40年前の1984年1月24日にApple Macintoshが私たちの目の前にあらわれました。この出来事を分析する記事がありました。
“It turns out that designing for usability, efficiency, accessibility, elegance and delight pays off. Apple’s market capitalisation is now over US$2.8 trillion, and its brand is every bit associated with the term “design” as the best New York or Milan fashion houses are. Apple turned technology into fashion, and it did it through user experience.” Jacob Wobbrock (2024) The Conversation 「使いやすさ、効率性、利便性、エレガンス、そして喜びを追求したデザイン」が当時市場に出回っていたコンピュータとは確実に異なっていた要素でした。「アップルはテクノロジーをファッションに変え、ユーザー・エクスペリエンスを通じてそれを実現しました。」 この記事を読みながら、これらの要素や価値観、哲学を教育や学校に当てはめてみたらどうだろうとふと考えました。 質問です。 ① 「使いやすさ」は学びやすさ、わかりやすさ、活動しやすさに換えてみましょう。「効率性、利便性、エレガンス、喜び」はそのまま使えそうです。これらを学校教育に求めると、どんな学校が、学習活動が生まれてくるでしょう。 ② 学校教育の制度や運営、学校の日常の教育活動の中に “user experience” という考え方や意識が存在するでしょうか。もしあったとすると、どのような違いを生むでしょうか。 学校教育の場面で “user” といえば子どもたち、生徒、学生でしょう。Student-centred とか子どもを主体としたという言葉はよく目にしますが、“user experience” とは根本的に異なる次元、むしろ低いレベルでの議論のような気がします。これは Student agency に一番近い概念かもしれません。それでも “user experience” の方が子どもたちに寄り添っている印象を受けます。 学校や教師の都合で教育というゲームが展開されている現実を、大人たちは認識する必要があります。たとえば、一年のうちで一番寒いこの時期に入学試験を強要するということも、明らかに学校や教師の都合でしょう。学習の科学を無視した、各学期の中間試験も期末試験も、学校や教師の都合でしょう。 奇しくも、1月24日は国連が定めた “International Day for Education” です。人類の平和と発展に貢献する教育を祝う日です。本当に今日の学校教育が人類の平和と発展に寄与しているのか考えてみたいと思います。
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Author萩原 伸郎 Archives
8月 2024
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