外務省から海外在住の邦人に「緊急情報」というmailが送信されてきます。今週は緊急事態宣言の発令があったために数回送られてきました。これらのmailの共通点は「外務省海外安全ホームページ」というwebsiteのlinkと「詳細をご確認ください」という一文を加えるだけで「情報」が構成できる、そして受け手が読み理解するという発信側の思い込みです。
そのlinkを素直に開くと、醜く見にくいwebsiteがあらわれてわかりにくい冗長な文章が続きます。 質問です。
外務省が発信している文章は『日本語の作文技術』本多勝一 (1982)の中で指摘されている「無神経な文章」の特徴があらわれています。
Emotional Intelligence (EQ) の構成要素のひとつ ‘Empathy’ はCognitive empathy: 他者の視点や観点を理解する能力、Emotional empathy: 他者が感じていることを自分も感じる能力、Empathic concern: 他者が何を自分から必要としているかを感じる能力から成り立ちます。Daniel Goleman (2013) 情報担当部署の人々が、情報は受け手の目や心理にどう映るか、それは発信側の目的に合致しているか、受け手にわかりやすさだけでなく発信側のあたたかさや親しみやすさを伝えているか、緊張感の中にも希望や期待、連帯感を含めているか、不明なことや不安なことはないだろうか、発信側は何を改善する必要があるか、などを考察する習慣があれば情報の質は上がるでしょう。 組織やその構成員のEQは物事の成否を左右する要素ですが、その事実に気がついていないということが現実のような気がします。
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In the past, jobs were about muscles, now they’re about brains, but in the future they’ll be about the heart. Minouche Shafik, London School of Economics
今週本を読んでいてめぐり合った一文です。 人間が従事する仕事の内容が時代の進化に伴って変化していることは私たち自身も実体験として感じています。心情、思慮、思いやりという人間性は指導的立場にいる人にとって必要な要素であることは以前から指摘されています。 Compassion is the quality of having positive intentions and real concern for others. Compassion in leadership creates stronger connections between people. Harvard Business Review (2020) 近未来の仕事や経済活動は、各自が思いやりなどの人間性も包含するEmotional Intelligenceを豊かにしていくことが必然的になるという予想。明るい将来を感じます。 質問です。
2020年の大晦日に豪首相が突然の発表をしました。新年1月1日から国歌の歌詞がこれまでの “For we are young and free.” から “For we are one and free.” に換わるという内容です。 連邦国としての建国は1901年ですが、4万年以上も前から先住民が定住していた史実と先住民族のidentityを考慮するとyoungの一語は明らかに誤りという認識がもとになっています。様々なことがあった年の締めくくりにふさわしいさわやかなnewsになりました。 私たち教師の仕事はこれまでも、そしてこれからも muscles, brains, heartsを使いこなすことが要求される独特な世界の中に存在するように思います。そしてもう一つ特徴的なことは職務を遂行する上で私たち一人ひとりがleaderであるということです。 Leadership is not about titles, status and power over people. Leaders are people who hold themselves accountable for recognising the potential in people and ideas, and developing that potential. Brene Brown (2018) Dare To Lead 今年も良い仕事をしていきましょう。 強い日差しの中を運転していて交差点に近づくと信号が赤にかわりました。車を停止して数秒後、何か落ち着いた穏やかな気持ちになりました。左側の街路樹がつくる木陰の中にいるからでした。
街路樹が大きく育ち、長い夏の間涼しげな木陰を提供しています。 Joggingやcyclingをしていて折り返し地点で180度方向をかえた瞬間、強い向かい風が吹いていることに気がつくことがあります。体全体を背後から押してくれていた追い風の時にはまったくその風の存在に気がついていなかったのです。 風は私たちの意識や認識に関係なく吹いていて前進を助けたり妨げたりします。 質問です。
毎週木曜日は私たちの地域のごみ収集日です。各家庭は360Lのごみ容器を道に出します。Christmas Eveの朝、近所の家のごみ容器の上に収集車の運転手さんへの贈り物が載っていました。それを見たというだけでとても幸せな気持ちになりました。 この日には東京の高校からChallenge Based Learningを体験した生徒さん方の感想が送られてきました。純粋で素直な文章にふれてさらに大きな感動を得ました。 「正直人と協力してやるより一人で頑張る方がいいと思っていたが、「一人では絶対できなかったな」「メンバーがいてくれてよかった」と感じることが本当によかった。」 「こういう風に一から十まで自分たちでこんなに深く細かく1つのことを調べ上げるなんてなかなかない。意見を1つ立証するにもたくさんの根拠や数字が必要なのだと知り、偏った意見はもう持てないなぁと思った。」 その後で自分のCBLの9年生が書いた振り返りにも再び目を通しました。 “There aren’t always shortcuts in life. You might need to take the long way to solve your problems.” 自然や環境、人から無数の影響や刺激を受けますが、それらを肯定的な力に変えることができるかどうかは、各自の謙虚さとmindsetに寄るところが多いように思います。 そして年末に思うことは、今年も子どもたちと共に成長したという事実です。 Sweden国王、Carl Gustafが恒例のChristmas演説の中で自国のCOVID対策が失敗だったという意見を述べていました。政府を批判するという姿勢ではなく、個人として感情を含めずに語る国王の表情から、その私見を演説に含めることが熟慮の結論であることが伝わりました。
私たちの日々の生活の中には知らないことが多いことにしばしば気がつきます。けれども、2020年は世界の規模で人類が未知の現象や事象に向かい合うことの意味と現実を知った年でした。 年間計画に基づいて運営される学校教育の分野でも、予定していた教育活動の代替案や新しい方法を考え出すことが要求されました。 質問です。
Pokerを職業としているだけでなく心理学者でもあるMaria Konnikovaとの対談に興味深い指摘がありました。自分の力では不可能な物事があることを認識すること。自分が物事を判断する過程を第三者の視点で問いかけること。自分の感情の動きに対しても第三者の視点で眺めること。人には感情があることを意識すること。不確実性が支配するPokerの勝負の中で冷静に自分の判断をする力を鍛えた人の言葉には、私たち教師にも通用する部分があると思います。 Mary Poppinsの映画にも2020年を締めくくるのにふさわしい台詞が散りばめられています。 "In every job that must be done, there is an element of fun. You find the fun and SNAP. The job's a game." 何をするにもその中に「楽しさ」があること、それを見つける力を持ちたいと思います。 Mary PoppinsがBanks家を去る際におしゃべりな傘に向かっていう台詞です。 "Perfectly practical people never permit sentiment to muddle their thinking." 「道理を感情で曲げない」ことも心がけたいと思います。 9日に私たちの学校の2020年の教育活動の締めくくりの祭典 Awards Nightがありました。合計で231の賞を授与しました。子どもたちの誇らしげでありながらも謙虚な表情が印象に残りました。
今年のAwards Nightの主題と主題歌はSeasons of Loveです。Broadway musicalのRentの主題歌として有名ですが、その歌詞にある"How do you measure? Measure a year?"が子どもたち、教職員、保護者への問いかけでもあります。この1年525600分に体験したこと学んだことの総量は例年の比ではないでしょう。 質問です。
Irelandの外務大臣が"Important message for children of Ireland"というTweetを発信していました。「Santaは来ますよ。SantaはCOVIDの海外出入国規制には関係ないのでね。でもSantaもsocial distancingの約束は守らなければならないことをみなさんはおぼえていてくださいね。」 現状を短時間のうちに改善することは不可能なこの時こそ、明るく振る舞うことの大切さは他人にはもちろんのこと自分自身の心身の健全性にも不可欠なようです。The Guardian紙に"Remember to smile with your eyes"という記事がありました。Maskをしていても目が合った人と目で微笑みを贈ることができますよという内容でした。日本人には見知らぬ人に微笑むという習慣はありませんが、maskで顔の大部分を隠しているという安心感を借りて行き交う際に目が合った人に目で微笑んでみてはいかがでしょう。 以前から多くのPositive psychologyの研究者が見知らぬ他人と微笑んだりする行動が幸福感を増すことを立証しています。 さて、Seasons of Loveの曲に愛はどうやって測れば良いのだろうという一節があります。それを聴きながら2羽のうさぎが相手にこのぐらい好きだよと伝えあうお話の絵本"Guess How Much I Love You"の裏表紙にある文章を思い出しました。 "Sometimes, when you love someone very, very much, you want to find a way of describing how great your feelings are. But, as Little Nutbrown Hare and Big Nutbrown Hare discover, love is not an easy thing to measure!" 「先生たちにもDress codeがあるんですか。」と8年生の男の子がRoboticsの作業中にたずねてきました。質問の意図を直感しましたがあらためて確かめると、「気楽な服装でいる先生たちがいるから。」と答えが返ってきました。
制服の必要性についての議論は別にして、制服が存在し正しい着用を要求しているのなら教職員も制服に準じた服装をすることは当然の道理でしょう。現実は、教職員の間に拡大解釈が蔓延しています。子どもたちに窮屈なtieをしめさせ、先生たちは快適なpoloで過ごしている光景は子どもたちに不条理だという意識を持たせることにならないでしょうか。 担当の先生が不在の際には空き時間のある別の先生が代替として入ります。空き時間を失うことにReactして、教室の子どもたちにやるべきことを伝えると、一切の関わりを拒むようにlaptopをひろげて自分の世界に入り込む先生がいます。一方でProactiveの態度を無意識のうちに選択し、他の先生の教室の様子や雰囲気、子どもたちの学習意欲や習慣など、たくさんの情報を集める機会ととらえることができる先生もいます。 質問です。
教師になった1年目のある日、教頭先生から通勤時に通学路を歩く時は子どもたちが歩く側を歩くようにと指導されました。反対側の方が人通りが少なく速く歩けるのですが、子どもたちと同じことをすることの意味を知りました。 Global Teacher Status Index 2018という報告書が先日発表されました。教師の社会的地位や教職の社会的認識に関する調査結果の国際比較で、目を引いたのは教師や教職が社会的に尊敬されているかどうかの数値化の方法でした。自分の子どもに将来教師になることを勧めますかという質問の回答から「尊敬度」を割り出しています。日本は回答者の10%という結果でした。 教師を尊敬するか教職が尊敬されているかという判断基準は個人的な体験がもとになっていて、職業の選択肢とは異なる次元の心情的なものではないでしょうか。学校の中や外で子どもたちが見る先生の言動のすべての副産物、先生が子どもたちにする仕事のすべての副産物が「尊敬」なのだと思います。 29日の日曜日からAdvent 待降節が始まります。和訳が示すようにChristの誕生日 Christmasを「待つ」期間です。人間にとって待つことは準備をすることと同様に生活の一部です。
小学校2年生の国語の教科書に出てくる『お手紙』の物語には、かえるくんががまくんに出した手紙を二人で待っている場面があります。四日目にかたつむりくんがそのお手紙を届けます。『ふたりとも、とてもしあわせな気もちで、そこにすわっていました。長いことまっていました。』 手紙の文化を知っている人は幸せな気持ちで待つことの体験を共有しています。今の子どもたちは習慣として手紙を書いたりもっらたりすることが日常的ではないので、その心情を理解することはむずかしいでしょう。 Carpenters の "Yesterday Once More" には期待をして待つことの体験が歌われています。 " When I was young I'd listen to the radio Waiting for my favourite songs When they played I'd sing along, it made me smile" Streamingで好きな曲を好きな時に好きなだけ聴く習慣を持つteenagersに、待っていた曲がようやくかかった時の感情を伝えることはほとんど不可能なように思います。 質問です。
子どもの自己抑制力や意志力についての研究のひとつ、The Marshmallow Test の50数年にわたる追跡調査から明らかになったことは、ある程度予想がつくものでした。15分間marshmallowを目の前にしながらも食べるのを我慢することができた4~5歳児(被験児の三分の一)のその後の人生は、食べてしまった子どもたちと比較すると知的社会的に優位な環境の中で生活しています。 9年生の4人組は起業projectに真剣に取り組むことができないうちに14週が過ぎてしまいました。けれども突然それぞれが動きだし先週成功させました。彼らの表情を見ながら、待っていて良かったとつくづく思いました。 11月になるとJacarandaの花が咲き始めます。そして遠目に紫色の塊が目に入ると、あそこにもJacarandaがあったのかという発見があります。
このことは、私たちが学校で毎日接している子どもたちの中からいつもとは異なる行いやつぶやきに気がついたり、表に出てくることのなかった能力や可能性の一片を見つけたりすることと似ているようです。観ているようで見落としていること、花という形で現れないと存在に気がつかないことが多いという私たちの目や感性、記憶の不確実性を紫の花が静かに伝えてくれているように感じます。 11月は試験の月でもあります。92科目(そのうち42科目は外国語)8週間に及ぶ大学入学共通試験も終わりました。今年は新しい「規則」が加わりました。すべての腕時計を試験場に持ち込まないという規則です。そこから波及して、各学校での定期試験でも腕時計は禁止になりました。 質問です。
今日の試験制度や方法は学校教育制度が整って以来、目的や意味、信頼性についての分析や検証、必然性についての議論がなく続いています。効率的に個人の能力、とりわけ世間一般で言う「学力」、が測定できるという確信に基づいていますが、実際のところ結果の数字が示すことは純粋な「学力」ではなく理解度や定着度、性格や習慣などの二次的な要素が大きく含まれていることを認識する必要があるでしょう。 一般的な試験は教師が教えた内容の再生産を子どもたちに要求するので、そこから判明することは理解力ではなく理解の程度ではないでしょうか。指導を担当した教師だったら期末試験前に誰がどのくらいの点数を取るか予想がつきます。それでも日程通り試験を実施し成績をつけてしまいます。 物事を学習すること、理解すること、何かができるようになるということを科学的にとらえると、紙とえんぴつの試験以外の方法でないと子どもの能力を正しく測ることはできないことに気がつきます。 たとえば、様々な職域の技能検定では道具を持ち込んで自分の技を披露します。同様に学校の教科でも子どもたちに、自分が必要だと思うすべての物を持ち込んで、もちろんInternetや機器も、何ができるかどんな課題が解けるかという「試験」の機会を提供したらどうでしょう。きっと目を引く美しい花を咲かせるだろうと思います。 木曜日の夕方から恒例の行事River Cruiseがありました。
船上から美しい景色を眺めたり、夕食を食べたり、danceを楽しんでいる10年生を見ながら、こんな贅沢な行事がpandemic下で感染不安を持たずにできるのは世界中でもWestern Australiaだけだという事実を何回も思い起こしました。 WAが今世界中で一番安全なのは、州政府の判断と施策が正しかったこと、とりわけ州首相のleadershipによるところが大きいと言えます。最近の支持率は90%を超え、州民からの信託はとてもあついものになっています。 高い支持率と言えば、先月行われたNZの総選挙ではJacinda Ardernと労働党は、過去50年のなかで最も高い支持を受けました。 質問です。
指導的な立場にいる人がどのような人物なのか、私たちは意識的にも無意識的にもそれを判断する材料や証拠を探しています。その心理行動を先回りして、人工的に良い印象を作り上げる技を使う人もいます。EQがあまり高くなく、自分のことを相手がどう観るかということに無頓着な人もいます。人柄や個性は、しかしながら、ごまかしが効かないもののようです。 Your personality - the sum of your consistent attitudes and behaviours - is merely a byproduct of identity. Harvard Business Review (2020) あなたの人柄や個性は首尾一貫した態度と行動の総体で、identityの副産物に過ぎません。 日曜日の閉店間近のshoppig centreの店先で 「Hi Noburo!」 と誰かが声をかけてきました。見ると帽子をまぶかにかぶった州首相です。「カミさんに買い物を頼まれて急いで来たんだ。」彼は私たちと同じ地域に住んでいます。Jacinda Ardernは投票日の朝、選挙運動を手伝ってくれた人々に手作りのCheese sconesを持参して振るまいました。これらの小さな出来事や行動が私たちに強い印象を残します。 4年前の11月にKen RobinsonがTwitterに投稿したつぶやきが思い出されます。 I can't believe that the citizens of the United States have elected Donald Trump as their President. Do you have any idea what you've done? 学年末が近づき、子どもたちは成績について気になりはじめたようです。休み時間に「Aを取ったら両親から$50もらえるんだ。」と無邪気に話す7年生がいました。
Catholic Education Officeの方針に準拠している私たちの成績表は意味と価値が低いものになっています。子どもたちも保護者もLMSから最新の学習結果を見ることができるのに教職員が成績表を作成する意味があるのかという業務の効率化の観点から議論ができます。しかしながらもっと根本的な疑問から議論する必要があると思います。それは各教科の学習成果を5段階で評価する意味と成績表が子どもへのfeedbackとして機能していないという2点についてです。 質問です。
Feedback is useful information about the effects of an action in light of a goal. If I tell a joke, the goal is laughter; the “effect” is whether or not people laugh and to what extent. The specific kind and amount of laughter is the feedback. Advice might follow from a veteran comic to a joke that fell flat: “You need to work on your timing.” But unless I have clear feedback related to timing the advice is not very helpful. Grant Wiggins (2014) 3つの所見例はどれも教師からの大切な称賛、忠告、助言ですが純粋な意味でのfeedbackではないというのがWiggins教授の説明です。 John Hattieはさらに構造的に説明しています。Feed Up この単元の終わりに、この学期末に何ができるようになっているか。Feed Back どのように学習が進んでいるかいないか。理解度、習熟度はどうか。Feed Forward 次に何を学ぶか、何ができるようになるか。そしてfeedの際に観察・考察する対象は学習課題だけでなく、学習の過程、学習に際しての自己管理を含めることも重要な視点と指摘しています。John Hattie (2020) The Power Of Feedback この3段構造と3つの視点は「進行形」であり、学習や能力を「総合的」にとらえています。現在多くの学校で継続されている成績表の「過去形」で「部分的」な特徴との大きな違いだと思います。 |
AuthorNoburo Hagiwara Archives
12 月 2020
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