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Perfectionism

27/6/2020

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昼休みに話しにきた12年生が、週末に仕事で疲れ気味のお母さんに好物のOrange cakeを焼いてあげて喜んでくれたと教えてくれました。技術者のお母さんは完璧主義者なので自分や他人に重圧をかけてしまうこと、母親のその習癖が子どもへの要求や期待にも大きく影響していてしばしば互いにぶつかってしまうことも話してくれました。

その話を聞いて、数日前に読んだ本の中にPerfectionism完璧主義についての記述があったことを思い出しました。

BreneéBrown describes it like this: “Perfectionism is not about striving for excellence. Perfectionism is not about healthy achievement and growth. Perfectionism is a defensive move. It is the belief that if we do things perfectly, and look perfect we can minimise or avoid the pain of blame, judgment, and shame.”
完璧主義は、物事を完璧にやりとげ見た目にも完璧であれば、他人から受ける非難、審判、辱めの痛みを減らすか避けることができるという確信に基づいています。

読むことをとめて考えたことは、完璧主義が恥から身を守る自己防衛の行為だという論点です。自戒の意識を持って振り返ると、完璧主義に一種の動機づけのような肯定的な意味を感じていたように思います。

質問です。
  1. 私たちは子どもたちの学習の成果や結果を完璧なものを物差しにして「ひき算」で評価する習慣があるのはなぜでしょうか。
  2. Brene Brownはそもそも完璧主義は達成不可能な目標であり、完璧であることを自分や他者に要求することは失敗の道筋をつけることだと主張しています。子どもたちが「良い子」であることや良い成績をとることを期待すること、試合や競争に勝つことを要求することなどもこの範疇に入るでしょうか。

夏目漱石は維新前の道徳が「完全な一種の理想的の型を拵(こしら)えて、その型を標準としてその型は吾人が努力の結果実現の出来るもの」から、維新後は「人間は完全なものではない、初めは無論、いつまで行っても不純であると、事実の観察に本(もとづ)いた主義を標榜した」(1911年8月)と述べています。それから100年以上も経て、私たちは再び完全な一種の理想的の型を追い求めているように感じます。

YouTubeを見て作り方を調べひと月かけて作ったというかぶり物をつけて、演劇の創作課題に一生懸命な7年生がいました。完全でないかぶり物の中に課題への意欲と学びの深さを見出しました。
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Learning platform

20/6/2020

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子どもたち全員が以前から情報端末機器を使って学習している学校も、このpandemicのために急遽一人一台の環境を整えた学校も、おそらく共通して何らかのLearning platformを利用していることと思います。これから導入を始める学校は、たくさんの選択肢の中からどれを選ぶべきか検討されているかもしれません。

たとえば、Google Classroomを採用した学校では、先生方は学習課題の配信や回収が容易にできるだけでなく、教室での学習にもonline learningにも対応できる利便性と多様性に、教育の未来を感じられているかもしれません。

質問です。
  1. Learning platformを選ぶ側にいる私たちにとって重要な要素、つまり選択の基準となる条件は何でしょうか。そして学習者がそのplatformに好感や違和感を持つ理由は何でしょうか。
  2. 子どもたちの学習をより主体的なものにするために、学習活動の質や内容を根本的に変えるために、Learning platformの機能や構造はどの程度の影響力があるでしょうか。

以前から情報は流れていましたが、AppleはiTunes UとiBooks Authorの削除を発表しました。2007年に発表されたiTunes Uから私たちはたくさんの可能性を感じ取り、多くのcourseを配信しました。

Online learningの新しい考え方を世界に広げたことは成果のひとつだと思いますが、基本構造は教室での学習をcyberspaceに置き換えたものだったように思います。Appleがしばしば引用するtechnologyの活用段階と学習内容や活動の相関関係、SAMR ModelのSubstitution代用・置き換え、Augmentation拡大・増加の先に進むことができずに製品として頓挫したことは皮肉な事実です。その視点で観るとGoogle Classroomも、利用者の機器を選ばない利点を除けば、同じような「箱」でそれ自体に中身を豊かにする機能はないと言えます。

もうひとつ感じたことがあります。OSやapplicationのmajor updateがある度に私たちは身につけた習慣や作業の手順を捨てて、好むと好まざるとにかかわらず、新しいやり方に適応しなければならないということです。現代人に要求される「柔軟性」なのかもしれませんが、必ずしも結果として便利になっていないことも多いように感じます。企業の革新性と驕慢の微妙な境界線上を私たち消費者が歩いているようです。
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Disagree and commit

13/6/2020

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先週小さなwinがありました。来年から12年生の選択科目にひとつ新しいものを加えることになりました。これは科目というよりも時間と言った方が適切です。Courseraを窓口に世界中の大学が提供する講座から自分の興味と関心のあるものを自由に選んで学ぶというものです。

2年前にCourseraを通して学び始めた時に、内容に引き込まれていくと同時に、時間にも場所にも経済的な理由にも制約を受けない新しい学び方に、後期中等教育・高等教育の選択肢を直感しました。学ぶ側だけでなく大学も雇用者もこの潮流に着目しています。

欧州、特に北欧の後期中等教育の現場で子どもたちが自分の学びたいことを主体的に学んでいる様子を見続けたことも確信につながりました。これらの学校の教室は大学受験科目を履修させる風景とは対極にあります。

質問です。
  1. 中等教育の教室で子どもたちに学びたいことを学ばせる環境をつくることは不可能でしょうか。
  2. Deweyは「間違いは、将来の必要のための準備を重視する点にあるのではなくて、それを現在の努力の主要動機とする点にあるのである。絶えず発展しつつある生活のために準備をすることは大いに必要なのであるから、現在の経験をできるだけ豊かに有意義にすることにあらゆる精力を傾注することが絶対に必要なのである。そうすれば、現在は気づかぬうちに未来にのみ込まれていくのだが、それにつれて未来が大切にされるわけである。」と述べています。子どもたちの現在の経験をできるだけ豊かに有意義にするために、私たちがすぐにでもできることは何でしょうか。

AmazonのCEO、 Jeff Bezosは2016年に出資者に向けて出した文書の中で企業として持つべき4つの重要な習慣について述べています。1 customer obsession 消費者中心主義、 2 a skeptical view of proxies 数値への懐疑的視点、3 the eager adoption of external trends 世界動向の積極的な採用、4 high-velocity decision making 迅速な決定。

とりわけ「迅速な決定」に関してBezosは disagree and commit 反対しながらも協働することと説明しています。前述の私たちの学校の決定を例にとると、校長は提案に反対でした。2回目の協議で反対の立場は同じでしたが青信号を出しました。

反対ながらも協働という例で、もうひとつ。以前から様々な課題のある全校朝会をonlineに換えることを提案していましたが、来週の始めにVirtual Assemblyをすることになりました。そもそもCOVID-19の落し子ですが、こちらの方も継続しそうです。
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Reconciliation Week

6/6/2020

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毎年5月末から6月始めの週はReconciliation Weekと呼ばれ、先住民族とそうでない人種のすべてがお互いの尊厳や人権を認めあい、精神的な歩み寄りを祝い、今後の発展をめざします。そして全国で様々な行事が開催されます。

私たちの学校でも生徒会幹部がpodcastを配信し、縦割りのホームルーム Pastral Care Groupでは毎朝毛糸を編んで木に巻く飾りを作りました。ざっと数えても30以上の多様な文化的民族的属性を持つ人々が集う私たちの学習共同体の誇りのひとつは、どこを見ても同じ属性どうしが固まる一種のsub-cultureが存在しないということです。いろいろな色が混ざっている光景ほど将来の希望を与えてくれるものはありません

質問です。
  1. 現在の生活の中に自分と異なる外見、言語、文化を持つ人々との日常的なかかわりがあるでしょうか。その機会をどのように増やしているでしょうか。
  2. 数や力の差ではなく、本質的な判断材料、たとえば善悪や普遍的な人間性の尺度で世の中の出来事や人間関係を観る習慣が大切にされているでしょうか。

遠藤周作さんは『女の一生 サチ子の場合』のあとがきに「電車のなか、バスのなか、あるいは駅前で、私は自分と同じ年頃の主婦を見るたびに何とも言えぬ親近感を急に感ずることがある。その親近感は自分たちが同世代であり、共に同じ歴史を生きてきたのだという事実から生まれている。」と記しています。

私は移民一世として、この国であきらかに移民一世と思われる人々と目が合う時、言葉を交わす時に一種の「親近感」を感じます。日本の街のコンビニで片言の日本語を話す店員さんとめぐりあった時もこの「親近感」を感じます。そして親近感は、その店員さんと目を合わさず言葉も交わさない無愛想な日本人客を見る時、共感に変わります。

Black Lives Matterはこの「共感」からうまれていると感じています。不正義、不平等への憤りがMatterという言葉に含蓄されているのではないでしょうか。報道機関の日本語訳「黒人の命は重要だ」や「黒人の命も大切」などの表現はあまりにも表面的すぎて憤りの共感が欠落しています。

さらに、「黒人」という言葉が差別語にあたるかもしれないという意識や感性がないこと、無感覚に使用している事実に社会の成熟度の低さを感ぜずにはいられません。
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    Author

    萩原   伸郎

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