先月のことになりますが、Bertrand Russellの文章を久しぶりに目にする機会がありました。この哲学者の文章はSomerset Maughamなどと並んで、私が大学受験の準備をしている頃によく読んだものでした。
正確には、通っていた予備校にAll Roundという英語講読の講座があり、担当の先生が編纂された小冊子には珠玉の短編が詰まっていて、そこで毎週名文を読んでいたという説明が適切です。受験に出るから読むのではなく、そこに書かれていることに興味がわいて夢中になって読んでいました。後にも先にも学校でこのような英文の読み方も講義も経験したことはなく、高校生時代にクラスの底辺にいた自分が優れた英文を読むことの深さと魅力に引きつけられるきっかけになりました。 質問です。 ① 高校から大学へすぐに進むことができなかったことで、図らずも得ることができた私の極めて個人的な知的体験ですが、目の前の子どもたちに人生の選択肢を多様に持つこと、それを勧めることは学校では不可能なことでしょうか。 ② 学習活動の過程で子どもたちに質の高い学習体験と、学習後も持続する興味や関心を育むことがむずかしいのはなぜでしょうか。 All Roundを担当されていた先生とは大学に入ってからも時々お目にかかる機会がありました。私がAustraliaの学校で働いている時には、旅行の途中に奥様と遊びに来られたこともありました。 “If the matter is one that can be settled by observation, make the observation yourself.” 観察で解決できる問題なら、自分で観察すれば良いのです。 “If an opinion contrary to your own makes you angry, that is a sign that you are subconsciously aware of having no good reason for thinking as you do.” 自分の意見に反する意見にあなたが腹を立てるのは、自分の考えに正当な理由がないことを無意識のうちに自覚している証拠なのです。 “A good way of ridding yourself of certain kinds of dogmatism is to become aware of opinions held in social circles different from your own.” Bertrand Russell ある種の独断的な思考を排除する良い方法は、自分とは異なる社会的サークルの意見を意識することです。
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Author萩原 伸郎 Archives
8月 2024
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