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個人と集団

31/5/2018

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​日本の多くの学校や先生方は学習は一人でするものという学習観を持たれているように感じます。従って、子どもたちの学習を評価する場合の観点は、各自が既習事項を覚えているかいないかの証拠をつかむことだけに執着しているように感じます。

小学校3年生の算数の教室です。この時間はテストなので、まず机の移動から始まります。学級の半分は校庭側、あとの半分は廊下側に向きました。左右の机とは等間隔の距離を確保して、テストが配られました。机の上にあるものは鉛筆と消しゴムだけです。

質問です
①  このようなテストのための「準備」の強要は子どもたちに何を伝えているでしょうか。
②  もし、教科書やノート使用可のテストだったら、周りの人と相談可のテストだったら、数人でやり遂げるテストだったら、子どもたちにどのような機会を与え、どのような能力を測ることができるでしょうか。

​先生が提示する課題や教科書にある問題を解くことは一人でやるのが当たり前の教室です。子どもたちは無言のまま機械的に作業に打ち込みます。画一的な一斉作業の効率を上げるために、子どもたちの机は縦横きちんと列をなし、正面の黒板を向いています。


4つの机を合わせて班で学習している教室が時々ありますが、一人ひとりが個別の作業をしているので班にする意味はないようです。「班で…をする」ではく、「班(員)と…をする」にしてみれば子どもたちの声で満ちた内容の濃い学習になるでしょう。中学3年生の社会科の教室です。ここではJigsaw法を使って資料の読み込みをしていました。先生にうかがうと、初めての試みだそうです。子どもたちの間にも不慣れな印象を受けましたが、続けていくうちに話し合いを重視するこの方法の特長が活かされてくると思いました。

別の中学校の2年生社会科の教室です。学習の終わりに先生が「自己評価カード」を記入するように指示しました。記述式の「わかったこと」、A, B, C を選択する「自己評価 」、2行以上という基準が示された「総合評価」という項目です。さらに、先生が決められたと思われる学級目標「学級の最低点を50点にする」がカードの一番上にあります。それを目にしていくつかの疑問が浮かびました。① 学習も評価も学習集団として機能していない学級が全体の到達目標を立てる意味は何か。② 子どもたちに向けた「最低点」は、教師である自分の職責ではないか。③ 50点という数字の根拠は何か。④ 足切り点に到達しない可能性のある子どもたちのことを配慮したか。⑤ 自分のことを言われていると感じている子どもが既にいることを察したか。⑥ この目標が子どもたちにどのような意識や影響を生むか考察したか。⑦ 社会科の教科としての学習目標とは無関係の目標に必然性はあるのか。紙幅が尽きたので、このあたりで止めます。
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先生の感性

25/5/2018

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​中学校の休み時間の廊下で一人の生徒に、「発音、大丈夫だよ。一緒にやろうよ。」と声をかけている先生を見かけました。

中学1年生の英語の教室に入ると、その先生が子どもたち一人ひとりと会話文に出てくる単語の発音の練習に集中しています。子どもたちも真剣に先生の発音を聞き、自分の口で同じように言えるように練習しています。やがて、子どもたちは二人一組になって会話文を先生の前で発表し始めました。先生は容易には合格を出さないので、どの組も何回も挑戦し続けました。空き教室の方が使われている教室よりも多い、古い校舎の公立中学校。中学1年生の学習活動への主体的な参加と集中度は、これまで参観した中で一番優れています。この時間が終わるまでにすべての組が先生から合格をもらいました。

質問です
①  子どもたちから学習への主体的な参加意欲と高い集中度を引き出す要素は何でしょうか。
②  すべての子どもたちが学習の達成感を得るために指導者が考えるべきことは何でしょう。

小学校でも中学校でも教室や廊下に展示されている子どもたちの作品からは、多くの場合、雛形通りに書かされ、描かされた痕跡があり、無意識のうちに自由な創作を制限してしまっていることを感じます。ところが学校によっては先生の細かい配慮や感性がはっきりと子どもたちの作品や行動に表れている例を見ます。

中学1年生の教室の廊下側の掲示板に「うれしかったことば」という題で子どもたちが書いた文章が掲示されていました。「二分の一成人式のとき、家族から生まれてきてくれてありがとうと言われたとき」「おみやげは何がいいと友だちに聞いたら君が帰ってくるだけでプレゼントだよと言われてうれしかった」という素直な感動が綴られていました。思春期にいる子どもたちが自分の気持ちを安心して表現することができる学級・学年であることが感じられます。

この学校のすべての教室にある机と椅子の足には古い硬式テニスボールがはめられていて、教室で耳にする不快な音がありません。3年生の理科の教室です。水溶液の実験をしていました。ある子が流しで試験管を洗っている時に洗浄用具を入れる空き瓶をうっかり倒しました。その時です。大きな音ではなかったのに、全員が口を閉じ、動作を止めて、その音が来た方へ目を向けました。そして重大なことではないことを確認すると、また元の作業を始めました。ほんの数秒の出来事ですが、子どもたちが音に敏感なことがわかりました。

先生方の感性や思いやりは確実に子どもたちや保護者の方々に届くことを信じたいと思います。そういう学校に通う子どもたちは幸せだと思います。
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考える機会

23/5/2018

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​「本校はアクティブラーニングを推進しています」と来校者向けのいくつもの掲示物に宣言をしている中学校です。しかし教室の学習の様子からは、その実践例を見つけることはできませんでした。

その逆に、子どもたちに完全に受け身であることを強制し消極的にさせているものは教師主導の画一的な指導であることに気づく必要があるでしょう。課題の提示、その課題の考え方、解き方、解答、要点をまとめることまで先生がしてしまいます。このような行動を英語では赤ちゃんに離乳食を与えることになぞらえて
spoon-feed と呼びます。自分で食べることができるように成長したら、食卓を食べ散らかし、顔や服を汚しますが、自分で食べさせなければなりません。

ある中学校を訪問した日には避難訓練が予定されていました。5時間目の始まりに先生が避難訓練の始まる時刻、筋書き(地震発生、給食室から出火)、体育館へ移動すること、移動の際の留意事項(ハンカチを口にあてる、走らない、騒がない等)をすべて子どもたちに説明しました。この学校の後ろは高い堤防と運河が、すぐ前には海があります。安閑とはしていられない場所にあります。

質問です
①  先生からの指示、説明、解答を受けるだけの子どもたちが失うものは何でしょう
②  先生は無意識のうちに日常的に教え込みをしていると思われますが、なぜその習慣から抜け出すことができないのでしょう。

中休みの後の小学校3年生の教室です。3人の子どもたちが先生に何か伝えています。中休み中に何かあったようです。報告を聞いた先生は学級の全員に「これからは教室からボールを持って行った人が休み時間の終わりに持ってくることにします。」と伝えました。それを聞いて納得することのできない子が何回も質問をしましたが先生は押し切りました。学級の小さな問題でも全員で話し合うことで子どもたちの社会的な成長を助け、共同体意識を深めることになるはずです。

考える時間や機会を子どもたちに十分に与えていないばかりでなく、子どもから出てきた意見や考えについて即断してしまう先生も見かけます。小学校3年生の社会科の教室です。翌々日に予定されている「町たんけん」で知りたいことはありますかと問いかけますが、子どもたちの反応はありません。しばらくして一人の子がそっと手を挙げて「商店街がいつできたか知りたいです。」と発言しました。すると先生は「どうやって調べるのですか。商店街にいつできたのかを知らせる看板があるのですか。」と反論して取り上げませんでした。

学校訪問を重ねるうちに、学校と教育産業との違いを考えることがあります。今日の日本の学校が塾とは完全に異なると主張することができる学習活動は何でしょうか。
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学習体験の質

22/5/2018

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​都心の自然環境が乏しい住宅密集地の小学校です。3年生の理科の教室に入りました。窓際には子どもたちが牛乳パックを半分に切って作った「植木鉢」があります。双葉が顔を出しているものもあります。別の入れ物には何やら大切なものが入っているようです。

先生が「観察カード」を子どもたちに配りました。この時間に教室の中で育てている植物や生き物を観察する様子です。先生はその「大切なもの」を取り出しました。葉についたモンシロチョウの卵です。キャベツ畑もない地域で、卵を手に入れるのはたいへんだったことでしょう。そして子どもたちにとっても、日常生活では見ることが稀な貴重な「生き物」です。

先生は「まだ卵のままですね。幼虫になるのを待つ時間がないので、教科書の…ページを開けてください。」と指示を出しました。子どもたちがそのページをひらくと、2ページに渡ってモンシロチョウの卵から羽化するまでの写真が順に載っています。先生はそれを使って教え込みました。

質問です
①  この理科の学習から子どもたちが学んだことは何でしょうか。そして失ったことは何でしょうか。
②  本物の学習体験を子どもたちにふんだんに提供するために、学校や教師がするべきことは何でしょう。

5月の中旬、5年生の社会科では「低い土地の生活」という単元を扱います。この地域の小学校では同じ教科書を使っているので、どの学校でも教科書に載っている岐阜県海津市の地形、人々の生活の様子を「低い土地の生活」の典型例として知ることになります。

ほとんどの子どもたちが、おそらく先生も、行ったことのない場所について間接的、抽象的に学習していますが、まさにこの子どもたちが住んでいる地域こそが海抜0m地帯なのです。小学校社会科の一つの領域である地域社会学習を自分たちが実際に生活をしている地域について観察、調査、現状認識、解決策などのような直接的で構造的、創造的な学習活動に変える機会を逃しています。

中学校の支援学級、数学の教室です。ユニクロの広告を見ながら買う物を決めます。そして消費税込みの値段がいくらになるか調べようという作業です。先生が配ったのは広告の白黒コピーでした。少人数のこの教室にいる一人ひとりに十分な枚数の本物の広告を集めるのは簡単なことです。先生がその程度の準備をせずに、支援学級の子どもたちに向かい合うのは残念なことです。そして「1.08かければいいんだよ」と教え込まれて計算し答えを出した子どもたちは、一体何を学んだのか疑問に思いました。
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時間について

20/5/2018

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​日本の学校には他所では見ない教室備品があることに気がつきました。教室の黒板にあるタイマーです。先生は子どもたちに課題やテストを与えると7分でやってくださいなどのような指示をして時間を設定します。時間になったことを知らせる音がすると、終わっていない子どもがいても、発表や答えあわせなど次の作業に移ります。

子どもたちと学習の振り返りとしてよく使う Kahoot や Quizizz のようなonline gameの楽しさのひとつは、制限時間があることです。ドキドキする感じが子どもたちをかき立てます。

中学3年数学の教室です。始まりの挨拶を終えると先生は因数分解に関する小テストのようなものを配ります。時間を設定して作業開始。時間になると先生は解答が書かれている紙を配ります。子どもたちは各自採点します。先生が「10問できた人?」「9問できた人?」と全員にたずね、子どもたちは挙手で応じます。それが終わると、ファイルに綴じる指示が出され、子どもたちは言われた通り小テストと解答を綴じます。一見滑らかな流れですが、学習とはかけ離れた価値の低い単純作業でしょう。

質問です
①  学習の過程では課題を時間内に終わらせることにどのような意味があるでしょう。
②  時間制限をせずに一人ひとりの子どもたちに課題をやりとげる機会をあげると学習の成果にどのような違いを生むでしょう。

先生が板書にかける時間、子どもたちがノートに写す時間には大きな差があります。
5年生の社会科の教室です。先生が課題を板書するのに約1分かかりました。そして次の作業について説明を始めました。最後の子どもがノートに写し終えたのは2分30秒後。かなりの子どもたちが先生の説明を聞き逃したか、写しながら聞いたことになります。もし、先生が最後のひとりが写し終わるのを待って、次の作業について説明を始めたとしたら、子どもたちの学習にどのような変化を生むでしょう。

先生方が時間について拘泥していることの例とまったく意識されていない例を挙げました。このような日常的な学習の画一化は、実は一人ひとりの学習権を十分に保証していないことにつながるということに気づく必要があるでしょう。

私たち人間は植物を育てている際に、明らかに成長が遅れている苗や元気のないものには、いろいろと気遣い丁寧に扱うという本能的な優しさを持っています。学校での学習活動になると、効率が優先されてしまう傾向が強くなります。残念ながら、学校は工場ではないので、その効率には必然性も科学的根拠もありません。
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基点となるべきこと

18/5/2018

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​可能な限り「授業」という言葉を使うことを避けています。「授ける」という文字が示すように、指導者が学習者に「教え」や「知識」を授けることを意味するからです。21世紀の学習の特徴は両者を水平な関係に置くことだと考えます。

これまでの学校訪問で参観したすべての教室で行われていることは「授業」です。正確に表現すると「一斉授業」です。先生方はこの「一斉授業」を完成させるために教材研究をし、指導技術を磨き、教室で声を出し、たくさんの板書をします。精一杯の努力をされていることはこちらにも十分伝わります。しかしながら、先生方の教育観、学習観の基点は「私は子どもたちに何を教えようか」から始まっています。

学校での学習の主体者は子どもたちだということは説明を待つまでもないことです。そして、子どもたちは一人ひとりの顔や性格が異なるように、能力や興味・関心も異なるという認識も一般的でしょう。それらの事実に基づいた学習活動を実現するためには、先生方が、目の前の一人ひとりにとってどのような内容をどのような方法で学ぶのが一番良いかという観点を持って、毎時間の学習を計画することでしょう。それが基点であるべきです。

質問です。
①  「一斉授業」と「一斉指導」の違いは何でしょうか。
②   社会は「一斉」ではなく「個に対応」することに莫大な労力を費やし細やかな意識を広めていま す。学校や教室はどうでしょうか。  

中学校の支援学級で理科「温度計の使い方」の学習をしていました。子どもたちにとって一番むずかしい目盛りの読み方の場面で、先生は強引に答えを教え込んでいました。温度計の持ち方、温度計の位置(高さ)についても答えを伝えています。この先生にとっては「この時間に何を教えようか」と考えた「準備」通りに進行した満足度の高い授業だったでしょう。けれども「…さんにはどのような課題が適切だろうか」「…君にはどこまで掘りさげた質問が適切だろうか」と考えて学習活動に入れば、子どもたちにとって達成感の高い理科の学習になったでしょう。

学習の個別化・多様化は、先生の Growth Mindset 、一人ひとりの子どもたちとの人間関係、互いに尊敬しあい認めあう誰にとっても安心感の高い教室環境を築けば、少しずつ進めることができます。

全員に向かって「わかりますか」「ついてきていますか」「これは前の時間にやりましたね」のような発問をよく耳にします。先生は子どもたちに確認しているつもりですが、この種の発問に反応するのは数名です。一番助けを必要としている子どもは多くの場合何も言いません。
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新日本発見記2

15/5/2018

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都内の公立小学校・中学校を1日1校訪問しています。そして、毎日新しい学校に行くたびに驚くのは先生方の仕事量です。

毎時間の授業ではどの教室も先生が主役です。授業の始めから終わりまで先生の声が止むことはありません。しかも音量は最大です。

先生は教科書が大好きで、教科書なしでは授業は進みません。たいていの場合、副教材があり、さらに先生はたくさんのプリントを用意してきます。

授業は先生の発問…一部の生徒の挙手…先生が指名…生徒の発言…先生の決裁・判決という流れで進み、そこに加わる子どもたちは限られています。

一般化することは正当性や科学性が損なわれるので避けるべきであるのは重重承知していますが、敢えてこれまでの学校訪問でとらえた事実関係を表現すると次の通りです。

         教師の仕事量 > 子どもの知的活動量

         子どもが授業中にしていること = 作業 ≠ 学習活動  

質問です。
①  作業と学習の根本的な違いは何でしょうか。
②  教師の仕事量は本来どこで、どの場面で多くなるべきでしょう。  

それにしても驚くべきは子どもたちの従順さです。誰もが文句も言わず、疑いもせず言われたことを言われた通りにしています。学校によってはやんちゃな子どもたちもいますが、結局は先生に言われたことを受け入れています。小学1年生から徹底して訓練されているのでしょう。作業は常に個人で取り組むことも徹底されています。協働学習という文化は育っていないようです。稀に班になって作業をしている教室がありますが、よく観るとそのように座っているだけで、各自が別々に作業をしています。

​今回の集中的な学校訪問で認識したことは、日本の多くの学校が学習内容・方法・評価に関して本質的には学制(1872年)以来何も変わっていないのではないかということです。伝統を継承しているという見方も可能です。しかしながら世の中という容れ物が大きく変革していることを考えると、その中身も変わらなくてはならないでしょう。次回以降、参観して疑問に思ったことをみなさんと考えたいと思います。明日も公立中学校を訪問する予定です。
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    Author

    萩原   伸郎

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