7月下旬に私たちの学校を訪れた日本の中学生と交わした会話の中に興味深い視点がありました。
Host familyとの生活や学校での活動を通して、Australiansが時間に大雑把だという結論に達したようです。例えば、私たちの学校では各校時の終わりにはベルが鳴りますが始まりのベルはありません。本当にそうかなあ、と返答していくつか質問をしました。「君たちがどこかに集合する時に先生方はどのように指導されますか。」 予想通りの答えが返ってきました。2問目です。「集合の5分前に集まることが自分と他人の時間を大切にしていると言える根拠はどこにありますか。」3問目は「例えば先生が午前9時に集合と生徒たちに伝えておきながら8時55分に皆が集まることを期待しているのなら、はじめから8時55分集合と伝えるべきではないのですか。」 質問です。
日本の学校を訪問して目につく掲示物の一つは「時間厳守」とか「定時着席、学習の準備」などの指示です。そういう行動ができることと、学習の質が高まることとはまったく関連性のないことのように思います。 練習の時間や回数と成果の相関関係は必ずしも高くないことは経験的に理解していますが、補習授業のような習慣はなくなりません。合理性や科学性に基づいて行動するよりも、献身的な態度や行動を他者に示すことの意義が優先しているのかも知れません。 私は日本からのお客様と行動を共にする際は、約束の時刻より少し遅れ気味に迎えに行くようにしています。最初は時刻の前に宿の外などに出て待たれているようですが、やがて私が「◯分前行動」をしないことに気づかれると、約束の時刻に行動すればよいと判断されるようです。これがAustralian timeであると感じてもらうと同時に、私流のおもてなしです。 中学生たちがhomestayで驚いたことのひとつは家族の夜が早いということです。夕食も早いし就寝も早い。そして起床も早い。寝る頃にはお腹が空いて困りましたと話してくれました。
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Author萩原 伸郎 Archives
8月 2024
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