毎年クリスマスが近づくと家族どうしの付き合いがある友人たちとプレゼントの交換をします。こちらでは手づくりのものが一番珍重されます。1年ぶりに味わう…さんのお菓子。親しみのあるいつもの味を楽しみながら、ゆく年を振り返るといった感じです。
今年もある友人から恒例の手づくりのプレゼントをいただきました。10種類の焼き菓子やペーストなどが我が家のクリスマスのテーブルを豊かなものにしてくれました。 各家庭では25日の家族、親戚、友人たちとの大会食のために数日前から準備を始めます。そして誰もが楽しいクリスマスを過ごせるように、やさしい気配りが静かにゆき渡ります。この国に移り住んだ30年前から毎年多くの友人たちが会食に家族として迎えてくれました。手づくりのごちそうを囲んであたたかくゆっくりとした時間を過ごすことができました。 質問です。
一年を通して数々の行事やイベントに私たちを家族として迎え入れてくれた友人たちの存在は、もはや日本で冠婚葬祭で目にする親戚以上の意味があります。生まれ育った環境以外の場所で、地域に生きることはこういう現象をもたらすものだということを感じます。 同時に日本の社会や地域の人々が、日本以外の国から来られた人々をあたたかく迎え入れているか気になります。「あたたかく」ということは感覚的なものだけではなく、人権や尊厳といった不可侵の絶対的権利が認められているかということも含みます。 さて、日本各地のスーパーマーケットは、おいしそうなお惣菜や食料品であふれています。とりわけこの時期になると一層にぎやかなことでしょう。このことはもしかすると日本人が家庭で「手づくり」をしなくなったということを示しているのかもしれません。 私は東京にいたこの夏、ペットボトル入りの麦茶を買うことに抵抗を感じ、焙煎麦をやかんで沸かして作りました。手間はかかりますが、安価で自分の好みの濃さに作ることができました。 物事の選択は様々な事実や理由が複合的に絡まった結果でしょう。安直に良し悪しをいうべきではありませんが、ある種のこだわりを持つことは価値がありそうです。
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Author萩原 伸郎 Archives
8月 2024
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