Andersenの童話『裸の王様』に登場する家来は、王様の衣装が見えないのは自分だけかもしれないという思い込みを持ちます。社会心理学では、実際には多くの人も同じように感じているけれども、自分が感じていることや考えは他の人とは異なっているだろうという錯覚を持つことを多元的無知 Pluralistic ignoranceと呼ぶそうです。
もうすぐ終わるこの年度の12ヶ月を振り返ると、良かったことも悪かったこともたくさん思い出されます。とりわけ最悪の感があることを引き出してみましょう。それは、目的の不明な会議に多く出席しなければならなかったこと、そのためにたくさんの時間を無駄にしたことです。膨大な量の会議資料の紙とそれを準備した担当の方の労力も考えると、無駄の連鎖は日本の教育現場の悲しい現実であることを認識しました。そしてこのような無駄に憤りを感じているのは自分だけなのだろうかという疑問です。 “This bias leads us to continue to schedule and attend meetings even when everyone secretly agrees that they’re useless, because we assume we’re the only one who thinks so.” The Psychology Behind Meeting Overload (2021) Harvard Business Review 「このバイアスは、誰もが無駄だと内心思っている会議でも、自分だけがそう思っていると思い込んで、予定を組んで出席し続けることにつながります。」 質問です。 ① 誰もが無益、あるいは無駄だと感じていることでもそれが継続されている理由は何でしょうか。80年代に日本の学校や教育行政機関で一般的だった会議の形態が、本質的な改革や改善がなされずに今なお続いている理由は何でしょうか。 ② 現状に疑問を感じる人々が素直な感想や意見を伝える機会がないのはなぜでしょうか。あるいは機会があっても、改善を求めるような意見が現状を変えるきっかけにならないのはなぜでしょうか。 ある物事に対して疑問を感じた時、Pluralistic ignoranceを疑ってみることは意味があることかもしれません。自分だけでなく他の人もそのことについて同様の疑問を持っているかもしれません。その疑問を周囲の人と共有すると、何かが始まるかもしれません。 先週の金曜日にあった会議の内容と進行について不可解な印象を持っていました。今日の午後、別の会議でしたが同じメンバーに会いました。会議後に私が金曜日に感じたことを伝えると共鳴の輪が広がりしばらく率直な意見交換ができました。 これまでまったく繋がりを持たない人たちだと感じていましたが、今日の午後をきっかけにお互いの感覚に共通点を見つけることができました。
0 コメント
中央教育審議会の「令和の日本型学校教育」を担う教師の養成・採用・研修等の在り方という資料には「教師に求められている資質能力の再定義」があがっています。教職員の姿として「教職生涯を通じて学び続けている」「一人ひとりの学びを最大限に引き出す教師」「主体的な学びを支援する伴走者」とありますが、これらは昭和の時代も教師に求められていた資質であり、今後も求められる普遍的な態度でしょう。ところが具体例には「教師の資質・能力の向上」と主眼が「能力」に移っています。
教師に本当に求められているものは能力でしょうかそれとも態度でしょうか。組織の一員を採用する場合に応募者の中から探るべきものはどちらでしょうか。 “The company evaluates talent based on the proposition that who you are as a person counts for as much as what you know at any point in time.” “And the best way to build something special in the workplace is to hire for attitude and train for skill.” Bill Taylor (2011) Harvard Business Review 「(例としてあげている)会社は、ある時点で何を知っているかということと同じくらい、どんな人物であるかが重要であるという主張に基づいて人材を評価しています。」「そして、職場で何か特別なものをつくるには、態度で採用しスキルを教育するのが一番です。」 質問です。 ① 私たちが仕事をする際にattitude - 物事への態度や姿勢が大切なのか、それともskill - なすべきことをやり遂げる技術や能力がまず必要なのでしょうか。日本の教育現場で教員を採用する際の選考基準としてどちらが重視されているでしょうか。 ② 現在の職業に就いた時を振り返ると、その職や役職に必要とされるattitudeとskillのどちらを自分の強みとして持っていたでしょうか。 担当教科の専門的・学問的な知識と能力が高い教師たちの中に、教職をとおして教師の仕事の本質について学び続けていないために、子どもたちの学びを引き出すことができず、子どもたちの歩幅で共に学んでいく習慣がなく、子どもたちの苦しみや悲しみを感じる感性がない例を見ます。 一方で、人としての態度を構成する感受性やりん理観、責任感、価値観、行動力の優れた例を子どもたちの中から発見することがあります。 春休みの第一日目に自由参加で呼びかけたLeadership workshopにやってきた10年生や、先週の11年生の学年旅行のリーダーたちは、必要なMindsetや態度を持ち合わせていました。中核となるものがあれば、能力は二次的なものであることを認識しました。 |
Author萩原 伸郎 Archives
10月 2024
Categories |