先週の金曜日、水泳大会が終わってほとんどの生徒が帰宅した放課後、校庭の角でひとりの生徒が携帯電話を手にして立っていました。どうしたのか声をかけるとお母さんが迎えに来れないのでUberを呼んで待っているとのこと。そんな会話が終わらないうちにHondaの車が横に止まり、その生徒が乗り込んで走り去っていきました。
そういう帰宅方法もあるものだと感心しながら校舎に向かって歩き始めると、木陰に生徒がすわってFaceTimeをしていました。お母さんらしき人とPick upの段取りを話しているようです。 子どもたちが携帯電話を持っていなかったとしたら、放課後の対応のために教員の当番が必要になってくるでしょう。私たちの学校では携帯電話を持ってくるかは各自の判断に任せています。持ってきている場合には最終のクラスが終わる3時15分まではロッカーに入れておく約束になっています。調べてはいませんが、生徒たちが持っている携帯電話はほとんどがSmart phoneのようです。 今年は8年生のPhotography and Photoshopという科目も担当しているので、子どもたちにはクラスにSmart phoneを持ってきていいよと伝えています。カメラの機能が向上して質の高い画像を撮ることができるからです。 質問です。
ある教育評論家がSmart phoneの学校持ち込みについて3つのリスク、①歩きスマホ ②盗難 ③学力低下、があると語っていました。本当にそうでしょうか。私は次の理由から別の論点を持っています。学校に持ち込むことが許されていなくても、それらの問題はいつでもどこでも起きる可能性がある。最近のSmart phoneの機能はそれらのリスクを防ぐ仕組みが組み込まれている。Smart phoneで無限に広がる可能性や革新性が確実にある。 とりわけ日本国内の学校のようにICT整備が不十分な学習環境ではSmart phoneの有効活用は構造的・財政的な溝を埋めるものと考えてみてはどうでしょう。 喫緊の課題は、子どもたちに情報通信機器の正しい知識と使い方を身につけさせることだと思います。保護者も教師も学校も教育行政も傍観している状態からはやく抜け出すことではないでしょうか。
0 コメント
月曜日の中休み、Learning Centreに来た7年生に週末に何をしたかたずねると、今週金曜日にある水泳大会に備えて地域の大きなプールに行って練習をしたと話してくれました。
入学したての7年生らしい健気さだと感じながら、自分も子どもの頃、運動会など大きな行事の前にはそのように練習をしたものだと思い出しました。間際になって練習をして良い結果に結びつくかどうかは別にして、自然に必要性や必然性を感じたものです。 この7年生との会話を12年生に話すと、「かわいらしいね。」「そういえば僕もそんなことをしていた。」などという感想が返ってきました。何れにしても成長するうちにそのような自発的行動は少なくなってくるように思います。それは練習の量と結果の相関関係を理解するようになるからでしょうか。それとも物事にある種の諦観を持つからでしょうか。 水泳大会の前に自発的に練習をしたことを例にとって、人間がある行動を起こす理由を考えてみるとおもしろいことに気がつきます。 質問です。
この7年生の生徒にとって、練習の目標はいろいろあったことと推測できます。50mを泳ぎきることができるか、飛び込みのスタートができるか、バタフライの泳ぎ方を忘れていないか。それらの目標は他の子どもたちも少なからず頭の中に描いていたと思いますが、この7年生が一歩抜きんでている点は目標に到達するための仕組みや方法に気がついて行動したことでしょう。 もう一つこの短い会話を通して気がついたことは、小さい行動や細かな点に気を配る習慣が結果として大きな成果を生み出す可能性が高いということです。この新学期からいくつか「小さい習慣」を始めました。そのうちのひとつ、教室に入ってくる生徒一人ひとりと入口で言葉を交わし、学習の後にもドアの横に立って一人ひとりに言葉をかけるということです。 放課後にstaffroomがある棟に誰かが車を停めて何かを運んでいることに気がつきました。行ってみると校長先生でした。秘書に頼まず自分で酒屋に行き、水泳大会の後に職員に提供するための飲み物を冷蔵庫に運んでいました。このような小さい習慣や気配りは彼女の Leadership style で、教職員、生徒、保護者、地域の市民にとっての調和のとれた共同体作りに寄与しています。多くの人がその気配りなどに気がつかないほど目立たずに実行することも彼女のやり方です。 今年も東京から高校生を迎えました。Challenge Based Learning で校内選抜に勝ち抜いてきた二組です。この学校とは2014年からCBLを通して交流をしています。発表にあらわれる分析力、着眼点、行動力、創造力が毎年向上しているのがわかります。日常生活の中から問題を拾いあげ調査を深めて実現可能な解決策を導き出す長い過程ですが、忙しい日本の高校生が時間を絞り出してやり遂げた粘り強さと協働の質はAustraliaの同年代をはるかに越えてています。
Ideas 43に取り上げたように日本の子どもたちの Collaborative Problem Solving の能力の高さは日本の学校文化が産み出した成果だと感じます。 ご一行が帰国された翌日、新学期初めての9年生のCBLのクラスがありました。Communication そのものの力というよりは進んでクラスのメンバーとかかわりを持とうとするかどうかを測定するために People Bingo というゲームをしてみました。20分ほどの時間の中で最大で25人とBingoにある質問を通して応答をすることができます。 回収したBingoの用紙から対話をした人数の合計を調べてみると、予想に反して0人から21人まで広がりました。一桁の人としか言葉を交わさなかった子どもたちが多くいたことにも驚きました。 質問です。
できるだけ多くの人と質疑応答をしてくださいという指示を教師からもらわないと、この9年生たちは自分をある種の緊張感や気まずさを感じる場面に追いやらないということがわかります。新学期だからかもしれませんが、ここに入学してきて3年目です。 穏やかで人当たりの良い子どもたちですが、意外にも殻から出ようとしない傾向があることに改めて気がつきました。思春期の特徴かもしれません。あるいは、長い間学校で体験してきた安易なグループ活動 (work in a group) の反作用かもしれません。もしかするとグループとして学習すること (work as a group) の難しさと楽しさを十分に体験していないからかもしれません。さらに、楽ではないことでも一歩を踏み出すちょっとした勇気を身につけていないからかもしれません。 子どもたちが無意識のうちに楽な方向へ流れてしまう傾向や癖をそのままにしておいたら、これから取り組む課題に向かい合い、いくつかの壁を乗り越えてすばらしい成果に到達することは難しいでしょう。強制ではなく自主的で内発的な学習行動を導き出す方法を考えています。 |
Author萩原 伸郎 Archives
12月 2024
Categories |