社会の秩序を保つために、あるいは会社の利益を守るために、様々な規則・基準・手順が用意されています。根本的にはそれらは生活者であり利用者である市民の立場を中心に考えられているわけではないようです。とりわけ、規則や基準は様々な立場や状況の人々のことを配慮するためのものではなく、切り捨てる理由として存在しているようにさえ見えます。
さらに最近の特徴として、technologyを導入し通信連絡や作業を便利にすることを目的につくられた仕組みが世の中にたくさんあります。携帯端末のappsがその代表例ですが、本当に私たちの生活を便利にしているものはどれぐらいあるでしょうか。 そのようなことを考えていた時に、数人の先生方と帰国生の日本語能力の基準について、探究的学習活動を通して子どもたちが創り出す成果物について議論をする機会がありました。 質問です。
“Universal Design is the design and composition of an environment so that it can be accessed, understood and used to the greatest extent possible by all people regardless of their age, size, ability or disability. An environment (or any building, product, or service in that environment) should be designed to meet the needs of all people who wish to use it. This is not a special requirement, for the benefit of only a minority of the population. It is a fundamental condition of good design. “ Centre for Excellence in Universal Design 教師の社会的使命と役割の観点で述べれば、すべての子どもたちの必要性や必然性に合う良いものを設計し提供することは基本的な条件であることは議論の余地はありません。 さらに、子どもたちの知性に目を向けると、一人ひとりは異なるという多様性、Multiple Intelligences の理論も加える必要があるでしょう。こうして MI + UD に基づいた本来あるべき学習活動や評価が可能になると思います。 子どもたちが学習活動を通して、この先生は学習者としての自分を大切にしてくれていると感じることができたらすばらしいことだと思います。
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Author萩原 伸郎 Archives
8月 2024
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