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勤務校で毎年楽しみにしている作品展がありました。7年生から12年生までがこの学年で取り組んだ多種多様な創作活動の成果が並びます。そして来場者へのもてなしも創作活動のひとつです。このイベントは、まさにCreativityの祭典です。(3分30秒のダイジェスト版はこちらです。これらの他にdigital media系やgameなどのprograming系の作品もありました。)
一つひとつの作品を見入ると、制作した子どもたちの声や表情が伝わってくるように感じます。制作の過程で工夫したことや期待通りに進まなかったこともあっただろうと想像しながらそれらの作品を鑑賞していると、どれもが堂々と胸を張って存在し、明らかにそこには見た目の完成度の良し悪しや他者との比較といった尺度は制作者にはないように感じられます。全体を鑑賞し終えてから、いわゆる普通教科の学習活動と本質的に何が異なるのか、あるいは同じなのか考えました。 質問です。 ① 子どもたちの学習活動への集中度、習熟度、達成感、Ownershipが創作活動を主とする教科と知識や理解、思考力を主とする普通教科に違いがあるでしょうか。 ② 教科を問わず、Creativityに必要な要素とその過程は何でしょうか。 子どもたちが創作活動に向かう時、まず成果物や完成品を見ること・思い浮かべることから始まります。この時点で子どもたちは学習活動の目的を明確に認識・意識します。次に先生からどのようなステップで進めば良いのか説明を受けるでしょう。その時に自分は何ができて、何ができないかを認識するでしょう。そしてどのようなサポートがいつ必要なのか自身で認識します。制作作業に入る前にはどのように進めば良いのか自分なりの計画を立てるでしょう。実際に制作が始まると、自分が活動しやすい進度で進めていきます。毎時間の終わりには進捗状況を振り返り、次にするべきことを明確に意識します。こうして作品が完成に近づいていきます。 子どもたちが制作の過程で自分は何ができないか、むずかしいか、理解できないかを認識した時にどのようなサポートを得ることができるかということが重要なポイントになります。これが心理学者のVygotskyが提唱したThe zone of proximal development (ZPD)です。自分ができることとできないことの間にZPDが存在し、教師、友だち、家族、資料などからのサポートを得て、できなかったことができるようになっていくという過程です。 ZPDによって子どもたちは一つひとつハードルを越えて思い描いている完成に近づいていきます。この過程があることで自分の学習や制作に向かい合いより強いOwnershipを持つことにつながっていきます。 こうして見てくると、創作活動が主となる教科だけでなく、普通教科でもこのサイクルは当てはまりそうです。具体的に考察してみると、学習単元の終わりに自分は何ができるようになるのか、何が理解できるようになるのかという学習の出口が普通教科では若干不明確の場合があるでしょう。さらに学習活動がどのように進んでいくかは、たいていの場合教師主導型の学習活動のために明確ではありません。そして学習の進度は自分のペースでとはならず、全体と合わせなければなりません。 これらの違いがあるものの、さほど大きな問題ではなさそうです。普通教科と芸術的教科とは学習内容も方法も根本的に異なるという先入観を捨てること。表現を換えれば、学習活動の日常の習慣を少し修正することで、創作活動が主となる教科のように普通教科も子どもたちの学習へのOwnershipを確保して、集中度や達成感を味わうことのできる学習活動が可能なのではないでしょうか。たとえば、学習活動の中にドリル的な反復練習ではなく、意味のある創作的な活動を加えることも一案です。 Australiaの中等教育学校での英語の学習は、教科書をもとに学習を進めるというのではなく、物語文の学習の時には1冊の本を読み深めていきます。先学期には英語担当の教員の都合が悪い時に、7年生のいくつかの英語のクラスの補教することが数回ありました。それらのクラスは200ページを越える自伝小説を教材として使っていましたが、担当教員からの申し送りメモには、場面ごとのまとまりを子どもたちひとりずつ1ページを音読させてください、とありました。半信半疑でそのやり方を教室で始めると、驚いたことに、多様な子どもたちのいるそれらのクラスで意外にもこの輪読は成功しているのでした。音読が得意な子も、苦手意識がある子も、挙手して自らの意思で音読します。場面が長い時には授業時間の終わりまで45分間以上読み続けたこともありました。
全員で音読し読み深めるという伝統的な手法の学習活動ですが、なぜこの方法に子どもたちは集中しているのか。学習心理学のヒントがあるように感じました。 質問です。 ① 学習活動の中で子どもたちがとても高い集中度を示したという体験事例はいくつもあると思います。あるいは自身が学習者として、高度な集中を体験されたこともたくさんあると思います。それらの場面で共通している要素は何でしょうか。 ② 日常の学習活動の中で、目の前の子どもたちの学習への集中度はどのくらいでしょうか。そのことを意識する機会はどのくらいの頻度で訪れるでしょうか。 学習活動への集中度について考えている時に、次のレポートが目にとまりました。 Top 5 tips for better engagement 1. Be engaged 教師が教えることに集中していること A key to actively engage learners is to be an actively engaged teacher. Students told us they want to see our passion for what we do and our interest in the content we are teaching them. 2. Be engaging 学習する内容に引きつけられる要素があること Students know that sometimes learning involves doing things that are not that fun or enjoyable, but that doesn’t mean teachers can’t do things to make learning more engaging for students. 3. Help us get actively engaged 学習者が積極的にかかわること Students told us they want to be actively engaged in what they are learning and not just stuck in passive participating mode all the time. They expressed an interest in learning about learning and discovering what works for them as a learner. 4. Engage with us 教師が学習者と向き合っていること Relationships are at the core of learner engagement and the student responses suggest they are very aware of the importance of feeling a sense of connection with their teacher. This included feeling valued, understood, supported and safe, but also challenged to grow and improve. Students don’t want us to make things easy for them, they want us to believe in their capacity to achieve and grow as learners. 5. Listen to us and trust us 教師が学習者に耳を傾けていること Active engagement involves agency and voice. That is, students expressed their desire to have a say in what they learn and how they learn, so they feel empowered to take actions that increases engagement, which in turn helps them achieve their learning goals. Australian Council for Educational Research (2025) Growing the seeds of engagement: Students share their top tips for teachers 私たち、教師のありようが子どもたちの集中度に密接に関わっていることがわかります。 北半球では夏休みが終わり、新しい学期が始まった、あるいは始まろうとしている時期でしょうか。久しぶりに会う子どもたちは休みの間に背が伸びていたり顔つきがかわっていたり、それらを発見するたびに成長期の人間を相手にする仕事に就いていることにおもしろさを感じると同時に、大きな責任を感じる時でもあります。
質問です。 ① 学期の最初に子どもたちに何を話しますか。どんな質問をしますか。 ② 休み前の学期で学習した内容を子どもたちは正確に覚えている、身につけていることを期待しますか。それとも忘れていても仕方がないという心構えを持ちますか。 学校での教育活動は「学習の科学」に基づいた実践が行われる必要がありますが、実際には非科学的な、言葉を換えれば旧態依然の慣習を継承していることが多いように思います。今日は学びの科学に基づいた実践例として Retrieval Practice (想起練習) について考えたいと思います。 "Retrieval practice is a strategy in which calling information to mind subsequently enhances and boosts learning. Deliberately recalling information forces us to pull our knowledge "out”and examine what we know. For instance, I might have thought that I knew who the fourth U.S. President was, but I can't be sure unless I try to come up with the answer myself (it was James Madison). Often, we think we've learned some piece of information, but we come to realise we struggle when we try to recall the answer. It's precisely this "struggle" or challenge that improves our memory and learning by trying to recall information, we exercise or strengthen our memory, and we can also identify gaps in our learning." Pooja Agarwal (2020) How to Use Retrieval Practice to Improve Learning 「想起練習とは、情報を意識に呼び起こすことで学習効果を高め強化する方法です。意図的に情報を想起させる行為は、学習者に既習知識を「引き出す」ことを強制し、自分が何を知っているかを明確にします。」 このRetrieval Practiceの理論に基づいて新しい学期の最初に子どもたちへの問いかけを考えると、「夏休みの間に何をしましたか」ではなく、「夏休みに学んだことは何ですか」が適切な問いになるでしょう。そして、学んだことをふたつ挙げてもらうと、子どもたちの思考をより活性化させることにつながるようです。まず最初に、先生ご自身が休み中に何を学ばれたのかをお話しされてからこの問いかけをすると、子どもたちにとってこの質問がより身近なものになるでしょう。 私は子どもたちに質問を投げかけた時に、Think-Pair-Shareという3段階を取ります。これもRetrieval Practiceのひとつですが、まず自分一人で考える・振り返る時間を与える、次にペアでその内容を共有し合う、最後にグループやクラスで発表するという手順で進めます。子どもたちのMetacognition を鍛え、心理的安全性を確保することに効果があります。お試しください。 先週は学校でStrategyについて話し合う機会がありました。ある目的を達成するために総合的に進められる計画や運用方法と定義すると、真に有効なStrategyはどうあるべきなのでしょうか。
“Competitive strategy is about being different. It means deliberately choosing a different set of activities to deliver a unique mix of value.” “the essence of strategy is in the activities - choosing to perform activities differently or to perform different activities than rivals. Otherwise, a strategy is nothing more than a marketing slogan that will not withstand competition“ Michael Porter (1996) What Is Strategy? 「対抗力のあるストラテジーとは、他とは異なっているということです。それは、ユニークな価値の組み合わせを提供するために、異なる一連の活動を意図的に選択することを意味します。」 質問です。 ① 日本の学校には伝統的に教育方針や理念が掲げられていますが、 それらがVision、Missionと異なる点や共通する点は何でしょうか。 ② 日本の学校で年度ごとに設定される「重点教育目標」のようなものと、ここで取りあげているStrategyと本質的に異なる点は何でしょうか。 前述の論文の中でPorterは1970, 80年台に世界中で急進出した日本車メーカーはOperational effectivenessでは優れていたがStrategyを持っていなかったと指摘しています。その結果、どの社も類似した製造、経営形態を維持することになったと分析しています。 これは現在の日本の学校、とりわけ私立校に顕著にあらわれている現象と似ているような気がします。どの学校も同じような成功基準、価値観、教育観、能力観を持ち、縮小する学齢人口の中で生徒数を維持することと限定的な数値を上げることに集中しているように見えます。 学校も経営のひとつとして捉えると、運営面でも教育の内容や方法においても確実なStrategyを設定することは必要不可欠でしょう。 “The challenge of developing or reestablishing a clear strategy is often primarily an organisational one and depends on leadership. With so many forces at work against making choices and tradeoffs in organisations, a clear intellectual framework to guide strategy is a necessary counterweight. Moreover, strong leaders willing to make choices are essential.” Michael Porter (1996) What Is Strategy? 「明確なStrategyの策定や再構築という課題は、多くの場合、主として組織的なものであり、リーダーシップにかかっています。」 もし学校のリーダーシップチームがStrategyの策定や再構築の必要性を感じていなかったら、学年や教科という小グループで取り組めば良いと思います。そこでも賛同を得られなければ、自分のホームルームやクラスだけでも試みにStrategyを持ってみてはいかがでしょう。 7月最後の週に文部科学省・国立教育政策研究所から今年度の全国学力・学習状況調査の結果が発表されました。これは4月に小学校6年生と中学校3年生を対象に国語、算数・数学、理科の教科で実施された調査によるものです。「各年度の問題のなん易度を厳密に調整する設計とはしておらず、年度によって出題内容も異なることから、過年度の結果と単純に比較することは適当ではないことに留意が必要。」(国立教育政策研究所) という但し書きがありましたが、すべての教科で平均正答率が昨年度と比較して下がったという報道が流れました。
同じ日にAustraliaでは毎年3月に3、5、7、9年生を対象に実施されるReading, Numeracy, Writingの能力を測るNAPLAN (National Assessment Program - Literacy and Numeracy) の結果が公表されました。そして、3分の1の児童生徒はLiteracyとNumeracyで該当学年の習熟度レベルに達していないという報道がありました。どちらの国でも好ましくない結果があらわれました。 NAPLANの場合は教科内容、子どもたちが学習した内容に直接関係する設問ではなく、一般的で総合的な能力を測定することに重点を置いています。そして採点結果は4段階の習熟度レベル (Exceeding, Strong, Developing, Needs additional support) で表示されます。日本の学力調査とは異なり、個人の結果は学校や保護者にも届けられ実際の学習内容や指導計画に活用されます。さらにMy Schoolというサイトを通して全国に公表されます。このMy Schoolは学校の教育の質や財政状況を示唆するデータが掲載されており、NAPLANの結果も重要な指標として注目されます。結果が公表された直後に次のような記事(Podcast)が出てくるのもそのような背景があるからです。 "I think one of the things that we'd really like to see more movement on is strengthening early screening, particularly in reading and maths. So, there has been some movement particularly with almost all governments committing to implementing a year one phonics screening check in government schools. That's really great because I think Year Three is too late to wait to identify learning gaps, particularly in something as vital as reading. We really want to know early whether there's gaps and fill them quickly so that they don't become wider. But that fourth year of school is probably too late to wait for something like that." Grattan Institute (2025) Grading the 2025 NAPLAN results 質問です。 ① 日本の学力調査は文科省が目的としてあげている「学校における児童生徒への学習指導の充実や学習状況の改善等に役立てる」ことに寄与しているでしょうか。その具体例があるでしょうか。「学力」の定義は何でしょうか。 ② 日本の各学校に毎年提出が義務付けられている「学校評価」とAustraliaのMy Schoolにあらわれるデータの根本的な違いは何でしょうか。 学校や教育活動に関わる調査、そこから得られた結果の分析の究極的な目的は、組織としての学校の質や教職員の仕事の専門性を向上させること、創造的に課題を解決していくことにあるのだと思います。どのように前に進むかという姿勢が確立されていないと、調査はそれ自体が目的となってしまいます。 さて、同じ週にAustralia政府は、16歳以下の子どもがアカウントを開くことや利用を禁止するsocial media platformにYouTubeも加えることを発表しました。すでに学校内では携帯電話の所持が禁止されています。休み時間の子どもたちの行動や活動が、禁止される前とは完全に様変わりしました。 "For better or worse, I am associated with the concept of "multiple intelligences”—the belief that humans have a range of intellectual strengths, and that we differ from one another in which intelligences are prepotent—which should be evoked when we are learning, and which should be drawn upon in our interactions with ourselves, and with others” Howard Gardner (2025)
「良くも悪くも、私は "多重知性 “という概念に関係している。人間にはさまざまな知的強みがあり、どの知性が優れているかは人によって異なるという確信である。」 最近のBlogでHoward Gardnerはこのように自分の立場を明確にして、「21世紀の第二四半期の教育」というエッセイを書いています。「世界の他の分野に比べて、教育は非常にゆっくりと変化している」(Howard Gardner) 、その教育がAIをはじめとするテクノロジー、最新の兵器、気候変動などの影響を受けて再考察の時期を迎えているという認識に基づいています。 Howard Gardnerが1983年に発表したMultiple Intelligences理論は、人間の能力や知性を広く豊かにとらえると同時に、学習のあり方について根本的な視点の転換を示唆しました。「個別化」と「多元化」です。 "By individualising, I mean that the educator should know as much as possible about the 'intelligences profile' of each student for whom he has responsibility; and, to the extent possible, the educator should teach and assess in ways that bring our that child's capacities. By pluralising, I meant that the educator should decide on which topics, concepts, or ideas are of greatest importance, and should then present them in a variety of ways. Pluralisation achieves two important goals: when a topic is taught in multiple ways, one reaches more students. Additionally, the multiple modes of delivery convey what it means to understand something well. When one has a thorough understanding of a topic, one can typically think of it in several ways, thereby making use of one's multiple intelligences.” Howard Gardner (2011) Multiple Intelligences : The First Thirty Years 「ある単元を複数の方法で教えることで、より多くの生徒の理解を得ることができる。さらに、複数の方法で教えることで、何かをよく理解するということの意味を生徒に伝えることができる。学習単元を十分に理解すれば、課題について複数の方法で考えることができる。」 質問です。 ① 理想的な学習活動は、学習者一人ひとりに合った個別化や多元化(複数化)が必要条件であるという考えに共感できますか。 ② 学習に活用するテクノロジーの中で個別化や多元化(複数化)を可能にするものがあるでしょうか。子どもたちの学習活動は個別化や多元化(複数化)が現実のものとなっているでしょうか。 Howard Gardnerは認知心理学者としての立場から少し離れて、近未来に必要な資質として20年前に次の5つを挙げています。 ①思考力、問題解決能力 ②様々な情報をつなぎ合わせて自分だけでなく他の人にも有益な意味を形成する能力 ③課題を認識し新しい解決策を創りあげる能力 ④敬意を持って人と接する能力 ⑤困なんで厄介なジレンマや課題を対処する方法を見つける能力 Howard Gardner (2005) Five Minds for the Future 前掲のBlogではそのことに触れて、 "I still endorse and value these three kinds of minds. But today, a quarter of a century later, I would prioritise the two other minds—ones that determine how we relate to other individuals. They include the respectful mind—the way that we deal with those with whom we come in regular contact; and the ethical mind—the way in which we deal with difficult, vexing dilemmas—ones that we cannot easily articulate and solve.” Howard Gardner (2025) Respectful mindとEthical mindを他の3つよりも優先するという考え。まさにこの時代を象徴していると感じました。 2017年に37歳で第40代New Zealand首相に就任したJacinda Ardernが今月号のHarvard Business Reviewに掲載されたインタビューで次のように応えています。
HBR: Politicians face constant criticism, especially in crises. How did you develop a thick skin? Ardern: I'm not sure that I did. Politics was sometimes quite a difficult experience for me. I knew going in that I was thin-skinned, and I initially thought the way to deal with that was to toughen up. But over time, I learned that the most important thing was to feel the things I needed to feel—because isn't that empathy? And isn't that a character trait we want to see more of in leaders? Criticism—or a feedback loop—can drive us to reexamine decisions and work harder on issues. At the same time, you can filter out the things that might be just political or a personal insult by asking, "What’s the motivation of the person pitching that forward right now?" Life's Work: Harvard Business Review (2025) An Interview with Jacinda Ardern 「けれども時が経つにつれて、最も重要なことは、自分が感じるべきことを感じることだと学びました。それが共感なのではないでしょうか。そしてそれは、私たちがリーダーたちにもっと求めたい性格的特徴ではないでしょうか。」 質問です。 ① 私たちは感じるべきことを感じていると、私たち自身の中にどのような行動や変化が生まれるでしょうか。感じるべきことが感じられないということがあるとすると、それはどんな時でしょうか。 ② 迎合や妥協ではなく、共感度の豊かなリーダーシップとはどのような能力や資質を指すのでしょうか。 Jacinda Ardernは今年の5月にYale Universityの卒業式で祝辞を述べました。その中で、共感について語っています。 "Now more than ever we must restate these lessons of the past. Remind one another that to be outwardly looking is not unpatriotic. To seek solutions to global problems is not a zero-sum game where your nation loses. That upholding a rules-based order is not nostalgic or of another era. And, crucially, that in this time of crisis and chaos, leading with empathy is a strength. There are some who say that empathy is some kind of threat to Western civilisation. There is much I could say to that claim; instead I will say just this. Empathy has never started a war. Never sought to take the dignity of others. And empathy teaches you that power is interchangeable with another word, responsibility. And so my platitudes about what we need from each of you at this crossroads still holds. In fact, they are more important now than ever. Because right now, we need the power of your imposter syndrome, because it is also your curiosity and your humility. We need your sensitivity, because it's also your kindness and your empathy. And most of all, we need your sense of duty to your home and to others. We need all of that, because it's about you. And it's about us." Jacinda Ardern (2025) Yale University 「共感が戦争を始めたことはありません。共感が他人の尊厳を奪おうとしたことはありません。そして共感は、政治的権力が、もう一つの言葉である責任と交換可能であることを教えてくれます。」 私たちの目の前に山積する問題や課題の大きさに怯むあまり、私たちが自分の住む地域だけでなくさらに広い領域、そして世界とも密接に繋がっていることを見失い内向きになっていく傾向があります。けれども、「外向きであることは非国民的ではないことを、互いに思い起こす必要があります。」Jacinda Ardern どうすれば学校や教室で豊かな「共感」を育む教育活動を展開していくことができるでしょうか。努力を続けていきたいと思います。 さて、次回の教育実践研究講座は9月28日(日)に開催する予定です。みなさま方と充実した時間を過ごすことを楽しみにしています。 研究者のRuben Puenteduraが学習活動にテクノロジーが活用される際の概念的段階をSAMR model (Substitution, Augmentation, Modification, and Redefinition) として発表したのは2010年でした。当時学校現場で急速に導入され始めていたICT機器の活用によって提供される学習活動を分析した際に、それが従前の活動内容と比較してどのような発展性があるかを評価する基準になりました。2016年にPuentedura氏がPerthに来られた際に開催されたワークショップでは、各段階はそれぞれに適切なもので、SAMR modelは学習活動の良し悪しを決める道具ではないと話されていました。
けれども実際の教室で子どもたちがICT機器を使ってしていること、その活動はSAMR modelの段階が上がるごとに学びの楽しさや深さも向上するという正比例の関係にあります。そして、ひとり1台の環境が整った現在、多くの教室で見られることは、ノートとえん筆による作業がLaptopとGoogle Docによる作業に代替 Substitution されているだけということも事実でしょう。 AIの活用についてはどうでしょうか。SAMR model を応用してAI活用のレベルを分析してみるとどんなことに気がつくでしょうか。 質問です。 ① 日本のテレビ局ではニュースをAI自動音声が読みあげる方法が採用されていますが、このレベルのAI活用にどのような価値と意味があるでしょうか。 ② AIの活用によって生産性を上げる効果がありますが、学校ではどのような場面でそれが可能でしょうか。またAIの役割を「回答者」から「発問者」に変換して活用することは可能でしょうか。どのような場で実現することができるでしょうか。 AIを活用する時、人間の創造力や様々な知的能力との関わりが常に問われます。教室でのICT機器の活用の際に考察したように、AI活用についてもSAMR model の代替、拡張、修正、再定義のどのレベルにあたるのか、どうすれば価値のある活用が可能になるのかという思考と試行を続けることは主体的な利用者になるために必要な過程でしょう。Design Thinkingを研究し実践するd.schoolの教員がAIの活用について次のように述べています。 "New tools don't erase human creativity. But they do rearrange it. And it takes time for people to figure out the new human choices that are possible with a new medium. So, new mediums mimic old mediums. That continues until people figure out the “grammar”and possibilities of the new. As of early 2025, people are trying to use AI largely to copy the old. And that's okay. We have to start somewhere. But it's good to get curious and experiment in ways that go beyond trying to replicate and automate things that have already been done." Glenn Fajardo (2025) d.school, Stanford University 「人々はこれまでのやり方をそのまま続けるためにAIを使おうとしています。 それも良いでしょう。私たちはどこかで始めなければならないから。しかし、好奇心を持ち、すでに行われていることを複製し自動化しようとする以上の方法で実験するのは良いことです。」 そして次のような質問を投げかけています。 "Can we use AI not just to generate things, but to deepen our own creative flow? What if AI could help us stretch our choices, sharpen our attention, and expand the space where human creativity happens?" Glenn Fajardo (2025) 私たち自身の創造的な取り組みを一層深めるために、AIをどのように使えば良いのか考えていきたいと思います。 1年の半分が過ぎた日に、Oxford University Pressが発表したThe Australian Children's Word of the Year for 2024についての記事がありました。中・高学年の小学生が書いた作文の中にあらわれた単語を拾い上げた集計結果についてです。
小学生が一番多く使った言葉は 'friend' でした。そしてShort listにあがったものは、'fact, game, hope, leader, love, play, superpower’でした。小学生らしい成長過程が感じられるものの中に、もしかすると現在の世相を反映しているのかも知れないと感じられるものもあります。hopeは昨年度の28%増、loveは他の人との広い意味での関係性、superpowerは人を手伝ったり助けたりするという意味で頻繁に使われているという補足の解説がありました。 質問です。 ① 日本の小学生を対象に同様の調査をしたら、Australiaの子どもたちと共通の言葉が出てくるでしょうか。各地の紛争地域で生活する小学生が書いた文章にはどのような言葉が多く使われているでしょうか。 ② この調査を通して、小学生が使った頻度の高い言葉はすべてpositiveな意味のものですが、それはなぜでしょう。中高生や大人が書いた文章や会話などに高い頻度であらわれる言葉の種類にはどのような傾向があるでしょうか。 調べてみると、一般市民の投票や使用頻度のデータなどから判定された成人版のOxford Word of the Year for 2024は 'brain rot'「脳の腐敗」でした。「特にSNS上で、質の低いオンラインコンテンツを過剰に消費することの影響を懸念する言葉である。」と解説があります。 ”Our experts noticed that ‘brain rot’ gained new prominence this year as a term used to capture concerns about the impact of consuming excessive amounts of low-quality online content, especially on social media. The term increased in usage frequency by 230% between 2023 and 2024. The first recorded use of 'brain rot’ was found in 1854 in Henry David Thoreau’s book Walden, but has taken on new significance as an expression in the digital age.” Oxford University Press (2024) 一方、辞書の出版社Merriam-Websterが選んだ2024年の言葉は 'polarisation'「分裂、分極化」でした。 “polarisation” - defined as “division into two sharply distinct opposites; especially, a state in which the opinions, beliefs, or interests of a group or society no longer range along a continuum but become concentrated at opposing extremes” - is its Word of the Year for 2024.” Time (2024) 成人版の2024年の言葉、前者は個人の習慣を、後者は社会や世の中の情勢を表現し、危惧し、また揶ゆするものです。私たち大人が使う言葉、そしてその元にある感情や思考は否定的で悲観的な視点を持つ傾向があるということを示しているのかも知れません。確かに、私たちの日常は目を覆いたくなるような惨事や不穏な情勢の連続ですが、私たち自身の視点と態度によって、何をどう見て、どのように反応し、どのように表現し行動するかが決まるのではないかと思います。 “Each of us tends to think we see things as they are, that we are objective. But this is not the case. We see the world, not as it is, but as we are—or, as we are conditioned to see it. When we open our mouths to describe what we see, we in effect describe ourselves, our perceptions, our paradigms.”Stephen Covey (1989) The 7 Habits of Highly Effective People “...Feeling hopeful does not mean to be optimistically naïve and ignore the tragedy humanity is facing. Hope is the virtue of a heart that doesn't lock itself into darkness, that doesn't dwell on the past, does not simply get by in the present, but is able to see a tomorrow. Hope is the door that opens onto the future.”Pope Francis (2017) 私たちが使う言葉は、私たち自身の在り方そのものであることに気がつきます。 Australiaの学校では子どもたちの学習、作業・活動、休憩時間などの場には必ず教員がいなければなりません。担当の先生がお休みで、教室で子どもたちだけが自習をしているという光景は絶対にありえません。
先週、あるクラスの補教に入りました。 担当の先生からの連絡メモには単元テストとありました。はじめの10分間は各自でテスト範囲の復習、そして40分間のテストという流れです。テスト開始の時刻になりそれぞれがデバイスからテストを開くと、クラスがざわつきました。約半数の子どもたちはこの技能を主とするテストの1問目からやり方がわからないのです。Semester Oneの成績の教務システムへの入力締め切りは今週水曜日に予定されています。 質問です。 ① クラスのすべての子どもたちが学習した内容を確実に理解していない、練習した技能が身についていない時に総括的評価をする意味があるのでしょうか。このテストが形成的評価だとしたら、担当者がテストの前にするべきだったこと、このテストの後にするべきことは何でしょうか。 ② このテストの結果がSemester Oneの評定計算に含まれるとしたら、今回の事例は、より高い評定を獲得する機会が意図的にあるいはシステム的に子どもたちから奪われしまっていると言えるでしょうか。 なぜこのようなことが起きたのかと問われれば、同じ科目を教えている先生との関係、他のクラスとの整合性、ぎっしり詰まったカリキュラムをこなすため、配当された時数の結果、などのオペレーションやシステムに関する理由があがるかもしれません。そして、子どもたちには十分に説明をした、練習時間も十分だった、理解していない・やり方がわからないのは子どもたちの意欲や集中度の問題、などの学習者に関する理由もあがるでしょう。 どちらにしても、教育の理念や哲学までに飛躍せずとも、教師として持つべき大切な観点や習慣が問われる事例だと思われます。Universal Designの視点ではどのような説明になるでしょうか。 ”Most curricula are designed and developed as if students were homogeneous, and the most common approach to curriculum design is to address the needs of the so-called ‘average student.’ Of course, this average student is a myth, a statistical artefact not corresponding to any actual individual. But because so much of the curriculum and teaching methods employed in most schools are based on the needs of this mythical average student, they are also laden with inadvertent and unnecessary barriers to learning.” David Rose (2014) Universal Design for Learning ひとつには、教育課程や指導法が実態のない「平均的な生徒」をもとに作成されていること、そのために無意識のうちに必要のない(本来は避けるべき)学習の障害を産んでしまっているという事実です。そして実際の評価デザインに際しては、次のような説明があります。 "Designing assessments using the principles of UDL requires a focus on providing alternate pathways to engage students, pathways to help them to build comprehension and understanding, and pathways that allow them to express how they have met the standard in flexible ways.” Carlin Tucker, Katie Novak (2021) UDL and Blended Learning 「UDLの原則を使用して評価を設計するには、生徒の興味を引くための複数の過程、生徒が解釈する力と理解力を高めるための過程、そして生徒が学習目的をどのように満たしたかを多様な方法で表現できる選択肢を提供することに重点を置く必要があります。」 これらに加えて時間、つまり学習計画の中のどこで、どのくらいの時間をかけて評価をするかについても子どもたちに合わせて設計する必要があります。これらのことを意識すると、学習評価は学習者と指導者のパートナーシップに基づいたものであることに気がつきます。 “Assessment is the driver of both differentiation (a teacher move) and personalisation (a partnership between the teacher and learner) in a blended learning environment.” Carlin Tucker, Katie Novak (2021) UDL and Blended Learning. |
Author萩原 伸郎 Archives
10月 2025
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