昼休みに話しにきた12年生が、週末に仕事で疲れ気味のお母さんに好物のOrange cakeを焼いてあげて喜んでくれたと教えてくれました。技術者のお母さんは完璧主義者なので自分や他人に重圧をかけてしまうこと、母親のその習癖が子どもへの要求や期待にも大きく影響していてしばしば互いにぶつかってしまうことも話してくれました。
その話を聞いて、数日前に読んだ本の中にPerfectionism完璧主義についての記述があったことを思い出しました。 BreneéBrown describes it like this: “Perfectionism is not about striving for excellence. Perfectionism is not about healthy achievement and growth. Perfectionism is a defensive move. It is the belief that if we do things perfectly, and look perfect we can minimise or avoid the pain of blame, judgment, and shame.” 完璧主義は、物事を完璧にやりとげ見た目にも完璧であれば、他人から受ける非難、審判、辱めの痛みを減らすか避けることができるという確信に基づいています。 読むことをとめて考えたことは、完璧主義が恥から身を守る自己防衛の行為だという論点です。自戒の意識を持って振り返ると、完璧主義に一種の動機づけのような肯定的な意味を感じていたように思います。 質問です。
夏目漱石は維新前の道徳が「完全な一種の理想的の型を拵(こしら)えて、その型を標準としてその型は吾人が努力の結果実現の出来るもの」から、維新後は「人間は完全なものではない、初めは無論、いつまで行っても不純であると、事実の観察に本(もとづ)いた主義を標榜した」(1911年8月)と述べています。それから100年以上も経て、私たちは再び完全な一種の理想的の型を追い求めているように感じます。 YouTubeを見て作り方を調べひと月かけて作ったというかぶり物をつけて、演劇の創作課題に一生懸命な7年生がいました。完全でないかぶり物の中に課題への意欲と学びの深さを見出しました。
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Author萩原 伸郎 Archives
8月 2024
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