今年しばしば目にした言葉が “ikigai” です。今月出版された本の第1章にも出てきました。
Literally, ikigai means "a reason for being"; more colloquially, it means the reason one gets up in the morning. To find your ikigai, you draw four overlapping circles, one for what you love, one for what you are good at, one for what you can actually be paid to do, and one for what the world needs. What lies in the middle is your ikigai. If you are being in the particular school you are in and doing the particular work you are doing is your ikigai, brilliant. If not, it may be time to consider either how you spend your time in the school or whether this school or this specific job is right for you. Dream Team, Aaron Tait and Dave Faulkner 四要素が重なり合った部分が “ikigai” というのが定説ですが、日本人が一般的に「生き甲斐」という言葉を使うとき、有償無償に関係なく、誰かのためになっているという確信から個人が抱く自己有用感、充足感に基づいているように感じます。ここの説明にあるように「世界(世の中)が必要としているもの」という定義づけはやや強引な印象を受けます。 しかしながら、仕事を基準に考えた場合、自分にとって得意で好きなことをして給与を受け結果として世の中のためになっていると実感できることが理想の職業選択かもしれません。教職はそのような幸福感を感じることができる職業のひとつだと思います。 質問です。
教師が日々の仕事から生き甲斐を感じるのは、自分のしていることやめざしていることが子どもたちや学校のためになっていると確信するからでしょう。だからこそ、私たちは自分の時間や私生活を後回しにしてまで教師としての任務に向き合います。 多くの先生方にとって、2018年もそのような毎日の積み重ねだったことと思います。そして、手にするものは必ずしもその労力と時間に見合うものではないかもしれません。子どもたちの反応や成長が期待通りではなかったかもしれません。保護者や管理職からの感謝や労いの言葉も届かなかったかもしれません。それでも私たちは教職の意味と意義を全身全霊で理解しているので、へこたれず不平も言わず前へ歩き続けます。 年末年始には、そんなご自身の心と体に十分な労いとご褒美をあげて主電源を切ってみませんか。そして再び主電源を入れるとき、2019年はご自分の好きなこと、得意なことの量と質を上げることをめざしてみてはいかがでしょうか。もちろん生活と仕事の平衡感覚も保ち続けてほしいと思います。
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毎年クリスマスが近づくと家族どうしの付き合いがある友人たちとプレゼントの交換をします。こちらでは手づくりのものが一番珍重されます。1年ぶりに味わう…さんのお菓子。親しみのあるいつもの味を楽しみながら、ゆく年を振り返るといった感じです。
今年もある友人から恒例の手づくりのプレゼントをいただきました。10種類の焼き菓子やペーストなどが我が家のクリスマスのテーブルを豊かなものにしてくれました。 各家庭では25日の家族、親戚、友人たちとの大会食のために数日前から準備を始めます。そして誰もが楽しいクリスマスを過ごせるように、やさしい気配りが静かにゆき渡ります。この国に移り住んだ30年前から毎年多くの友人たちが会食に家族として迎えてくれました。手づくりのごちそうを囲んであたたかくゆっくりとした時間を過ごすことができました。 質問です。
一年を通して数々の行事やイベントに私たちを家族として迎え入れてくれた友人たちの存在は、もはや日本で冠婚葬祭で目にする親戚以上の意味があります。生まれ育った環境以外の場所で、地域に生きることはこういう現象をもたらすものだということを感じます。 同時に日本の社会や地域の人々が、日本以外の国から来られた人々をあたたかく迎え入れているか気になります。「あたたかく」ということは感覚的なものだけではなく、人権や尊厳といった不可侵の絶対的権利が認められているかということも含みます。 さて、日本各地のスーパーマーケットは、おいしそうなお惣菜や食料品であふれています。とりわけこの時期になると一層にぎやかなことでしょう。このことはもしかすると日本人が家庭で「手づくり」をしなくなったということを示しているのかもしれません。 私は東京にいたこの夏、ペットボトル入りの麦茶を買うことに抵抗を感じ、焙煎麦をやかんで沸かして作りました。手間はかかりますが、安価で自分の好みの濃さに作ることができました。 物事の選択は様々な事実や理由が複合的に絡まった結果でしょう。安直に良し悪しをいうべきではありませんが、ある種のこだわりを持つことは価値がありそうです。 昨年学校に訪ねてきたドイツの大学の研究者から、言語教育に関する研究のためのインタビューの依頼を受けました。日時を決めてFaceTimeですることにしました。
FaceTimeの前に送ってきた質問に目を通すと主題は2030年の教育の姿についてでした。テクノロジーがさらに進化し、世界中の様々な分野で2018年とはまったく異なった新しい常識が一般化する時、学校で言語を教える教師の仕事はどうなっているだろうか、大学での教員養成はどうなっているだろうかという質問です。 答えを準備している時、昨年のある出来事を思い出しました。7年生の日本語の一番最初のクラスが出張と重なってしまいました。そこで自習課題を出しておきました。学校に戻って子どもたちの学習に目を通すと、何人もがひらがなで私にメッセージを書いてくれていました。まだ習っていない言語で一体どうやって書いたのだろうと率直に疑問に思いましたが、各自が持っているiPadでそのようなことは「朝飯前」なのです。 インタビューで出た質問の一部です。
言語、とりわけ外国語の学習はどれだけ多くの単語や熟語を暗記し、あるいは辞書の助けを借りて、与えられた文章などを読み砕いていくという作業の繰り返しでした。現在でもその暗号解読に似た方法は継承されています。 これまで学習内容の中核的な内容を占めていたWhat (単語、文法、発音など)とHow (読解、聴解、表現) は必然性を失うだろうと予想しています。人間の頭で学習し習熟されていく領域はWhyだと思います。例えば、母国語と外国語の比較を通して、表現のし方や語順の違いを発見して分析する学習、単語の意味範囲や含蓄の違い、物事の見方や考え方の違いなどが学習の中心になるのではないでしょうか。 そうなると、英語、フランス語、中国語などを個別な教科として学習する意味も薄れていくでしょう。教科として区別されてきた地理、歴史、政治経済、音楽、美術、家庭科、国語、外国語が有機的に混ざり合って、例えば「フランス革命」を総合的に学習していくというようなカリキュラムが主流になると信じています。さらに、教科書を学習していく受け身の学習は存在し得なくなり、子どもたちが様々なつながりを自分たちで探っていき「知識」をつくっていく主体性の高い学習活動になるでしょう。 インタビューを受けながら私の答えは大きくなりました。 2か月ほど前から相談を持ちかけられていましたが、お互いの日程が合わずにのびのびになっていました。ようやく先日の土曜日の午後に都合が合い会うことがきました。
8年前の卒業生で、お父さんが弁護士をされているので、その影響もあって法学部に進学しました。こつこつと努力を重ねて大学を卒業し、弁護士になるための課程を無事に終えて、企業を顧客とする法律事務所に就職しました。しばらくして、自分は家庭や家族にかかわる分野に向いていると感じて、それらを専門とする法律事務所に転勤して今に至ります。そして今回の相談の理由となる「別の考え」が彼の頭の中を支配し始めます。 「たどり着いた職を辞めて、自分に本当に合う仕事、本当に好きな仕事がしたい」と言いました。机に向かって膨大な資料や調査をまとめ法律と照らし合わせる高度な作業を長時間続けながら、これは自分がしたかった仕事、天職ではないという感覚が次第に大きくなってきたと言います。彼が今感じている天職とはHigh schoolの教師です。 質問です。
毎年5人ぐらいの卒業生を訪ね、彼らの卒業後の人生の歩みを映像にしています。数回にわたって会い、いろいろと話を聞き、職場も見せてもらっています。誰もが順風満帆には物事が進まず辛抱や試練の時期を持っていますが、その時のたゆまない努力が現在の幸福感や充実感と結びついていることを感じます。その部分の映像もまた観る人々、とりわけ在校生にとって、価値の高い示唆になります。今年撮った卒業生、専門学校で学んだ内容が自分の興味とは合わないことを直感し建築作業員として一から学び、総工費が数億円の建設を扱う会社を経営。大学を中退し高校生の時からアルバイトをしていた全国チェーンの衣料雑貨大型店で働き続け、州のマネージャに昇格。4人の子育て中の34歳の時に大学で看護学を学び始め、公立病院の看護師として勤務。音楽院2年生でJazzに情熱を失いClassical music専攻に切り替えて博士号まで取得、音楽院で教鞭。 教師への転職を決めた彼は、来年新学期から教員養成の講座を受講する予定です。しばらくは現在の仕事を続けながらの二重生活になりますが、彼なら無事に乗りきることができるでしょう。弁護士の経験が子どもたちとの学習活動にどんな特徴や個性を生み出すのか、その教室で生徒として見てみたいものです。 |
Author萩原 伸郎 Archives
8月 2024
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