日本の学校には他所では見ない教室備品があることに気がつきました。教室の黒板にあるタイマーです。先生は子どもたちに課題やテストを与えると7分でやってくださいなどのような指示をして時間を設定します。時間になったことを知らせる音がすると、終わっていない子どもがいても、発表や答えあわせなど次の作業に移ります。
子どもたちと学習の振り返りとしてよく使う Kahoot や Quizizz のようなonline gameの楽しさのひとつは、制限時間があることです。ドキドキする感じが子どもたちをかき立てます。 中学3年数学の教室です。始まりの挨拶を終えると先生は因数分解に関する小テストのようなものを配ります。時間を設定して作業開始。時間になると先生は解答が書かれている紙を配ります。子どもたちは各自採点します。先生が「10問できた人?」「9問できた人?」と全員にたずね、子どもたちは挙手で応じます。それが終わると、ファイルに綴じる指示が出され、子どもたちは言われた通り小テストと解答を綴じます。一見滑らかな流れですが、学習とはかけ離れた価値の低い単純作業でしょう。 質問です ① 学習の過程では課題を時間内に終わらせることにどのような意味があるでしょう。 ② 時間制限をせずに一人ひとりの子どもたちに課題をやりとげる機会をあげると学習の成果にどのような違いを生むでしょう。 先生が板書にかける時間、子どもたちがノートに写す時間には大きな差があります。5年生の社会科の教室です。先生が課題を板書するのに約1分かかりました。そして次の作業について説明を始めました。最後の子どもがノートに写し終えたのは2分30秒後。かなりの子どもたちが先生の説明を聞き逃したか、写しながら聞いたことになります。もし、先生が最後のひとりが写し終わるのを待って、次の作業について説明を始めたとしたら、子どもたちの学習にどのような変化を生むでしょう。 先生方が時間について拘泥していることの例とまったく意識されていない例を挙げました。このような日常的な学習の画一化は、実は一人ひとりの学習権を十分に保証していないことにつながるということに気づく必要があるでしょう。 私たち人間は植物を育てている際に、明らかに成長が遅れている苗や元気のないものには、いろいろと気遣い丁寧に扱うという本能的な優しさを持っています。学校での学習活動になると、効率が優先されてしまう傾向が強くなります。残念ながら、学校は工場ではないので、その効率には必然性も科学的根拠もありません。
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Author萩原 伸郎 Archives
8月 2024
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