土曜日の夕方から学校で卒業20周年の同窓会がありました。前日準備としてその年の卒業生や出来事を振り返ろうとYearbookの頁をめくるうちに、いろいろなことを思い出しました。
1999年は私たちの学校の創立10周年の記念の年でした。広大な敷地に一棟ずつ建てていくような発展を遂げた学校なので10年の節目は特別な意味がありました。少々大げさな表現ですが、その前年に私はある案を持って長崎に向かいました。長崎はKolbe神父様が1930年から36年まで布教活動をして修道院、神学校、教会を建てられた場所です。Kolbe神父様の日本滞在の最後の年に修道会に入会された修道士さんがいらっしゃることもその数年前に発見しました。是非その修道士さんに創立10周年記念行事の一つとして学校にお招きして、Kolbe神父様の個人的な思い出を私たちの生徒たちや教職員に話していただこうと考えていました。 この一件については忘れがたい二つの事実があります。一つは、当初は私の思いつきだったので来豪の依頼をしておきながら渡航費をお支払いする予算の根拠がありませんでした。修道士さんは自費での渡航を承知の上で快諾してくださったことです。もう一つはその修道士さんをPerth空港へお迎えに行った際のことです。到着ロビーに出てこられた修道士さんは小さなナイロンのバッグを持っていらっしゃいました。長旅の慰労を述べた後、お荷物はどちらですかと尋ねると、修道士さんは満面の笑顔で「ここにあります」とナイロン袋を持ち上げられました。翌日になってわかったことは、そのバッグには私たちの生徒たちや教職員に渡すマリア様のメダルがぎっしりと入っていたのでした。約1週間のご滞在に私物はほとんど持参されていなかったのです。禅宗の僧のように、Franciscanの神父様や修道士さんもまた物質的な煩悩を絶ってしまいます。 質問です。
その年の秋に校長を連れて長崎へ向かいました。駅までその修道士さんが迎えに来てくださいました。「御地でお世話になったお礼にお食事でもお誘いしたいのですがあいにくお勤めがあるので修道院に戻らなくてはなりません。」と話されて小さなお財布を開かれました。小さくたたまれた五千円札だけが入っているのが見えてしまいました。それを広げられて「これで何かお召し上がりください。」と。 私たちは丁重にお気持ちだけを頂戴すると、修道士さんは人混みの中に入っていかれました。
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7月下旬に私たちの学校を訪れた日本の中学生と交わした会話の中に興味深い視点がありました。
Host familyとの生活や学校での活動を通して、Australiansが時間に大雑把だという結論に達したようです。例えば、私たちの学校では各校時の終わりにはベルが鳴りますが始まりのベルはありません。本当にそうかなあ、と返答していくつか質問をしました。「君たちがどこかに集合する時に先生方はどのように指導されますか。」 予想通りの答えが返ってきました。2問目です。「集合の5分前に集まることが自分と他人の時間を大切にしていると言える根拠はどこにありますか。」3問目は「例えば先生が午前9時に集合と生徒たちに伝えておきながら8時55分に皆が集まることを期待しているのなら、はじめから8時55分集合と伝えるべきではないのですか。」 質問です。
日本の学校を訪問して目につく掲示物の一つは「時間厳守」とか「定時着席、学習の準備」などの指示です。そういう行動ができることと、学習の質が高まることとはまったく関連性のないことのように思います。 練習の時間や回数と成果の相関関係は必ずしも高くないことは経験的に理解していますが、補習授業のような習慣はなくなりません。合理性や科学性に基づいて行動するよりも、献身的な態度や行動を他者に示すことの意義が優先しているのかも知れません。 私は日本からのお客様と行動を共にする際は、約束の時刻より少し遅れ気味に迎えに行くようにしています。最初は時刻の前に宿の外などに出て待たれているようですが、やがて私が「◯分前行動」をしないことに気づかれると、約束の時刻に行動すればよいと判断されるようです。これがAustralian timeであると感じてもらうと同時に、私流のおもてなしです。 中学生たちがhomestayで驚いたことのひとつは家族の夜が早いということです。夕食も早いし就寝も早い。そして起床も早い。寝る頃にはお腹が空いて困りましたと話してくれました。 7月最終週から始まったSemester 2では、8年生の選択科目のGame Design & Development, Graphic Technology, Photography & Photoshop を担当しています。それらの教室の一人ひとりに、紙片を渡して担当の私に自分のことについて知ってほしいことを2点書いてもらいました。
好きなこと得意なことなどは一般的な情報ですが、子どもたちとつながるきっかけを与えてくれます。さらに、自分の内面に関することについて書いてくれた子どもたちもたくさんいました。それらの記述の内容は、このような機会がなければ私が知る可能性の極めて低いものです。 私を信用して「秘密」を書いてくれたことに感謝すると共に、このささやかな作業をしてもらって良かったとつくづく思いました。 質問です。
子どもたちの返答を読んで予想に反したことは、ICTに直結する選択科目ですが、technologyやcomputerが嫌いと伝えてきた子どもたちが約2割いたことです。そして、たくさんの課題を与えられた時、提出締め切りが迫っている時に気持ちがとても不安定になると伝えてきた子どもたちも約2割いました。子どもたちの情緒の不安定性は全世界的な、とりわけ先進国では重要な課題になっています。 なるほど、そうなんですか。と受けとめてその子どもたちにも達成感、充足感をたっぷりと味わってもらえるような学習内容と方法を用意しようと思います。これがまさに専門職の腕の見せどころだとは思いつつ、まずは毎時間後に感想や反応を拾いあげていこうと思っています。 ところで、短い期間でも私たちの学校を訪れる子どもたちとも接点を持つことを心がけています。当然のことながら、うまくいく場合と努力してもなかなかつながらないことがあります。2週間前に訪れた日本からの中学生とは良い関係を築くことに成功した感があります。いろいろな場で私に話しかけてきたり質問をしてきたりする良い徴候が見られたからです。 彼らがつぶやいた質問はホームステイでの体験や学校での観察に基づくものですが、興味深い点がたくさんありました。次回にご紹介したいと思います。 私たちの学校で初めての取り組みとなるある企画について、10年生の数人と何回か話し合いを重ねるうちに2学期が終わりました。2週間の休暇の間にそのうちの一人が、イベントの旗揚げと広報、参加募集を目的としたウェブサイトを作ってきました。
主旨、めざすもの、応募方法などわかりやすくまとめられているだけでなく、文章や言葉遣いが教師臭くないのが最大の強みです。子どもたちの関心をすぐに引くでしょう。 全校に広める前に一応サイトの隅々まで目を通すことにしました。完璧な完成度ですが、ひとつ目に留まった言葉がありました。瞬間に単純な間違いと判断し10年生の制作者に尋ねると、優しく微笑みながらその単語 ‘yeet’ の意味を教えてくれました。私はまったく知りませんでした。 質問です。
子どもから教えてもらったことはこれまでにもたくさんあります。10年生のOutdoor Educationという科目で大自然の中でキャンプをした時に、ある生徒がテントを張る最適な場所を探す方法を教えてくれました。彼は地理の教師になって私たちの学校にもどってきました。 子どもが教師になる機会もたくさんあります。今日の8年生のGraphics TechnologyのクラスでみんなにSketchUpの使い方を教えて回ったのは、先週真っ先に課題を完成させた生徒でした。教師は、子どもたちと互いに学びの過程をつくりあげる間柄になることが大切なことなのだと思います。 “By contrast, in the new pedagogies model, the foundation of teacher quality is a teacher’s pedagogical capacity – their repertoire of teaching strategies and their ability to form partnerships with students in mastering the process of learning. Technology in the new model is pervasive and it is used to discover and master content knowledge and to enable the deep learning goals of creating and using new knowledge in the world.” Michael Fullan 前述のある企画とは Deep Learning - Unconference というイベントです。子どもたちが自らの興味や関心をきっかけに、自らの目標に向かっていく過程で生まれた深い学習を、自由な形態で発表するというものです。自分にとってこれが深い学びだと胸を張って伝えることのできる子どもたちがどのくらい出てくるか楽しみです。 |
Author萩原 伸郎 Archives
12月 2024
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