昨日の花屋さんはとても混雑していました。レジの行列の中に塾のカバンを背負った小学生が3人並んでいました。それぞれが1本のカーネーションを持っています。母の日のプレゼントなのでしょう。しばらくして、きれいな袋をさげて店から出てきました。
“Mother is a verb. It’s something you do, not just who you are.” という表現があります。自分が育ててもらった事実を思い起こすと「してもらった」という受動態の動詞ばかりが思い出されます。一方、子育ての経験を振り返ると、「した」という動詞の過去形が並びます。 母親から自分に向けられた動詞の種類と頻度が多ければ多いほど、そしてその影響力の認識が深ければ深いほど、母の日への感謝の気持ちが大きくなるのでしょう。 質問です。 ① Teacher is a verb. と言えるでしょうか。 ② Student is a verb. とも言えるでしょうか。 教師という名詞が職務を決めるのではなく、教師が子どもたちや学校共同体に何かを働きかけることで、仕事の「意味」や「価値」が生まれてくるのでしょう。一方、生徒については、自分や他者からの定義で受け身の行動を選択するのではなく、自らが興味や関心のある物事に働きかけたり行動したりすることで、生徒としての存在意義が生まれ、様々な領域で成果をあげる個人に成長するのでしょう。 母親、教師、生徒という立場や役割を各自が動詞としてとらえると、するべき仕事や責任が明確になってきます。そこに向かう意識も強くなってくるように感じます。この内発的な力の強さが成果に差を生むのではないでしょうか。 ところで、その動詞は時と場合によって増えることも減ることもあります。先日の新聞に、ある作家が子どもの成長を通して持った複雑な感情を綴っていました。 “My daughter has booked in her driving test and I know if she passes, it will mean she’ll borrow my car without me in it. And as much as I want her to pass, I’ll also miss the hours we’ve spent, sitting side by side, learning something new about each other.” Nova Weetman (2023) The Guardian 「娘が運転免許の試験を予約しました。もし合格したら、私が乗っていない私の車を借りることになります。娘に合格してほしいのは山々ですが、並んで座り、お互いの新しい事を知りながら過ごした時間が恋しくなります。」 親として子にする「動詞」が減ることはうれしいことでもありさびしいものでもあります。
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Author萩原 伸郎 Archives
8月 2024
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