Elon Muskも創設に加わったOpenAIが11月末にChatGPTを発表しました。SiriやAlexaのように質問に答えるだけでなく、様々な条件をつけた小論文を書くことも、raspberry piを目的通りに作動させるためのPython codeを書くこともできます。その高度な機能のために多くの反響を呼んでいますが、とりわけ教育関係者や学校教育を考える人々の見解が続きました。それらは、これからの学校教育や学習活動はどうなるのかと言う不安や動揺、ついにここまで来たぞという警鐘が共通点のように感じました。
質問です。 ① AIの技術が進歩すると同時に学習内容や方法は変化するのでしょうか。学校の存在理由は変わるのでしょうか。すでにAI技術を活用しているという触れ込みの商品を見かけますが、それらに子どもたちの学習支援や教師の仕事の内容に本質的な革新性はあるのでしょうか。 ② 教育に関する仕組みや業務の中で、技術の進歩や社会の変化に影響を受けるもの、受けないものという分別は可能でしょうか。可能だとすると、それを分ける基準や要素は何でしょうか。 学校の教室では、教師が出す質問に子どもたちが正解を探し出すことが「学習活動」になり、その正解を覚えることが子どもたちが意味する「勉強」になり、正解を再生産することの作業が「宿題」になり、正解を特別な条件のもとで再生産させることが「評価」になり、その結果は評定となって子どもの「能力」として定義されます。 ChatGPTのようなAIを子どもたちや教師が容易に使うことができると、学校や教師が本来の仕事として続けてきたそれらの過程に直接に影響を与え、必然性や意味についての疑問が湧いてきます。この記事の筆者の問いかけに共感を持ちます。 “The question isn’t “How will we get around this?” but rather “Is this still worth doing?” 問題は、「どうやって(生徒がAIを使って小論文を書くことを)回避するか?」ではなく、「それでも記述式の課題をやらせる価値があるか」です。 It has also been argued that the core curriculum only prescribes the essential knowledge and skills and should be the foundational knowledge and skills a child needs, thus it is not the ceiling, rather the floor. Unfortunately, due to the differentiated status and stakes, the floor usually becomes the ceiling. The basic becomes the ultimate goal. This is what has been referred to as curriculum narrowing. Yong Zhao (2012) World Class Learners 基礎的な知識や技能は本来はさらに高度な学習の基礎(床)となるべきものが、現実には目的(天井)となっているというZhao教授の指摘は、AI技術の進歩に直面して一層意味を持っていることを感じます。学習活動をより深いもの、高度なものにする転機になるからです。
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Australiaの学校ではChristmas前の1週間はKris Kindleという教職員の遊びがありました。同じことを現任校ではSecret Santaと呼んでいて、今年もたくさんの方々が参加しました。担当から知らされた自分のsecret partnerに月曜日から木曜日まで小さなプレゼントを贈り、最終日の金曜日には一番大きな物を贈るという約束になっています。
今年の私のお相手は、秋から事務室で仕事を始められた方でした。きちんと話しをすることもなく12月まで来てしまったので、この方とつながる上で願ってもない機会でした。 月曜日から金曜日までどのようなテーマで何を贈るかを考え、カードも作って実行に移りました。一方、私の名前を引いたSecret Santaさんは、余程私が疲れていると感じられたのか、月曜日から木曜日まで異なった種類の入浴剤を、私が席を外している間に机の上に置いていってくださいました。金曜日には、これも単身赴任の貧しい夕食を察したのか、上等な2種類の出汁をいただきました。 質問です。 ① 私たちは他人から物や好意をいただいた時に幸せや喜びを感じるのでしょうか。それとも、誰かに何かをあげる時により多くの幸福感や喜びを感じるのでしょうか。 ② 子どもたちの中に、職場の中に、あるいは地域の活動の中に、ひたすら他の人たちのために働いている人々がいることに気がつくことがあります。その人たちを動かす原動力は何でしょうか。 私たちの学校では16日が今年最後の日でした。この日の放課後に生徒会が企画・運営してWinter Ballが開催されました。その数日前に生徒会のメンバーが、牛乳を温めてココアを作り参加者に出すことを提案してきました。手間がかかるので出来合いの物を買ってきてそれを温めて提供することを勧めましたが、彼らは前日に材料を購入しBallの間あたたかいココアを振る舞いました。手作りのココアのおいしさをみなが体感し、提供したメンバーも忙しいながらも成就感を得ました。 Give and takeというと、人間生活や社会の約束事のような認識がありますが、実はGiveの方には義務ではなく、幸福の種が潜んでいるようです。 Christmasにちなんで、おもしろい引用です。私は3の時が一番幸せだったように感じます。 4 stages of life
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Author萩原 伸郎 Archives
8月 2024
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