学校に講演に来る方は、どのような立場であれ、一般化できるほどに共通の誤りや認識不足があることに気がつきます。多くの方は目の前の聴衆、つまり中学生や高校生、がこれから話すことを知らないだろうという先入観、あるいは主題の内容を時間の範囲内で「教え込まなければならない」という思い込みを持っていることです。さらに悪いことに、子どもたちの主題への共感を大前提としていることも、この手の講演会の体験を悪いものにしている原因でしょう。
一方、教科の学習活動をのぞくと、教師主導の「講義」が坦々と続いている光景が見られます。前述の先入観、思い込みの上に「講義」が組み立てられ、子どもたちの興味や関心がどのくらいあるか、前時の内容の習熟度はどの程度あるか、進行中の内容をどの程度理解しているか、つまずきはないかという教師として基本的な確認事項を忘れています。 質問です。 ① このような例に共通している講師や教師の問題点は何でしょうか。聴衆・学習者の一人として似たような体験があるでしょうか。 ② 講演や学習活動を受ける立場の人々や子どもたちの感情、関心、既習事項、体験などを提供する側が一次的な構成要素としてとらえると、その内容や方法はどのように変わるでしょうか。 ある国際NPOの方による中高生に気候変動のワークショップです。気候変動かるたから始まり、次々にタスクをこなしますが、中高生のやる気のスイッチはOffになりました。 “The shift that teachers, leaders and students need to make is obvious – and hugely significant: We need to switch our thinking, our emphasis, our language, our mindset away from tasks and towards learning.” Tom Sherrington (2019) 「教師、指導者、そして生徒がすべきことは明白であり、非常に重要なことです。 私たちは、思考、重要としていること、言葉、考え方を、課題から学習へと切り替える必要があるのです。」 中高生にとってそれらのHands-onはMinds-onにはなりませんでした。かるたは中高生にとってあまりにも幼稚で、必然性も意味も感じていないからです。 教科学習の場合はどうでしょうか。子どもたちは、学習目標が何であるかを明確に説明できるでしょうか。そして教師は学習目標に対する一人ひとりの学習の進行状況を確認しているでしょうか。 今日のクラスで問題をやり終えたのは誰か、誰ができなかったか。できなかった子どもからSOSが届いたか。重要な用語、解き方、意味などを理解しているかどうかを見極める証拠や材料は何か。それらの具体物をもとに分析するとクラス全体の理解分布はどうか。 次時のクラスでは、その分析をもとに、何をどう扱うべきか。特に目をかけるべき子どもは誰か。誰が発展的な内容をするべきか。これらはすべて形成的評価の手順であり、教師のMindsetです。
1 コメント
8/10/2022 03:51:16 am
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Author萩原 伸郎 Archives
10月 2024
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