教室に8年生が入ってきました。それぞれが座ると、教科書やノートを出し始めました。彼らの表情を見れば分かることですが、これらの動作でもこの日に何があるのかわかります。テストです。
きょういくつテストがあるのと軽くたずねると、3つありますとか4つですという声が聞こえてきました。私たちの学校では、このような事態が起きないように「アセスメントカレンダー」を作って、教員がそこに予定しているアセスメントを記入するという仕組みを昨年から導入しているのにこの有様です。 この時間に8年生と一緒に考えようと思っていた課題をその瞬間にDeleteして、子どもたちに2つの選択肢をあげました。ひとつは教室でテスト勉強をする。二つ目は校庭に出て遊ぶ。豈図らんや、ほとんど全員が歓声をあげて校庭に出て、梅雨の合間の強い日差しをものともせず、どろけいで走り回りました。 質問です。 ① 教師をテストなどの評価に駆り立てるものは何でしょうか。なぜ学期の終わりにそのような評価が集中するのでしょうか。たとえば、単元の3分の4を終えた時点で評価をしたとすると、その結果から何を読み取ることができるでしょうか。 ② 総括的評価の必要性はありますが、形成的評価を効果的に実施することで総括的評価をなくすことは可能でしょうか。 そんなことを悶々と考えていた時、偶然この報告書に出会いました。 “Assessment must belong to them. If students immediately see you as someone who will evaluate and identify their shortcomings, who will determine their success or failure, you have already lost them. They will have checked out because they don’t own their success, you do. However, if you recognise their assets and deliberately shift to regular and effective use of student conferencing, peer and self assessment and descriptive feedback as your primary assessment strategies, they will own their next steps. You guide, they drive.” Michael Fullan et al. (2021) Engage Secondary Students Because the Future Depends on it 評価は彼らのものでなければなりません。もし生徒があなたを、自分の欠点を評価し、特定し、成功か失敗かを決定する人物とすぐに見なすなら、あなたはすでに生徒を失っているのです。なぜなら、彼らの成功は彼らのものでなく、あなたのものだからです。しかし、もしあなたが彼らの才能を認め、主な評価方法として、定期的かつ効果的な生徒との面談、相互評価、自己評価、記述式フィードバックに意図的に移行すれば、彼らは自分の力で次のステップに進むことができるのです。あなたが導き、彼らが動かすのです。 評価が子どもたちのものになるように努力していきましょう。
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手品をかなり真剣に練習している10年生と話していると、手品には三つの鉄則があると教えてくれました。① これから何が始まるか言わない。② ねたを明かさない。③ 繰り返さない。なのだそうです。
これを聞いて気がついたことは、まさにあまり良くない学習活動の典型的な例ではないかということです。習慣として確実に欠けている要素は①と③で、これから何を学習して何ができるようになるのか伝えられていないことがよくあります。そして学習内容を先に進めることに集中するあまり、十分な振り返りや解説を繰り返す機会は少ないでしょう。②については多くの先生方が使命感を持って説明しているのが現実だろうと思いますが、「ねた」を「証拠」evidence, proof、あるいは「材料」materialととらえると、ある事象や公式がなぜそうなるのかという証拠をつきとめたり、深く考察する材料を提供する場面はもしかすると少ないかも知れません。 質問です。 ① 上記の手品の3つのきまりが、学校の中で一番明確にあらわれてくるのは評価の場面でしょう。もしテストの数日前に、何が始まるか(何が出るか)を伝え、ねた(解答を導く材料)を与え、もし会心の出来でなければやり直すことができるという機会を提供したら、子どもたちの中にどのような変化を生むでしょうか。そしてテストの問題はどのように変わるでしょうか。 ② 学習のまとめとしての総括的評価がそのような手順と内容に変わると、学習活動自体はどのように変化するでしょうか。 まずテストで測ろうとする子どもの知識と技能が、単純な暗記で答えられるような問題ではなくなるはずです。学習したことをテストで再生産させるような問題ではなくなるはずです。 そうするとその題材・単元の学習内容と方法が完全に異なってきます。答え探しや反復練習のような作業から、物事の意味、法則、因果関係、応用を探る活動、読解だけでなく分析や表現への発展的な創作活動など可能性は無限に広がります。 To put it in an odd way, too many teachers focus on the teaching and not the learning. They spend most of their time thinking, first, about what they will do, what materials they will use, and what they will ask students to do rather than first considering what the learner will need in order to accomplish the learning goals. Grant Wiggins (2005) Understanding by Design 変な言い方をすれば、多くの教師は生徒が学ぶことではなく、教えることに重点を置いているのです。学習目標を達成するために学習者が何を必要とするかを考えるよりも、まず、自分が何をするか、どんな教材を使うか、生徒に何をさせるかを考えることにほとんどの時間を費やしているのです。 手品師と教師に共通している技は、注目を集めるということでしょうか。 生徒会主導の学園祭が終わりました。全体のプログラム、教室の割り当て、シアターでのパーフォマンスのプログラム作成・会場設営、司会進行など通常の運営と作業に加えて、今年は感染症対策、保護者の招待、QRコードによるチェックイン・アウトのシステム導入などが3年ぶりの規模の学園祭の準備にかぶさりました。
そして一週間後の土曜日の夜にはProm(高等部生が参加するダンスパーティ)がありました。この行事も生徒会の主催で開催されました。 Promが閉会すると楽しかった時間を思い出の袋にさっとしまい込んで、リーダーたちが黙々と会場の体育館の後片付けを始めました。90分で現状復帰をして、みんなで学校を出ました。駅までの道を一緒に歩きながらこの若者たちには “agency” があることを強く感じました。 The concept of student agency, as understood in the context of the OECD Learning Compass 2030, is rooted in the principle that students have the ability and the will to positively influence their own lives and the world around them. Student agency is thus defined as the capacity to set a goal, reflect and act responsibly to effect change. (OECD Future of Education and Skills 2030, 2019) OECDラーニングコンパス2030の文脈で理解されているように、student agencyの概念は、学生が自分の生活や周りの世界に積極的に影響を与える能力と意志を持っているという原則に根ざしています。従って、student agencyは、目標を設定し、反映し、変化に影響を与える責任を持って行動する能力として定義されています。 質問です。 ① 行事などでは、子どもたちに提案権や裁量権が与えられ、それに伴う責任を持つことが期待されます。学習活動や評価にそれと同じ程度の agency (参加、役割、責任) を子どもたちに提供することは可能でしょうか。実現すると、どのような可能性が広がるでしょうか。 ② 子どもたち、教職員、保護者、社会 (地域や企業) が共に参画する co-agencyは進める価値のあるものでしょうか。それを阻むものは何でしょうか。 昨日のOpen Dayでは、まさにボランティアの中高生と教職員のco-agencyでした。そして来校された小学生や保護者の感想から総合すると、「学校を売る」ことに一番得点をゲットしたのは中高生でした。 土曜日を犠牲にして参加してくれた子どもたちへのお礼のお菓子は、彼らの働きぶりとはまったく釣り合っていませんでした。 |
Author萩原 伸郎 Archives
10月 2024
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