、習得した技能を応用する力、難しい場面に直面した際の粘り強さの観点で自己評価をすること、過程を振り返って分析すること、さらに教室の中から2、3名を選んで自分の作品を評価をしてもらうことも仕組みの中に入れました。結果だけでなく過程も大切であることを明確にしています。

一般的に評価はテストや提出物のような形態で実施され、それ自体は学習活動ではない場合が多いようですが、そのような人工的な慣習を変えたいと思います。評価の課題にいつ取り組むかも各自が決める、友だちや教師からの評点が自分の期待値ではない場合には、再度挑戦することができる、などの仕組みも取り入れました。

​質問です。
  1. 評価の結果は常に点数化する必要があるでしょうか。そしてその点数や五段階評点は正規分布の曲線を描く必要があるでしょうか。
  2. 再挑戦をした結果、評点が初めの点よりも良かった場合、どちらの点数を記録するべきでしょうか。
基準をもとにして「比較」する評価方法だったら、そして対象とする生徒数が多ければ正規分布が現れるかもしれません。しかし、それぞれ能力が異なる子どもたちの学習の成果を、基準をもとにして比較する必要はあるかどうか。とりわけ創作活動の場合、何が良い作品の基準となるか明確ではありません。細かい点数化に必然性があるとは思えません。

そして、ある子どもが再挑戦をして前回よりも良い結果が出たのなら、それを記録に残すべきでしょう。それでは全員に対して、とりわけ初めに同程度の結果を出した子どもたちに対して、平等ではないという意見があります。私の教室では、再度挑むことは誰もが持つ選択肢で一部の特権ではありません。しかも評価は純粋に個人の学習成果を判定する仕組みで他人との比較ではないので、その子がAの基準に達したのなら戸惑うことなくAをあげるべきでしょう。

    Author

    萩原   伸郎

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