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Washington Post

30/5/2017

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​この時期は春の運動会があちらこちらの学校で開催されたことでしょう。子どもたちの入退場の時にかかる行進曲は運動会の思い出そのものです。先日学校に向かう車中でかけていたFM局からSousa作曲の行進曲Washington Postが流れてきました。この曲は1889年にWashington Post新聞社が主催した第1回子ども作文Contestの表彰式のために作曲されたものです。6月15日に25000人もの観衆が見守る中で11人が優秀賞を受賞しました。新聞購読が家庭に浸透することをねらった広報宣伝事業であることは明らかですが、その規模に驚かされます。さらに、mass communicationの時代の到来を誇らしげに謳歌する新聞社の勢いも感じます。

128年も経つと新聞社に往時の姿を見ることはありません。情報源としての新聞の役割は激減しました。私は紙の新聞を読んでいた時は教育面に必ず目を通していましたが、たいていの場合一社の朝刊に限られていました。今では世界中から毎日届く教育に関する記事や情報を処理することが仕事のひとつです。多様な情報源とそこから発信される情報を取捨選択し、理解し判断し、さらに効率的に保管する能力は知的生活のための必要条件になりました。

Australiaでは書店が姿を消してからしばらくたちますが、日本はたいていの街に書店がありたくさんの本や雑誌であふれています。書店数や発行数が国民の知性を測る指標になるのか私にはよくわかりませんが、新刊の中に質の高い読み応えのある書籍がどの程度あるのか疑問に思う時があります。新聞、公共放送の報道も果たして公平で正確な情報だと信用する価値があるでしょうか。
質問です。
① 教師として知的、専門的な読書や情報の収集を習慣的に実践していますか。
② 教師どうし、あるいは生徒たちや保護者と本や記事を共有する習慣がありますか。

書籍を扱う図書館のあり方も意味も大きく変化しています。Australiaの図書館は利用者が必要としているものや望んでいる室内環境を敏感に察知してすばらしい施設を地域住民に提供しています。この間、校内研究会を依頼されて都内の学校に向かいました。時間に余裕があったので近くの図書館で準備を整えることにしました。10人がけの長い机でlaptopを開いて仕事を始めると、係りの人がやってきて「ここではパソコンは禁止されています。」と注意を受けました。WifiもなくICT機器も使えない図書館での知的活動は限られてしまいます。

今年もどこかの学校の運動会で行進曲Washington Postに合わせて行進をした子どもたちがいたことでしょう。ちなみに1889年の表彰式で受賞した11人のうち8人は女の子だったそうです。思い出の糸をたどると、小学生の頃から作文が上手だったのは女の子ばかりでした。不思議とその子たちはどんな文章でも書き方、構成、言葉の使い方を会得していて、しかも語彙が豊かでした。そういう級友たちは別世界の人間のようにも見えました。
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Assembly

19/5/2017

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​数年前まで、私は生徒たちが一か所に集まってつまらない発表や話を聞くだけの Assembly 全校集会を廃止してonline化したものに変えるべきだと主張していました。他のleaderたちは内容の程度があまり高くない全校集会であることを認めつつも廃止することには躊躇していました。

水曜日の朝、1200名を数える全校生徒が集まった体育館でAssemblyがありました。今ではかつて私が批判的だったものとは完全に異なるAssemblyが定着しています。生徒たちがすべてとりしきり、教職員は唯一校長だけが壇上に上がって、一言述べるだけです。毎回の山場はStudent Executivesによる講話です。この日はresilience 粘り強さ、不撓不屈の心構えについてでした。最近の中高生は困難に立ち向かう姿勢が弱くなっているという事実、定期試験を来週に控え多くの生徒が不安定になっているという事実を踏まえての話題の選択だったことは明らかです。聴衆もうまく取り込んで確実にmessageを届けました。

Assemblyのたびに感じることは二つあります。一つは、生徒たちに考えさせ行動させる領域が広がると自治的な文化が育ちはじめること。主役も脇役も生徒たちが演じるべきで、教師は裏方で十分だということです。

日本の学校に根付いている委員会活動や清掃作業などの文化。それらを通して育てている能力や習慣は、こちらの学校が逆立ちしても簡単に導入できるものではありません。日本の学校で、清掃中に人目のまったく届かないような所で丁寧に体を動かしている生徒たちを遠目に見かけることがあります。そういう時はそこまで行って、言葉をかけてあげるようにしています。
質問です。
① 教師たちの傀儡ではない、生徒たち自らの自治活動が生まれ出る文化を育てるためには何が必要でしょうか。

先ほどの動画にいるStudent Executiveたちの頭髪が短いことに気がつかれたかもしれません。実はこの3週間ほどの間12年生が中心になって癌医療の研究費への募金活動をしていました。女子は化学療法を受ける女性のかつらの材料として21人が自分の髪を切って提供しました。そして募金額は130万円を超えました。一方男子は腫瘍の治療を近々受ける同級生のために、35人が五分刈りをして連帯を強めました。彼の治療費として約45万円の募金も集めました。

行動力、人間愛、自主性、自己犠牲の尊さを身をもって示しました。同年代だった頃の私は彼らの足元にも及びません。募金活動の総指揮者が放課後に静かにやってきて、支援へのお礼にと言ってchocolateの詰め合わせをくれました。お小遣いは完全に底をついているでしょうに。
坊主頭になった小柄な彼女がとても大きく見えました。
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Standardised test

13/5/2017

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​今週の火曜日、水曜日、木曜日はAustralia津々浦々の3年生、5年生、7年生、9年生が学力試験 National Assessment Program - Literacy and Numeracy (NAPLAN) を受けました。そして金曜日はそれらのいずれかの日に欠席した生徒たちの予備日でした。

Writing, Reading and Numeracy のNAPLANのために、3日間の午前中が使われます。どの学校でも事前の準備や練習が行われることは慣例といって良いでしょう。NAPLAN の結果は各生徒の家庭に通知されます。そして各学校の総合的分析と個人の結果は学校にも届きます。さらに、各学校の結果は不特定多数に向けても発表されます。こちらのsiteには私たちの学校の結果が出ています。

さらに輪をかけるように、Western Australia州ではBand 8という水準に到達しなかった9年生は12年生までの間に州が年2回実施するonline testを受けなければなりません。合格しなければ、州からの高校の修了証はもらえません。

人間の能力を広く深くとらえる多面的な能力観、生活や現実の社会に密着し必然性の高い内容を学習者の主体的で能動的な活動を通して学び、知識、技能、思考力、創造力を育てる教育観、最新最善のtechnologyを活用して、これまで不可能だった高度な学習を可能にし、一層構造化する世界で適応力のある人間を育てる未来観。これらについての継続的な議論と実践から乖離し、正反対の価値観に基づく学力観と学力試験に莫大な時間と経費をかけるのはなぜなのでしょう。

日本では先月小学校6年生と中学校3年生が文部科学省が実施する「全国学力テスト」を受けました。結果の扱い方はAustraliaとは大きく異なるようです。
質問です。
① 日本では地域や学校間格差を判別するために結果を使うという見方があります。それは本当に必要なことでしょうか。
② 判明した結果を分析して地域や学校の重点教育目標に据え、効果をあげたという事例がありますか。なぜそれが必要なのでしょう。

学力試験で疲れた顔をした9年生を見送った木曜日の放課後に、制服売店に勤めるstaffと話をしました。50代の彼女は今大学で看護学を勉強しています。4人の子どもを無事に育てあげ、いよいよ自分が持ち続けてきた情熱と希望を実現する時が来たと誇らしげに話してくれました。自分の好きな領域を好きな時に学ぶこと、そして知的な成長は人間の生涯を通して可能だということの良い例だと思います。
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Think outside of the box

7/5/2017

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​私たちはある種の枠組みや範囲の中で生活をし学習や仕事に従事します。思考形態や行動様式をある程度規定するのもその枠組みの中にいるからと考えられます。種としての人間が生存率と持続性を高めるための本能とも言えるかもしれません。

独自性の高い創造的、革新的な思考や行動をするためにはその枠から出ること Think outside of the box が必要だと考えています。Challenge Based Learning を通して9年生に challenge させていることです。とりわけ Start Your Own Business という課題では生徒たちが提案してくるideaについて、こだわった質問を投げかけました。たとえば、各自が焼いてきたお菓子を売るという案を出してきたgroupには、あなたたちの独自性、商品の特徴、売り手を引きつける要素は何ですか、というような内容です。Groupにもどってそれらの質問を土台としてさらに高度な案を練ってくる者たちと、その壁を越えられずに意気消沈してしまう生徒たちがいます。

今年は「付加価値」をつける案に行き着いたgroupが多くありました。そのうちの二つは偶然ですが、歌うことが好きだったり楽器が弾ける生徒たちがたまたまいたことで、live musicを提供するという案を導き出してきました。いよいよ当日。開店当初はお客さんがまばらでしたが、しばらくすると音楽につられてたくさん人垣ができ、用意したものは完売でした。さらに、演奏のお陰で昼休みが一層楽しく和やかになりました。その様子をこの動画にまとめました。今回のbusinessで自分の演奏について周囲からどう見られようとも意に介さずに行動したことも勇気のあることだと感心しました。

「創造性を豊かに育む」などのような常套句は蔓延していますが、実際にそれがなぜ必要なのか、何を意味しているのかという熟考をもとに実践を積み上げていく必要があるでしょう。
質問です。
① 生徒たちは学校生活や学習活動を通して一定の枠の中だけで考え行動することが多いでしょうか。それともそれを越えるように促されていますか。
② 先生自身は枠を越えた自由な発想を持つことや慣習にとらわれない行動をすることにためらいがありますか。それとも常にそれを心がけていますか。

生徒たちが自分を表現する方法とその手段を知っていることは大切なことだと思います。教師として学校として、様々な創作・創造的な表現活動の機会を用意すること、その中から生まれ出てきたものを高く評価することを心がけたいと思います。

昨晩観た Cirque Du Soleil も人間の表現能力のすばらしさを謳歌していました。そして、演技、音楽、衣装、構成、すべてが Think outside of the box でした。
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    萩原   伸郎

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