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子どもに助けられる時

30/11/2019

 
​先日Year 4の子どもたちが体験入学で私たちの学校にやってきました。その昔、小学校1年生から6年生まで担任をしたという経験を確実に意識してその日の子どもたちとの活動を考え準備をしました。

「日本」や「日本文化」に関連した問題を各グループが競い合うクイズ形式の活動をすることにしました。20~25問の「ワクワクする」であろう問題を揃え、ホワイトボードにはグループごとの得点表も用意して子どもたちを迎えました。

万全に準備を整えたはずでしたが、質問は難しすぎ、得点表はYear 4の子どもたちが得点を書き込むには位置が高すぎて背伸びをしても届きませんでした。自信満々で準備したはずの活動としてはお粗末な失態です。

質問です。
  1. 私たちは知っているつもりでいることが、現実に子どもたちと関わることで「知っているつもり」でいた物事は単純な思い込みであったり誤りであることに気がつくことがあります。最近、そのような実例がありましたか。
  2. 自分の予想、仮説、準備が間違えだったと気がついた時に、教師としてどのような行動を取るべきでしょう。

4年生の子どもたちがクイズの質問を進めていく中で手助けをしてくれたのは、当日各グループに割り振られた8年生のリーダーたちでした。質問の意味を説明したり、グループの得点をホワイトボードの表に記入するのを助けたり、ごく自然に援助してくれました。

8年生のリーダーたちとは日常的に触れ合っているので気心は知れた間柄です。リーダーたちがMr Hagiwaraが準備した活動は問題だらけだと感じたかどうかはわかりませんが、来校した子どもたちが楽しんでくれることを第一議に、私の粗相を補い、1日を取り仕切ってくれました。リーダーたちは私の思慮不足な点を認識して、それを補う方法を考え主体的に行動してくれたのでした。

この日の出来事は、子どもたちの前では私は完璧ではないと再認識する機会になりました。間違えだらけの自分をさらけ出すと、子どもたちはどのように行動するかということを見る機会にもなりました。学校や教室で長い年月仕事をしてきましたが、今でも子どもたちに育ててもらっていることを感じます。 Lifelong learning ということが最近頻繁に言及されていますが、謙虚な気持ちを持つことから始まるのかも知れません。

今年度の実験

10/11/2019

 
Australiaの学校は年度末の時期に入りました。

今年度は、子どもたち自身の学習を子どもたちの直接的な参加をもとに共に組み立てて、学習の所有者意識を高めることを実践目標としました。学習内容や活動、そのための教材、学習の評価を子どもたちとの話し合いや協働のもとで作成し実施することをめざしました。例えば新しい評価の手順は次のように決めました。① 到達目標:各単元の初めに扱う領域の到達目標「この単元の終わりには_ができるようになる」を立てて全員と確認しました。4~5の項目が評価対象になりました。② 自己申告:学習が進むにつれて各自が評価対象のどれか一つでも用意が整ったと判断したら、私にappointmentを取ります。③ 実施:約束の日時に一対一で評価をし、その場で結果を伝えます。多くの場合が口頭試問形式です。


質問です。
  1. 子どもたちと共に学習や評価の内容、方法(媒体)、時期を決めること、あるいはそれらに関する選択肢を予め設けて、子どもたちに選んでもらうような共生型の学校や教室を創る意味と必要性は何でしょうか。
  2. 実際に実践する際の問題点や障害は何でしょうか。

とりわけ私が変えたかったのは旧来の学習評価の内容と方法です。子どもたちは大人と同様に忙しく、自分にとって最良の評価内容や方法を決めて準備することを忘れることもしばしばありましたが、自分の学習に責任を持つことの意味を知るきっかけになりました。今回の新しい実践を子どもたちはどう受け止めているのか、客観的な証拠をつかむために年間を通してこれらの実験的な実践を続けた教室の子どもたち一人ひとりにアンケートをお願いしました。新しい評価の仕方についてどう思うかという問いには「とても良い」が50%、「良い」が38%でした。教師がテストの範囲と期日を決めて紙と鉛筆でする評価の方が良いと思っている子どもたちもいました。たくさん記述してくれた子どもたちもいました。そのうちの一例、8年生の意見を挙げます。

​What I like about the learning program is that it doesn’t put stress on the students and students are able to balance other subjects and be able to achieve to their full potential. Having traditional tests and assessments put a large amount of stress on the students whereas with this form of assessments it allows for the student to be in charge of their own learning leading to development in skills needed for adult life. Another thing I like about these assessments is that it shows the students potential and development in their learning rather than how easily or quickly students memorise information to later forget after they finish the test or assessment. As well as some students get test anxiety which can cause them to score lower on tests and limiting that students confidence and want to learn. Places like Finland have already implemented these techniques of teaching and have one of the highest success rates for education in the world. And as teenagers we need to balance our social life, family time, extra curricular activities, sports, homework, sleep, eating the right foods and time for ourselves it becomes highly stressful when you try to balance all of them at once. With Japanese it takes the stress out of learning and actually makes it enjoyable. It makes me and other students want to learn Japanese and to expand their abilities in the subject, and that is what learning and school should be all about.

大学入試

1/11/2019

 
​今読んでいる本の中に興味深い引用がありました。

“But the “father of standardisation,” American industrialist Frederick Taylor, realised that in a system of factory production where machines were expensive and heavy but humans were cheap and malleable, it was more efficient to arrange the workers around the machines than to arrange the machines around the workers.”

例えば“machines” を「大学入試制度」に、“workers”を「受験生」に置き換えると、大学入試制度は受験生の立場を中心にして制度を改革するよりも、入試制度を中心に受験生をそれに合わさせる方が効率が高いということになります。もしかするとそれは、教育行政や大学側が持つ2020年の大学入試改革の本質的な考え方を表しているかもしれません。

質問です。
  1. 学生が大学で学ぶうえで、英語の能力は実際のところどの程度重要な必要条件なのでしょうか。
  2. ある一定の英語の能力が必要だと主張するならば、学習・研究活動に必要な英語能力の具体例、学位を取得する頃にはその能力がさらにこの程度まで発展するという能力を到達目標として提示することが可能でしょうか。
  3. 学生を選抜するにあたって、そもそも大学にとって必要とする能力を明確にした課題を自らが試験という形で提示することをせずにどうやって選抜することができるのでしょうか。

大学で学ぶために英語の一定の能力が必要だという考えは、未来志向のように感じられますが、旧来からの囚われのように思えます。研究や留学で必要になれば、あるいは必要になるという直感を持つならば、学生が各自真剣に学んで身につければ良いことでしょう。それこそが主体的に学ぶ姿だと思います。

昨日から、こちらでは日本とはまったく異なる大学入学共通試験が始まりました。どの教科もすべて記述式です。外国語は読む、聴く、書く、話すの四領域が公平に配点されています。受験科目もあらゆる教科から選ぶことができます。日本の現状から見れば理想的な共通試験ですが、さらに時代にあった改革を続けています。その一つは、大学での学習や研究、実社会で必要な創造力、構造的思考力、協働力、発表力などを中核としたworkshopを大学が毎週通年で開設しています。ここで高校2年生から育成を始め、高校卒業後は希望の学部に入ってもらうという仕組みです。教科の知識量や記述能力などを評定基準としていた従来の入学試験とは正反対の能力観に基づいています。

    Author

    萩原   伸郎

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