卒業式の式辞を準備する時期になりました。昨年の原稿を書く際に集めた資料のメモに目を通しながら、テーマだった成功や失敗について再び考えました。
“How can we change the cultural narrative about rethinking? Can you imagine a world in which saying “I don’t know” is seen as a mark of confident humility instead of ignorance and “I was wrong”is viewed as an act of integrity rather than an admission of incompetence? “ Adam Grant (2021) Think Again 「どうすれば、考えなおすという習慣について文化的な認識を変えることができるのでしょうか。「わからない」と言うことが無知の印ではなく、自信に満ちた謙虚さの証とみなされ、「間違っていた」と言うことが無能を認めるのではなく、誠実な行為とみなされるような世界を想像できるでしょうか。」 質問です。 ① 学校生活や学習の中で、子どもたちは「わからない」「知らない」「間違っていた」という反応やつぶやきを正直に自然に口にすることができる環境があるでしょうか。そのような反応を理解力などの能力ではなく、態度として評価する習慣があるでしょうか。 ② 私たち大人の職場や人間関係の中で、「わからない」「知らない」「間違っていた」という反応を躊躇もなく示すことができる心理的安定性があるでしょうか。 大人でありながら、知らないことだらけの大海の中を小さなヨットで航海をしているような感覚を感じることはないでしょうか。それに対して、周りの人たちがやけに自信に満ちた様子に見えることはないでしょうか。 一方で子どもと接する際に、わからない、できないという言葉を口に出せない苦しみを感じる余裕が、私たちにあるでしょうか。子どもに謙虚に寄り添うやさしさや、言葉にあらわれないつぶやきを感じ取る繊細な感性があるでしょうか。 “There is a difference between not knowing and not knowing yet. I don’t like this yet: leaves room for change I’m not good at this yet: gives space for improvement.” Carol Dweck (2017) Mindset 「知らないことと、まだ知らないことは違います。私はまだこれが好きではない: 変化の余地を残しています。 まだ得意じゃない: 改善の余地を与えています。」 Dweckのこの文章を読むと救われるような感覚を持ちます。”Yet まだ”という言葉の力、可能性を私たち自身も信じる必要があるでしょう。 受験に失敗した自分を救ってくれた先生は、能力でなく態度をいつも評価してくれていました。
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Author萩原 伸郎 Archives
10月 2024
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