数年前まで、私は生徒たちが一か所に集まってつまらない発表や話を聞くだけの Assembly 全校集会を廃止してonline化したものに変えるべきだと主張していました。他のleaderたちは内容の程度があまり高くない全校集会であることを認めつつも廃止することには躊躇していました。
水曜日の朝、1200名を数える全校生徒が集まった体育館でAssemblyがありました。今ではかつて私が批判的だったものとは完全に異なるAssemblyが定着しています。生徒たちがすべてとりしきり、教職員は唯一校長だけが壇上に上がって、一言述べるだけです。毎回の山場はStudent Executivesによる講話です。この日はresilience 粘り強さ、不撓不屈の心構えについてでした。最近の中高生は困難に立ち向かう姿勢が弱くなっているという事実、定期試験を来週に控え多くの生徒が不安定になっているという事実を踏まえての話題の選択だったことは明らかです。聴衆もうまく取り込んで確実にmessageを届けました。 Assemblyのたびに感じることは二つあります。一つは、生徒たちに考えさせ行動させる領域が広がると自治的な文化が育ちはじめること。主役も脇役も生徒たちが演じるべきで、教師は裏方で十分だということです。 日本の学校に根付いている委員会活動や清掃作業などの文化。それらを通して育てている能力や習慣は、こちらの学校が逆立ちしても簡単に導入できるものではありません。日本の学校で、清掃中に人目のまったく届かないような所で丁寧に体を動かしている生徒たちを遠目に見かけることがあります。そういう時はそこまで行って、言葉をかけてあげるようにしています。 質問です。 ① 教師たちの傀儡ではない、生徒たち自らの自治活動が生まれ出る文化を育てるためには何が必要でしょうか。 先ほどの動画にいるStudent Executiveたちの頭髪が短いことに気がつかれたかもしれません。実はこの3週間ほどの間12年生が中心になって癌医療の研究費への募金活動をしていました。女子は化学療法を受ける女性のかつらの材料として21人が自分の髪を切って提供しました。そして募金額は130万円を超えました。一方男子は腫瘍の治療を近々受ける同級生のために、35人が五分刈りをして連帯を強めました。彼の治療費として約45万円の募金も集めました。 行動力、人間愛、自主性、自己犠牲の尊さを身をもって示しました。同年代だった頃の私は彼らの足元にも及びません。募金活動の総指揮者が放課後に静かにやってきて、支援へのお礼にと言ってchocolateの詰め合わせをくれました。お小遣いは完全に底をついているでしょうに。 坊主頭になった小柄な彼女がとても大きく見えました。
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Author萩原 伸郎 Archives
10月 2024
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