今年は久しぶりに9年生の日本語のひとクラスを受け持っています。この学年の一番の山場は基本の動詞をもとに文章構造を理解し様々な要素、時間や場所など、を加えて文章を作ることです。実は私の一番好きな学習内容です。
Podcast、online course、digital bookletsなど、これまでに作った学習教材を使うかどうか考えました。結局、中核の学習活動、教材として選んだのは90年代に自作した紙の言葉カードです。しまってあったものを取り出してきました。文章を作る試行錯誤を、実際の言葉を動かしながら協働で楽しむ醍醐味はこれに勝るものはないと判断しました。 各グループに手作りの言葉カードが入った袋を渡します。子どもたちは適切な名詞、動詞、形容詞、助詞などを選んで日本語の文章を組み立てていきます。みんなで話し合いながら、時には興奮気味に議論しながら文章を作り上げていく過程は子どもたちだけでなく私にとっても楽しい時間です。この活動の時はみんないつの間にか立ち上がっています。 質問です。
先週の木曜日、選抜した子どもたちのPBLの教室をのぞくと、子どもたちは全員総立ちで議論をしたりwhite boardに考えを言葉や図で表現しています。担当の先生に声をかけると、これまで8週間、子どもたちは各自のiPadやlaptopを使いながら話し合いをしてきたけれども、何も生まれてこなかったと言います。今日初めてICT機器を使わずに考えてみようと声をかけたら、今まで見ることのなかった主体的な活動があふれ出てきたそうです。 Australiaは国をあげて教育のdigital化を推進してきました。私たちの学校も常に最新のICT機器を揃えてきました。そのような「先進校」では、どの国でも、これまでの投資や子どもたちの学習の現状を顧みる機会が多くなりました。 視点が少し異なりますが、最近気がついたことがあります。Sydneyが州都のNew South Wales州では公立小学校での携帯電話の持ち込みを禁止しています。Melbourneが州都のVictoria州では公立小学校、中等学校の携帯電話の持ち込みを禁止する決定をしました。折しも東京都では公立学校に通う子どもたちの携帯電話の持ち込みを許可する判断をしました。
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昨日読んだある人のblogに ”Learning from our students” について述べられている部分がありました。偶然にもそのことを感じていた矢先でした。先週は9年生のChallenge Based Learningを通して子どもたちから学んだことがたくさんあったからです。
今年のCBLでは一人ひとりに$20を資本金として貸出し、それぞれが社会的に意義のあるStart-upを始めるという起業活動を主課題にしています。先週はその中の特出した2グループと密接に関わることになりました。共通していることは、どちらも今日的な地球規模の問題を解決するべき課題としてとらえていますが、自分たちの生活の中で実現可能な方法を見つけ出して起業している点です。 2グループのもう一つの共通点は、リーダーを除いた他のメンバーの貢献度や作業量、責任感は非常に低いということです。言葉を替えると頼りにならないメンバーばかりという状態です。それでも両グループのリーダーは否定的なことは一言も口にせず、メンバーを励まし手綱をしっかりとって起業を成功に導いています。 質問です。
そのリーダーたちはグループ中で役を正式に決めたわけではなく、ただ作業をしているうちにそうなったわけです。メンバーへの不満を感じていないということはないと思いますが、活動の価値を感じ、成功への強い意欲があるので努力を続けているのだと思います。 Patrick Lencioniは著作の中で理想的なteam playerの条件として3つの要素をあげています。 ① Smart 良い人間関係をつくる賢さ ② Hungry 満足せずに次を追い求める姿勢 ③ Humble 謙虚さ 彼らは14歳にしてその3つの要素を身につけていると感じました。 多くのグループが順調に起業に進まない理由は、reserchやmarketingなどの専門的な知識や能力が不足していることよりも、上の3要素のような「生活力」が要因であることが多いように感じています。 Semesterのまとめの時期になりました。先週10年生の試験官をしました。入室時刻に全員を入れ、着席したところで細かく記述された規則を読みあげます。例えば、携帯電話を持っている場合には試験の前に試験官に差し出さなくてはいけません。試験の扱いは厳格です。
試験問題を読む時間が10分間あり、試験開始です。全員の頭が下がりました。長距離走者を送り出すような感覚を持ちました。 黙々と問題を解く生徒たちを見ながら、この子はきっと本人が満足する点を取るのだろう、あの子はちょっと危なそうだなどと直感しました。教師をした人ならば、採点をする前に結果の予想が立つことを体験的に知っています。問題は、このような評価方法を学習の成果を判定する方法の一つとして今でも使っていることです。 私たちの学校ではSemester試験の結果は評価全体の20~30%にとどまり、そのほかに多くの評価項目があるのが救いですが、Ideas 81で書いたように評価の方法を根本的に改革した国もあることを考慮すると、道はまだ長いと感じます。 質問です。
この日試験官をした唯一の収穫は、その教室にあったA3のポスターを見つけたことです。そこにはFind joy in the ordinaryとありました。平凡な毎日の生活の中に喜びや非凡な何かを見つけることをいつも心がけてきました。が、しばらく忘れていたような気がします。 大野直子さんの詩の中からも同じ態度が読み取れます。味噌汁 味噌汁をおいしくするコツは おたまにひとすくい 夕焼けを入れること 味噌の雲がもくもくと湧いて ネギの葦原が波立って シジミが青いため息をつく お鍋はたちまち シジミの棲んでいた 夕暮れの汽水湖 仕上げに 今日いちにちの苦笑いを押しこめて、蓋 へへへへへ と立ちのぼる 湯気といっしょによそいます そのようなしなやかで芯の強い心持ちで試験を乗り越えてほしいと思いました。 来年7年生として入学する子どもたちが、先週やってきました。所属する小学校ごとに分かれて、High schoolの学習体験をしました。面接と書類選考で入学が決まったこの子どもたちからは、期待にあふれたうれしそうな表情が見てとれます。
家庭ではもちろんのこと地域のどの小学校でも、各自がICT機器を使って学習することは一般化しています。入学前の6年生の家庭でそれらICT機器をどのように使っているか、どのような約束事を保護者と交わしているか調べる絶好の機会です。 今回の6年生からは8割以上の家庭で携帯電話やiPadなどの機器の使い方について約束があることがわかりました。中には「僕はいつでも好きな時に使っていいんだ。」と公言している子どももいますが、面と向かって詳しく聞くと、使って良い時間等の約束事がありました。従って、実際には更に多くの家庭で何らかの規則を設けているとみたほうが良さそうです。 質問です。
日本の公立小学校で教師をしていた1980年代に、父母会でよく話し合ったことの一つが、子どものテレビ視聴についてでした。毎日テレビの前にどっかりと座って長時間見ている我が子を何とかしたいというのが本音でした。 この日もその話題が出てきました。遠まわしに担任の私にもっと宿題を出してほしいということを伝えたかったのかもしれません。親がテレビの電源を切れば済むことでしょうと心の中で反論していると、あるお父さんが口を開きました。「子どもにテレビを見るなと言って消してしまうことは簡単なこと。大切なことは、テレビに代わる何か意味のあること、子どもにとっておもしろいものを提供できるかどうかが問題なんです。私はそういうものを自分の子どもたちのためにいつも探しているんです。」 ICT機器の使用について家庭や学校で規則を設けることは必要なことだと思います。しかしながら、前提としてゲームや動画などの娯楽を「消費」することに制限をつけるという考え方は、80年代のテレビの議論と進歩がないことに愕然とします。 |
Author萩原 伸郎 Archives
8月 2024
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