John Hattieは、子どもたちに期待する学習成果を導き出すために良い影響・悪い影響のある要因が何であるかを、世界各地から集めた膨大なデータを分析して138種にまとめました。
質問です。 ① ご自身の学習者としての体験から、あるいは親や教師としての体験から重要な要素・要因と感じるものは何でしょうか。 ② 果たして、教育の現場で子どもたちの学習成果を上げるためにICTの影響力はどのぐらいあるでしょうか。視点を換えて、仕事の質や成果を高めるためにICTが担っている範囲はどのくらいでしょうか。 Hattieの分析で明らかになったことは、ICTが学習の質の向上に与える影響力は138中93番目でした。数値化すると0.47で0.4が意味・価値のあるプラスの影響力ととらえる境界線なので、結果としてICTは効果があると分類されたグループに入るものの、大きなものではないという結果になりました。 ある学校の作品展を拝見する機会を得ました。94回目のこの展覧会に並んだ作品の研究内容、方法、発表手段は完全に手作業が基本となっており、今をときめく話題のICTの片鱗を見ることはありません。けれども、一つひとつの作品の質は高く、奥が深く、思考過程や努力の道筋が伝わってくるものでした。 STEAMという看板を掲げ、最新の機材を導入した教室環境を整え、子どもたちを呼び込むのもひとつの方法でしょう。その一方で、人間の感性、手先を使うこと、行動力、本質的な思考方法、手順に沿って個々の作業を積み上げることなどのような人間本来の資質に重点をおいて、子どもたちに投げかけることも別の方法でしょう。 この作品展を観て直感的に感じたことは、Carol TomlinsonがThe Sciences of Teaching (2020) の中で挙げている4つの必須条件のうちの2つと一致することです。ひとつ目はGrowth Mindset. ”Teach students the skills, attitudes, and habit of mind that help someone develop a growth mindset. Dweck cautions that a growth mindset not only requires a person to work hard, it also requires them to work wisely.” 二つ目はSocial-Emotional Skills. ”Help students connect their emotions to what they’re studying. One way to do this is by encouraging students to use the arts in learning.” 学ぶことの意味と本質を見失わずに実践することが、学ぶことと教えることの「科学」に合致することを認識しました。
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1年間留学に行っていた生徒と話す機会がありました。その中で、現地の高校生がクラスでの発表の際に、気持ちが不安定になるからという理由で拒むことが多くあったということを一種の驚きとして話してくれました。
その話を聞いて、Australiaの教室でもそのような事例がよくあったことを思い出しました。そのほかにも試験などでも同じ理由で受けられない子どももいました。 質問です。 ① 子どもだけでなく大人も含めて、どちらかと言うと苦手なこと、嫌なことにも向かっていく力や動機を生むものは何でしょう。住んでいる地域の環境や学校の文化はどのような影響を持つでしょうか。 ② もしクラスの子どもが、発表ができない、試験を受けることはできないと訴えてきたら、教師としてどのような対応をするでしょうか。学習活動や評価を計画する際には常にそのような可能性があることを予測する必要性があるでしょうか。 日本で生活してみると1年のうちで本当に気持ちの良い季節は意外に短いことに気が付きます。そして、学校に通う子どもたちは雨が降れば靴下を濡らさずには学校に着かないこと、重い荷物を背負って通わなければならないこと、通学に長い時間がかかること、拾い上げると負の要因が何と多いことか。 けれどもその生活環境が、たとえばAustraliaのような恵まれた環境で生活する子どもたちと比較して、子どもたちの精神や身体を逞しくしているのだろうというぼんやりとした仮説を持つようになりました。先週のPodcastで自分の将来の計画を話してくれた12年生の話の中にも、つらいことを跳ね返す強さと逞しさを感じました。自分ではどうすることもできない環境や状況の厳しさに直面すること、それがたいへんなことにも負けない勇気や根気 Grit、回復力 Resilience を生み出すひとつの重要な要素のような気がします。 “We all face limits - not just in talent, but in opportunity. But more often than we think, our limits are self-imposed. We try, fail, and conclude we’ve bumped our heads against the ceiling of possibility. Or maybe after taking just a few steps we change direction. In either case, we never venture as far as we might have.” Angela Duckworth (2017) Grit 私たちは誰でも、才能だけでなく、機会においても限界に直面します。しかし、私たちが思っている以上に、その限界は自分で作り出していることが多いのです。挑戦し、失敗し、可能性の天井に頭をぶつけたと結論づける。あるいは、ほんの数歩踏み出しただけで方向転換してしまう。そうして結局のところ、私たちは遠くへ行くことはできないのです。 夏休みの限られた期間に改装工事を予定通りに完成させることは容易なことではないと、海外の学校に勤めている時には常に感じていました。建設会社から完成予定日が提示されても、誰も信じないという残念な現象を生みます。
ところが、日本での体験はその正反対です。昨年に続き、今年の工事も予定通りに終了しました。 質問です。 ① 新しい生活や学習環境が目の前にあらわれた時、人はどのようなことを考えるのでしょうか。どのような絵を描くのでしょうか。 ② 新しい環境から、新しいものの見方のヒントや新しい行動のきっかけが生まれ出てくることを期待している人と、そうでない人がいるようです。その違いが出てくるのはなぜでしょうか。 改修工事が終わって出現した環境を喜ぶ人と、喜べない人がいます。「無いもの」に目が向いてしまい「新しい空間や可能性」には気がつかないという現象です。 そんな時にMaslow’s Hierarchyという理論を思い出しました。マズローの欲求階層説というもので、人の欲求は5段階に分類されるというものです。この学説の興味深いところは、人の動機が「欠乏」から来るものと「成長」から来るものの二つに分けられることです。 5段階の4段階は生理的欲求、安全欲求、親和欲求、承認欲求の欠乏動機によって行動を起こしますが、それらが満たされると一番上の自己実現の欲求が生まれてくるというものです。 Esteem 承認には自分自身が自分を認めることと他人から認められることがありますが、他人から認められていないという感情が、新しい環境を肯定的に見ることができず、自分自身がさらに成長する機会と見ることができないのでしょう。 今回の改修工事の場合、本人が必要と考えている教材等の収容量について誰からもたずねられなかったことが、他人から認められていないという感情を生んだのかもしれません。限られた面積の中で優先順位の高いものに十分なスペースを与える方針を貫くと、私物の保管スペースは最小限にならざるを得ないでしょう。 物理的な制限があるとそれに対応しなければならないのは当然のことで、その過程で何が必要で何が必要で無いかを考える機会が出てきます。物にあふれている生活に慣れきっていると際限のない物的欲求が深まっていきます。その習慣に一区切りをつけることは大切なことでしょう。改修工事は来年の夏休みも実施されます。 |
Author萩原 伸郎 Archives
12月 2024
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