社会の秩序を保つために、あるいは会社の利益を守るために、様々な規則・基準・手順が用意されています。根本的にはそれらは生活者であり利用者である市民の立場を中心に考えられているわけではないようです。とりわけ、規則や基準は様々な立場や状況の人々のことを配慮するためのものではなく、切り捨てる理由として存在しているようにさえ見えます。
さらに最近の特徴として、technologyを導入し通信連絡や作業を便利にすることを目的につくられた仕組みが世の中にたくさんあります。携帯端末のappsがその代表例ですが、本当に私たちの生活を便利にしているものはどれぐらいあるでしょうか。 そのようなことを考えていた時に、数人の先生方と帰国生の日本語能力の基準について、探究的学習活動を通して子どもたちが創り出す成果物について議論をする機会がありました。 質問です。
“Universal Design is the design and composition of an environment so that it can be accessed, understood and used to the greatest extent possible by all people regardless of their age, size, ability or disability. An environment (or any building, product, or service in that environment) should be designed to meet the needs of all people who wish to use it. This is not a special requirement, for the benefit of only a minority of the population. It is a fundamental condition of good design. “ Centre for Excellence in Universal Design 教師の社会的使命と役割の観点で述べれば、すべての子どもたちの必要性や必然性に合う良いものを設計し提供することは基本的な条件であることは議論の余地はありません。 さらに、子どもたちの知性に目を向けると、一人ひとりは異なるという多様性、Multiple Intelligences の理論も加える必要があるでしょう。こうして MI + UD に基づいた本来あるべき学習活動や評価が可能になると思います。 子どもたちが学習活動を通して、この先生は学習者としての自分を大切にしてくれていると感じることができたらすばらしいことだと思います。
0 コメント
街を歩いているとたくさんの言語が耳に飛び込んできます。店や工事現場では日本語を母国語としない人々が働いています。そういえば、成田空港に着いた朝、COVID検査の誘導係も日本語を外国語として習得した人々でした。
これらの人々に共通していることは、pandemicの影響でこの1年間、あるいはそれ以前から母国に帰っていないこと、家族や友人に会っていないこと、大好きな故郷の食べ物や飲み物を口にしていないということです。 金曜日の午後の駅前の不動産屋さんには4月から新しい場所で新しい生活を始めるらしい青年とお母さん、お父さんという2組がいました。大都市は人々を引きつける力と仕組みがありますが、そのために、単位としての家族のまとまりを崩される立場の人々もいます。 社会の構造や経済、生活にかかわる様々な物事が中央の都合と理屈で固定化されていることは、中央からの距離に比例して大きくなる事実ですが首都圏内に生活していると残念ながら気がつかないことです。 質問です。
ある先生との立ち話で、子どもたちの着ている服から内面の様子を探ることができるという経験談がありました。前出のStephen Coveyも同様のことを「心の地図で物事を認識する」と述べています。その地図には2通りあって、ひとつは現実を的確に見る地図、もう一つは物事はこうあるべきだという地図です。 Empathy 共感の意義について、人種、年齢、思想が異なる相手を固定観念や偏見や先入観を持たずに見る(接する)ことができるようになるというJamil Zaki, Stanford大教授の指摘があります。 "It helps us see past differences and allows us to see others who are of a different race or a generation or ideology from our own, without the lens of stereotyping, prejudice, or bias." 新しい出会いのある新学期に心がけたい習慣だと思いました。 これまでにたくさんの人を日本に連れてきました。そして旅行者にはたくさんの発見があります。その中でも特にteenagersが驚くのは、日本のいたる所で人々が信用されている証拠を見つけた時です。
たとえばあふれるばかりの商品が店先に並べられていて、お店の人が近くにいないこと。大きな通学かばんを背負っていても店内に入ることができること。彼らの体験談はいつも感動にあふれていました。 質問です。
34年ぶりに日本で生活を始めるために行動を開始すると、日本の社会ではまず「信用」を勝ち取らなければならないことに気がつきました。そのためには「信用」できる人間であることの証拠を盾に、相手を納得させることが必要です。 残念ながら「住所不定」の身では第一段階の準備として銀行口座を開くのもcredit cardを申請するのも家を借りるのも日本に住所がなければ不可能です。海外に自宅があるという説明や証明は通用しません。 雇用に関する書類には配偶者がいると記入しても戸籍謄本か抄本を添付しないと認めてもらえません。勤務先を記入しても雇用証明書がないと信じてもらえません。そうして、連帯保証人を立てるところにきて根気と我慢が途切れました。 海外から日本に移り住む人々の苦労をしみじみ思う機会でした。 けれども、これから新しく出会う子どもたちや共に仕事をする方々とは日常の小さなことを積み重ねてお互いの「信頼」を深めていきたいと思っています。 “It turns out that trust is in fact earned in the smallest of moments. It is earned not through heroic deeds, or even highly visible actions, but through paying attention, listening, and gestures of genuine care and connection.” Brene Brown (2018) Dare to Lead 朝、駅に向かう高校生が「歩き試験勉強」をしていました。開いた参考書の上の色板をずらして語句などの最終確認をしているようです。
この時期の試験は学期末、あるいは学年末試験と呼ばれるのでしょうか。その高校生にいくつかたずねてみたくなりました。 今日の試験結果はいつわかるのですか。先生は採点された試験を返してくれますか。その際にできなかった問題や間違えた問題を説明してくれますか。その問題に再度挑戦する機会はありますか。あなたの学校には試験のほかにどのような評価があるのですか。それらの比率はどのぐらいですか。導入してほしい評価項目や方法がありますか。そのことについて先生方と話し合う機会がありますか。あなたの学校では各教科の総合成績が5段階評価などであらわされるのですか。それがあなたの理解度、応用力、努力度、創意工夫度を正しくあらわしていると思いますか。 質問です。
学校に定着している定期試験のような総括的評価の役割と意味について見直す必要性を次の理由から強く感じます。定期試験にかかる時間と労力の生産性、発展性が他の教育活動と比較して低いこと、有効な学習につながる連続性が欠如していること、精神的な負担が大きいことなどです。これらは教師も子どもも共通して被る否定的な現実です。 どのような解決策があるでしょうか。形成的評価や診断的評価を年間学習計画に有効に組み込むこと、そして一人ひとりの各教科の現在の理解度、習熟度、努力度がわかる仕組みを作り子ども、保護者、教師が共有するという方法はどうでしょう。学習の過程と連続性を大切にすることで、子どもたちがすべての学習活動の必然性や意味を知るだけでなく、彼らの知的、社会的、精神的成長を助けるが可能になりそうです。 大学共通テストの形態になれるためにはどういう対策があるのですかという質問が出るかもしれません。それに対しては、子どもたちの能力を狭くとらえて数値化することに長けている教育産業が実施する模擬試験が担う役割ですと答えるとしたらひんしゅくを買うでしょうか。 |
Author萩原 伸郎 Archives
8月 2024
Categories |