今読んでいる本の中に興味深い引用がありました。
“But the “father of standardisation,” American industrialist Frederick Taylor, realised that in a system of factory production where machines were expensive and heavy but humans were cheap and malleable, it was more efficient to arrange the workers around the machines than to arrange the machines around the workers.” 例えば“machines” を「大学入試制度」に、“workers”を「受験生」に置き換えると、大学入試制度は受験生の立場を中心にして制度を改革するよりも、入試制度を中心に受験生をそれに合わさせる方が効率が高いということになります。もしかするとそれは、教育行政や大学側が持つ2020年の大学入試改革の本質的な考え方を表しているかもしれません。 質問です。
大学で学ぶために英語の一定の能力が必要だという考えは、未来志向のように感じられますが、旧来からの囚われのように思えます。研究や留学で必要になれば、あるいは必要になるという直感を持つならば、学生が各自真剣に学んで身につければ良いことでしょう。それこそが主体的に学ぶ姿だと思います。 昨日から、こちらでは日本とはまったく異なる大学入学共通試験が始まりました。どの教科もすべて記述式です。外国語は読む、聴く、書く、話すの四領域が公平に配点されています。受験科目もあらゆる教科から選ぶことができます。日本の現状から見れば理想的な共通試験ですが、さらに時代にあった改革を続けています。その一つは、大学での学習や研究、実社会で必要な創造力、構造的思考力、協働力、発表力などを中核としたworkshopを大学が毎週通年で開設しています。ここで高校2年生から育成を始め、高校卒業後は希望の学部に入ってもらうという仕組みです。教科の知識量や記述能力などを評定基準としていた従来の入学試験とは正反対の能力観に基づいています。
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Author萩原 伸郎 Archives
10月 2024
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