手品をかなり真剣に練習している10年生と話していると、手品には三つの鉄則があると教えてくれました。① これから何が始まるか言わない。② ねたを明かさない。③ 繰り返さない。なのだそうです。
これを聞いて気がついたことは、まさにあまり良くない学習活動の典型的な例ではないかということです。習慣として確実に欠けている要素は①と③で、これから何を学習して何ができるようになるのか伝えられていないことがよくあります。そして学習内容を先に進めることに集中するあまり、十分な振り返りや解説を繰り返す機会は少ないでしょう。②については多くの先生方が使命感を持って説明しているのが現実だろうと思いますが、「ねた」を「証拠」evidence, proof、あるいは「材料」materialととらえると、ある事象や公式がなぜそうなるのかという証拠をつきとめたり、深く考察する材料を提供する場面はもしかすると少ないかも知れません。 質問です。 ① 上記の手品の3つのきまりが、学校の中で一番明確にあらわれてくるのは評価の場面でしょう。もしテストの数日前に、何が始まるか(何が出るか)を伝え、ねた(解答を導く材料)を与え、もし会心の出来でなければやり直すことができるという機会を提供したら、子どもたちの中にどのような変化を生むでしょうか。そしてテストの問題はどのように変わるでしょうか。 ② 学習のまとめとしての総括的評価がそのような手順と内容に変わると、学習活動自体はどのように変化するでしょうか。 まずテストで測ろうとする子どもの知識と技能が、単純な暗記で答えられるような問題ではなくなるはずです。学習したことをテストで再生産させるような問題ではなくなるはずです。 そうするとその題材・単元の学習内容と方法が完全に異なってきます。答え探しや反復練習のような作業から、物事の意味、法則、因果関係、応用を探る活動、読解だけでなく分析や表現への発展的な創作活動など可能性は無限に広がります。 To put it in an odd way, too many teachers focus on the teaching and not the learning. They spend most of their time thinking, first, about what they will do, what materials they will use, and what they will ask students to do rather than first considering what the learner will need in order to accomplish the learning goals. Grant Wiggins (2005) Understanding by Design 変な言い方をすれば、多くの教師は生徒が学ぶことではなく、教えることに重点を置いているのです。学習目標を達成するために学習者が何を必要とするかを考えるよりも、まず、自分が何をするか、どんな教材を使うか、生徒に何をさせるかを考えることにほとんどの時間を費やしているのです。 手品師と教師に共通している技は、注目を集めるということでしょうか。
1 コメント
7/10/2022 06:49:47 pm
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Author萩原 伸郎 Archives
12月 2024
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