昨年学校に訪ねてきたドイツの大学の研究者から、言語教育に関する研究のためのインタビューの依頼を受けました。日時を決めてFaceTimeですることにしました。
FaceTimeの前に送ってきた質問に目を通すと主題は2030年の教育の姿についてでした。テクノロジーがさらに進化し、世界中の様々な分野で2018年とはまったく異なった新しい常識が一般化する時、学校で言語を教える教師の仕事はどうなっているだろうか、大学での教員養成はどうなっているだろうかという質問です。 答えを準備している時、昨年のある出来事を思い出しました。7年生の日本語の一番最初のクラスが出張と重なってしまいました。そこで自習課題を出しておきました。学校に戻って子どもたちの学習に目を通すと、何人もがひらがなで私にメッセージを書いてくれていました。まだ習っていない言語で一体どうやって書いたのだろうと率直に疑問に思いましたが、各自が持っているiPadでそのようなことは「朝飯前」なのです。 インタビューで出た質問の一部です。
言語、とりわけ外国語の学習はどれだけ多くの単語や熟語を暗記し、あるいは辞書の助けを借りて、与えられた文章などを読み砕いていくという作業の繰り返しでした。現在でもその暗号解読に似た方法は継承されています。 これまで学習内容の中核的な内容を占めていたWhat (単語、文法、発音など)とHow (読解、聴解、表現) は必然性を失うだろうと予想しています。人間の頭で学習し習熟されていく領域はWhyだと思います。例えば、母国語と外国語の比較を通して、表現のし方や語順の違いを発見して分析する学習、単語の意味範囲や含蓄の違い、物事の見方や考え方の違いなどが学習の中心になるのではないでしょうか。 そうなると、英語、フランス語、中国語などを個別な教科として学習する意味も薄れていくでしょう。教科として区別されてきた地理、歴史、政治経済、音楽、美術、家庭科、国語、外国語が有機的に混ざり合って、例えば「フランス革命」を総合的に学習していくというようなカリキュラムが主流になると信じています。さらに、教科書を学習していく受け身の学習は存在し得なくなり、子どもたちが様々なつながりを自分たちで探っていき「知識」をつくっていく主体性の高い学習活動になるでしょう。 インタビューを受けながら私の答えは大きくなりました。
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Author萩原 伸郎 Archives
10月 2024
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