先週は火曜日に保護者の方々への授業参観日、そして水曜日には他校の先生方をお招きした学校公開がありました。さらに、金曜日と土曜日にもイベントがあったので一週間を通してたくさんの方々が来校されました。
保護車の方々には1時間目から7時間目までご自由に参観していただきました。他校の先生方には3時間目から放課後まで私たちの学校の教育活動をご覧いただきました。そこまで長い時間公開すると、当然のことながら、発表用の見せもので見た目に良い体裁を整えるのは不可能です。 水曜日のイベントを入学希望者や外に向けて学校の良さを発信するためのものととらえていましたが、真の目的はこの学校共同体の成員のすべてがIdentityや自分達が持つ強さや弱さを再発見するためのものだったと言えるでしょう。私たち自身が「鏡」を見てIdentityを認識しますが、来校者の反応や会話を通してのやりとり、そしていただいた感想などの「窓」を通して多くの物事を感じ取りました。Positiveな内容も棘のあるものも私たちにとっては貴重な収穫です。 質問です。 ① 鏡に映る自分自身を観て見えるもの、そして目で見えなくても確実に感じるものは何でしょう。 ② 窓を通して相手や対象物を見ながら、いつしか自分自身も見ていると感じることがあるでしょうか。 多くの方々に見ていただいたことで、私たちがめざしている質の高い学習活動や到達目標に向かうためには、それらを組み立てる基本を確実にする必要性があることに気づかせてくれたような気がします。 “Get back to basics. Understanding the basics, as boring as it sounds, is one of the key elements of effective thinking. A lot of people assume the basics are not important and never really take the time to learn them, preferring the sexiness of complexity. Understanding a simple idea deeply, however, creates more lasting knowledge and builds a solid foundation for complex ideas later.” Farnam Street (2022) 「基本に立ち返る。基本を理解することは、退屈に聞こえるかもしれませんが、効果的な思考をするための重要な要素の1つです。多くの人は、基本的なことは重要でないと思い込み、時間をかけて学ぶことはせず、複雑で高度なことの魅力に惑わされています。しかし、単純なアイデアを深く理解することは、より永続的な知識を生み出し、のちに複雑なアイデアを生み出す確固たる土台となるのです。」 教育や学校の話題になると一般的に用いられる名詞や動詞を使わずに、私たちが大切にするべき「基本」を私たちの言葉で表現し思考を深めていきたいと思います。
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秋の穏やかな夕日がぽっかりと校庭を包んでいます。秋と冬のシーズンの境目でスポーツチームの練習がないので、あちらこちらで自然発生的にグループができていて、子どもたちが嬉々として遊んでいます。既に下校時刻は過ぎていました。
中高生の時に放課後にみんなと校庭で遊んだことがあっただろうか。 6時になったので玄関まで降りて行くと、子どもたちがそれぞれ放課後にしていたことを終えて帰宅していきます。しばらくすると8年生のグループが固まって現れました。その真中にいる女の子は足を怪我したようです。 駅まで19分の道のりをどうやって行けば良いか話し合いが始まりました。タクシー会社に電話をしたり、別の子が親に電話をして迎えに来てくれるかどうかたずねたり。結局みんなで交代に背負って駅まで行くことになり、学校を出て行きました。 中高生の時に誰かを親身になって助けたことがあっただろうか。 質問です。 ① 今の中高生が明らかに同年齢の頃の自分と比較して異なっていると感じることがあるでしょうか。子どもたちは、どのように異なるのでしょうか。その理由は何でしょうか。 ② 中高生の頃や20代の初めの自分自身の思考や行動、価値観に大きく影響を与えたものは何だったでしょうか。 “the world of the Zoomer, of Generation Z, has been shaped by a succession of major crises. They were four when the Global Financial Crash erupted, six when the Eurozone sovereign debt crisis followed, ten when the refugee crisis began, twelve when the votes for Brexit and Trump shocked the world, sixteen when Covid-19 and the lockdowns descended, and eighteen when the war in Ukraine and a global energy crisis followed. For them, so far, the world has been volatile, polarised, unpredictable, and chaotic.” Matt Goodwin (2022) この筆者は英国に住んでいるのでEuropaからの視点で描かれていますが、確かにZ世代にとってはこれまでの年月は大きな危機の連続でした。そしてZ世代の意識には、世界は変化しやすく、二極化していて、予想がつきにくく、混沌としたものとして受け止められているはずです。そしてこの世界で生きるために、過去の世代の負の遺産を背負わなければならないのもZ世代です。 教室の机の上の子どもたちのファイルに、戻ってきたテストが挟まっていました。許可をもらって広げてみると、単元末テストでした。そこにあるすべての問題の解答は名詞、つまり単語だけですむものでした。このような知識の断片のみを暗記させられるような学習をしていては、この子どもたちが直面するであろう問題を解決するような能力や考える習慣を育むには道のりは遠いと感じました。 学校に講演に来る方は、どのような立場であれ、一般化できるほどに共通の誤りや認識不足があることに気がつきます。多くの方は目の前の聴衆、つまり中学生や高校生、がこれから話すことを知らないだろうという先入観、あるいは主題の内容を時間の範囲内で「教え込まなければならない」という思い込みを持っていることです。さらに悪いことに、子どもたちの主題への共感を大前提としていることも、この手の講演会の体験を悪いものにしている原因でしょう。
一方、教科の学習活動をのぞくと、教師主導の「講義」が坦々と続いている光景が見られます。前述の先入観、思い込みの上に「講義」が組み立てられ、子どもたちの興味や関心がどのくらいあるか、前時の内容の習熟度はどの程度あるか、進行中の内容をどの程度理解しているか、つまずきはないかという教師として基本的な確認事項を忘れています。 質問です。 ① このような例に共通している講師や教師の問題点は何でしょうか。聴衆・学習者の一人として似たような体験があるでしょうか。 ② 講演や学習活動を受ける立場の人々や子どもたちの感情、関心、既習事項、体験などを提供する側が一次的な構成要素としてとらえると、その内容や方法はどのように変わるでしょうか。 ある国際NPOの方による中高生に気候変動のワークショップです。気候変動かるたから始まり、次々にタスクをこなしますが、中高生のやる気のスイッチはOffになりました。 “The shift that teachers, leaders and students need to make is obvious – and hugely significant: We need to switch our thinking, our emphasis, our language, our mindset away from tasks and towards learning.” Tom Sherrington (2019) 「教師、指導者、そして生徒がすべきことは明白であり、非常に重要なことです。 私たちは、思考、重要としていること、言葉、考え方を、課題から学習へと切り替える必要があるのです。」 中高生にとってそれらのHands-onはMinds-onにはなりませんでした。かるたは中高生にとってあまりにも幼稚で、必然性も意味も感じていないからです。 教科学習の場合はどうでしょうか。子どもたちは、学習目標が何であるかを明確に説明できるでしょうか。そして教師は学習目標に対する一人ひとりの学習の進行状況を確認しているでしょうか。 今日のクラスで問題をやり終えたのは誰か、誰ができなかったか。できなかった子どもからSOSが届いたか。重要な用語、解き方、意味などを理解しているかどうかを見極める証拠や材料は何か。それらの具体物をもとに分析するとクラス全体の理解分布はどうか。 次時のクラスでは、その分析をもとに、何をどう扱うべきか。特に目をかけるべき子どもは誰か。誰が発展的な内容をするべきか。これらはすべて形成的評価の手順であり、教師のMindsetです。 |
Author萩原 伸郎 Archives
8月 2024
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