都内の公立小学校・中学校を1日1校訪問しています。そして、毎日新しい学校に行くたびに驚くのは先生方の仕事量です。
毎時間の授業ではどの教室も先生が主役です。授業の始めから終わりまで先生の声が止むことはありません。しかも音量は最大です。 先生は教科書が大好きで、教科書なしでは授業は進みません。たいていの場合、副教材があり、さらに先生はたくさんのプリントを用意してきます。 授業は先生の発問…一部の生徒の挙手…先生が指名…生徒の発言…先生の決裁・判決という流れで進み、そこに加わる子どもたちは限られています。 一般化することは正当性や科学性が損なわれるので避けるべきであるのは重重承知していますが、敢えてこれまでの学校訪問でとらえた事実関係を表現すると次の通りです。 教師の仕事量 > 子どもの知的活動量 子どもが授業中にしていること = 作業 ≠ 学習活動 質問です。 ① 作業と学習の根本的な違いは何でしょうか。 ② 教師の仕事量は本来どこで、どの場面で多くなるべきでしょう。 それにしても驚くべきは子どもたちの従順さです。誰もが文句も言わず、疑いもせず言われたことを言われた通りにしています。学校によってはやんちゃな子どもたちもいますが、結局は先生に言われたことを受け入れています。小学1年生から徹底して訓練されているのでしょう。作業は常に個人で取り組むことも徹底されています。協働学習という文化は育っていないようです。稀に班になって作業をしている教室がありますが、よく観るとそのように座っているだけで、各自が別々に作業をしています。 今回の集中的な学校訪問で認識したことは、日本の多くの学校が学習内容・方法・評価に関して本質的には学制(1872年)以来何も変わっていないのではないかということです。伝統を継承しているという見方も可能です。しかしながら世の中という容れ物が大きく変革していることを考えると、その中身も変わらなくてはならないでしょう。次回以降、参観して疑問に思ったことをみなさんと考えたいと思います。明日も公立中学校を訪問する予定です。
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Author萩原 伸郎 Archives
8月 2024
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