Sabbatical で30年ぶりに生活することになった日本には新しい発見があふれています。数日から最長で2週間ぐらいの滞在では見えなかったことに気がついています。
Sim cardを入手するためにいろいろな店に足を運ぶたびに、店員さんは「クレカ」という略語を使いました。それがCredit cardを意味しているということは会話を続けているうちに理解しました。海外発行の「クレカ」では mobile wifiのsim cardは購入できないという不可解な事実は別にしても略語で表現することの理由は何だろうかと考えました。日本語は変化し続けているということ。そして言葉は、とりわけ名詞は短ければ短いほど良いという判断でしょうか。 日毎に色と大きさをかえていく新緑の樹木、公園や住宅の庭に咲く色とりどりの花など、美しい色が目に飛び込んできます。まさに百花繚乱の日本の春ですが、それら一つひとつの色を名詞で表現する語彙力を失っているように感じます。日本で教師をしていた頃、色画用紙の一つに浅葱色というのがありました。絵を書くときには鶯色、山吹色、桃色などという色の名前を使っていた記憶があります。それらは緑色、黄色、ピンク色とは微妙に異なる色でした。 質問です。 ① 校内や教室で子どもたちに言葉の大切さや正しい物の言い方を涵養するためにはどのような言語環境が必要でしょうか。 ② 私たち大人は子どもたちに直接影響を与える立場を意識して言葉使いや表現、さらにどのような聞く姿勢や話し方を心がけるべきでしょうか。 夕方の歩道を歩いていると、後ろに子どもを乗せた自転車とすれ違います。後ろの座席に座っている子どもが一生懸命にお母さんに今日あった出来事を話しています。家路を急ぐお母さんは相槌を打つだけでまともに聞いていません。お母さんがペダルを踏むのを数秒やめて、顔を向けて聞いてあげたら、その子はどんなにかうれしい気持ちでその晩を過ごしただろうと想像しました。 このTED Talkの主題のように、どういう言葉を使うか、どのように表現するかはその人そのものであることは周知の事実です。肝要なことは、そのことを意識して生活するかどうかにあると思います。たくさんの物事を吸収し続けている子どもと日々接している親や教師は看過することのできない心がけでしょう。 日本から中高生が来ると言葉集めgameをすることがあります。例えば「人の性格を表す形容詞をあげてみよう」のような問題で、日本人teamは日本語で、Australian teamは英語で頭に浮かんだ形容詞を紙に書いていきます。日本人teamが勝つことはありません。
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出張などで欠勤している教師に代わって、毎日必ず7年生から12年生までのどこかのclassの一こまを受け持ちます。担当の教師はその時間のtaskを用意してあるので、私の役割は生徒たちにそれをやらせることです。この時間は様々なことを垣間見る機会で、正直なところ楽しみにしています。例えば、生徒たちと教師の人間関係についてです。
質問です。 次のような例は生徒たちと教師とのどのような関係を示唆しているでしょうか。
11年生の宗教のclassを受け持った時、黙々と課題に取り組む一人の生徒がいました。声をかけると「先生のいない時にこそしっかり課題をやりとげ、信頼を裏切りたくない」と言ってのけました。教師が生徒たちのことを考え、生徒たちが教師を思う。信頼関係に基づいた人間関係が築かれていることを感じました。そしてこのclassの毎時間の学習活動の様子を想像してみました。 生徒たちの集中度に影響を与える要因、深い学習活動を導く要因、学習活動を通して成長する度合い・幅を決定づける要因について論じるには紙幅が足りません。しかしながら、それらに共通の因子を挙げるとすると「人間関係」だと思います。 情熱的にRelationshipの大切さを語るこの先生のTED Talkからは、人間関係や一人ひとりの生徒たちとつながることはもちろんのこと、彼らから学ぶ謙虚な姿も感じ取ることができます。生徒たちだけでなく教師も学習者として共に成長しあうことの重要性についてSeymour Papert (2001)は次のように語っています。 “If I wanted to become a better carpenter, I'd go find a good carpenter, and I'll work with this carpenter on doing carpentry or making things. And that's how I'll get to be a better carpenter. So if I want to be a better learner, I'll go find somebody who's a good learner and with this person do some learning. But this is the opposite of what we do in our schools. We don't allow the teacher to do any learning. We don't allow the kids to have the experience of learning with the teacher because that's incompatible with the concept of the curriculum where what is being taught is what's already known.” 迎合や懐柔ではなく、お互いを尊重しあい鍛えあう関係を校内や教室で築くこと。新学期の様々な活動からその基礎をひとつずつ積み重ねていくことを継続することができればすばらしい学習共同体ができるでしょう。 |
Author萩原 伸郎 Archives
12月 2024
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