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前回のIdeasではemail newsletterにあった"Deep Thoughts for the Summer"の中から1番目のEssential questionを取り上げました。実はこのリストを目にした時に一番気になったのが2番目の質問でした。
「私自身が教育上の遺産(レガシー)として、どのようなものを残したいか?」 質問です。 ① 年度の終わりや転勤・転校する際に、自分自身のLegacy (達成した業績や功績、歴史的・文化的価値)を意識したことがありますか。共に仕事をした人が職場を離れられる時に、その人が積み上げたLegacyに深く感動した経験がありますか。 ② Legacyとは自分が残そうと意識して残すものでしょうか。それとも周囲の人、組織、社会が無意識のうちに共通認識として創りあげるものでしょうか。 教師の場合は、関わりを持った子どもたち、保護者、共に仕事をした同僚や上司、外部組織の方々、地域の方々が、人柄や仕事ぶりをどう見ていたのか、どのような印象を持っていたのか、どう評価していたのかという要素が醸成されて自然にLegacyが生まれるのだろうと思います。 私はこれまでに様々な場で多様な方々と仕事をする機会を持ち、人間性や専門性に強い影響を受けました。その人たちが学校を去った時に大きな喪失感、別の見方をすればおそらく本物のLegacy、を感じました。むずかしい状況にある時に、あの人だったらどうするだろうか、何と言うだろうかと想像するたびに、それらの人たちはいつも登場しています。 Stephen Coveyの著作、The 7 Habits of Highly Effective PeopleにBegin with the end in mindという章があり、次の一節があります。 "the most fundamental application of “begin with the end in mind” is to begin today with the image, picture, or paradigm of the end of your life as your frame of reference or the criterion by which everything else is examined. Each part of your life—today’s behavior, tomorrow’s behavior, next week’s behavior, next month’s behavior—can be examined in the context of the whole, of what really matters most to you. By keeping that end clearly in mind, you can make certain that whatever you do on any particular day does not violate the criteria you have defined as supremely important, and that each day of your life contributes in a meaningful way to the vision you have of your life as a whole. To begin with the end in mind means to start with a clear understanding of your destination.” 「『終わりを念頭に置いて始める』という考え方の最も基本的な応用法は、今日という日を、自分の人生の終わりを描いたイメージや図像、パラダイムを基準点として、あるいは他のあらゆることを検証するための基準として捉えることです。」、「『終わりを念頭に置いて始める』とは、自分の到達すべき目標を明確に理解した上でスタートすることを意味します。」 今もし命を失ったら自分の死亡記事に何が書かれるか、周囲の人々が自分をどのように回想するかということを意識することが「終わりを念頭に置いて始める」ことの基本だということ。Emotional Intelligenceの中のSelf-awareness、高い自己認識を持って生活し仕事をすることを意味するのだと思います。一方、Legacyとは、そうした日々の選択がもたらす究極の結果だと思います。 Western Australiaの学校は7月3日がSemester Oneの最終日でした。この週は多くの学年でカリキュラムには関係のない「自由」な学習活動が見られました。細かく段階を追って高次の内容へと課題を積み上げていく通常の学習ではなく、子どもたちが興味や関心のままにやりたいと感じたことを周囲のクラスメイトと話し合いながら進めていました。子どもたちの表情は明るく生き生きとしていたのが印象的でした。その光景を見ながら、「のびのび」とはこういう状況を指すのだろうなと感じました。
そんなことを考えていた時に届いたemail newsletterに”Deep Thoughts for the Summer”という特集がありました。そこには5つのEssential questionsが挙げられていました。
まさに私が感じていたことがDeep thought 1の「生徒たちのために、もっと手を抜いてもいい時ってあるだろうか?」でした。 質問です。 ① 教室の目の前の子どもたちのためにという意識を持って続けられている実践の中に、もしかしたらそれが逆の影響を生んでいる可能性があることはないでしょうか。 ② Scaffolding (足場のこと。子どもたちがつまずくことなく課題を進めていけるように細かいステップを設けること) を用意せずに、子どもたち自身が自らの力で前へ進むような学習過程を提供することは無理なことでしょうか。 Scaffoldingは多様な生徒がいるAustraliaの教室では担当教員からの通常の「配慮」です。けれどもそのために学習活動は平板になり、みなが失敗をせずに同じ結論や成果に至るという予定通りの学習活動に陥ります。予め用意された質問を読み、用意された資料を読み、与えられた質問の答えを見つけるという「作業」を続けて単元が終わります。失敗がないように、準備された学習計画から逸脱しないようにプログラム化された学習活動が本当に子どもたちの知的・社会的成長に意味のある過程かどうか疑問に思います。 前述のDeep thought 1の問いかけに対して次のような投稿がありました。 "'How can I stop scaffolding every task for students, and have the courage to be less helpful?"「どうすれば、生徒のあらゆる課題に対して手取り足取り指導するのをやめ、あえて手助けを控える勇気を持てるようになるでしょうか?」 "I have really been trying to incorporate the "Ask 3 before me" method in my teaching when students are working independently. They should be able to see their peers as a resource as much as a teacher."「生徒たちが自主的に学習している時、私は「先生に聞く前に3人に聞いてみる」という方法を積極的に取り入れようとしています。生徒たちは、先生と同じくらい仲間も頼れる存在だと認識できるようになるべきだと思います。」 子どもたちの知的、社会的成長を願う時、これらの方法を試してみる価値はあると思います。 あの人はさすがプロフェッショナルだなと感動することはあっても、自分自身がする仕事についてはたいてい反省や後悔がついてまわります。その経験から、物事に関わってきた時間や回数は、その物事の成功度や完成度を保証する指標にはならないと戒めています。そして、何となくモヤモヤ感がある時は客観的に振り返るようにしています。引用した記事の筆者もリフレクションを習慣化している教師であることがわかりますが、大切なMindsetを持たれています。
"After a day of looming chaos from disruptions, I always ask myself: "Where am I?" and "How can I teach better?" This is not about blame; it is about taking care of myself and avoiding the temptation to demonise students. As psychologist Carl Rogers urged, meet every student (and treat yourself) with unconditional positive regard, regardless of frustrating behaviours. This helps restore your own equilibrium." Geoffrey Scheurman (2026) A 6-Step Approach to Proactive Classroom Management 「混乱を招く出来事が続いた一日の終わりに、私はいつも自問します。『私は今、どこにいるのだろう?』そして『どうすればもっとうまく教えられるか?』これは誰かを責めることではなく、自分自身を大切にし、生徒を悪者扱いしたくなる誘惑に負けないようにするためのものです。心理学者カール・ロジャースが説いたように、たとえ生徒が苛立たしい行動をとったとしても、すべての生徒に対して(そして自分自身に対しても)無条件の肯定的な配慮を持って接しましょう。そうすることで、自分の心のバランスを取り戻すことができるのです。」 質問です。 ① 無条件の肯定的な配慮とはどのような認識や判断によるものでしょうか。実際にそのような配慮を子どもたちに向けたことがありますか。 ② 社会や学校、教師が子どもたちの行動や態度をReactive反応的に受け止めてしまう傾向があるのはなぜでしょう。Proactive予防的に対応するためにはどのような方法や手順があるでしょうか。 子どもたちと学校がco-agencyを持つことの必要性が提唱されてかなりの時間が過ぎましたが、前時代からのdefault化した児童生徒観と教育観から抜けで出ることができないオーストラリアの学校や教師を目にするようになりました。そこには共通の「負のサイクル」があることに気がつきます。 "Students ask permission to use the bathroom. They get corrected for talking. Movement is restricted. Learning is often disconnected from real-world purpose or relevance. Adults and students can become locked in unhealthy power struggles precisely at the developmental stage where young people are biologically wired to seek greater agency and independence. Teachers feel disrespected and overwhelmed. Students feel controlled and disconnected. Schools add more rules and consequences. Students disengage further. And somehow, we've normalized this cycle by telling ourselves that we simply need to "survive the middle school years." Katie Martin (2026) 「まさに生徒たちがより大きな主体性と自立を求めるようになっている発達段階において、教師と生徒は不健全な力関係の争いに巻き込まれてしまうことがあります。教師は生徒の無礼を嘆き疲弊しています。生徒は教師から支配されていると感じ、学校や学びとのつながりを失います。そのため学校側はさらに規則や罰則を増やします。その結果生徒はますます学校から距離を置くようになります。」 教師から「無条件の肯定的な配慮」があれば、子どもたちとの対立的な関係は改善に向かうでしょう。けれども教師一人ひとりのMindsetに関わることなのでむずかしそうです。 日本の中高生、中学校高校にも同じような「負のサイクル」が見られるでしょうか。 ある高校3年生から「日本人の英語教育と海外経験」というテーマの卒論についての質問を受けました。留学の積極的奨支援策などについて意見を求められましたが、この質問は、20数年前に同様のテーマについて考えていたことを思い出すきっかけとなりました。当時は、日本語の特徴や日本人の気質が、外国語の習得というよりも活用という点で影響があるという分析に共感していました。
「強烈な自己主張をぶつけないで、相手に自分を分かって貰うのは、日本人が相手でない限り無理な話しだということが、日本人にはのみ込めていない。しかも、前に述べたように、私たちは相手が同定できないうちは、自分の意見なり主張なりを確立することが不得手ときている。そこで日本の対外的な交渉は、外交、政治、経済のすべての点で出おくれになる。大勢がつかめないうちは、自分の位置づけができないからである。日本人が外国語が不得手で、国際会議でも学会でも実力の割におくれをとるのは、語学力そのものの点よりも、むしろ問題は、自分を言葉で充分表現する意思の弱さ、それも相手の主張や気持ちとは一応独立して、自分は少なくともこう考えるという自己主張の弱さに原因の大半があるように思えてならない。」鈴木孝夫 (1973)『ことばと文化』 そしてAustraliaの外国語教育と同様に、日本の学校での英語教育の内容と対象は一般教養としての英語と高度なレベルのものを分ける必要性があると考えていました。 「いま日本の学校での英語教育の効率を上げたければ、(中略)日本の若者全員を対象とする、しかも強制的な「バラ撒き英語教育」をやめて、英語はすべての段階で、やりたい者だけがとる選択制を導入すべきでしょう。」鈴木孝夫 (1999)『日本人はなぜ英語ができないか』 質問です。 ① 21世紀の四半世紀が過ぎ、日本社会も日本人の意識や生き方も大きく変化しています。鈴木孝夫さんが指摘されたような「対象依存型の自己規定」の習慣も変化しているでしょうか。 ② Australiaの学校や大学では外国語の履修者が激減しています。一方、日本では外国語、とりわけ英語の能力を上げることへの国民的な願望や関心度は衰えを見せません。どのような要因があるのでしょうか。 必修科目で入学試験科目、さらに就職の際にも少なからず影響することから学習者には好き嫌いに関わらず真剣に向き合うことが要求される「英語」。そしてそれを取り巻く膨大な教育産業。「英語はすべての段階で、やりたい者だけがとる選択制」を取ればどれだけ多くの中高生が救われるでしょうか。 この高3生の質問は、卒業論文という探究的学習のあり方についても考えるきっかけをくれました。テーマの選定から研究方法・手順について一通りの指導マニュアルをもとに、担当の先生が指導をされているのだと思いますが、30数人の進捗状況に目を通し、個人が抱える課題や疑問に対応することは時間的にむずかしいのだろうと想像します。それらの予想可能な事態を防ぐ手立ては準備されているのか、高3の卒論に至る以前に子どもたちのどのようなスキルをどのように育んできたのか疑問に思いました。 "Project-Based Learning works best when students have enough background knowledge and enough core skills to actually think deeply about the content. They can't make connections if there's nothing to connect it to. They can't solve problems if they lack the skills or the conceptual framework for the content they’re engaged in. Otherwise, the project can become little more than shallow guesswork with a polished final product.” "Sometimes students need direct instruction, guided practice, modeling, repetition, and smaller learning experiences before they are ready for a larger open-ended project. There is nothing wrong with that. In fact, strong PBL often depends on those foundational building blocks. In other words, you can't build anything if you don't have the building blocks to build with. I think of it less as "PBL or traditional instruction" and more as sequencing. Sometimes students need workshops before the project. Sometimes they need mini-lessons during the project. Sometimes they need a smaller structured challenge before tackling something more complex." John Spencer (2026). When Should We Avoid Implementing PBL? 2017年に書いたIdeasのblogに、Harvard UniversityのSandel教授が2013年に登壇したTED Talkで述べられた指摘を引用しました。
"Over the past three decades, we have lived through a quiet revolution. We've drifted almost without realising it from having a market economy to becoming market societies. The difference is this: A market economy is a tool, a valuable and effective tool, for organising productive activity, but a market society is a place where almost everything is up for sale. It's a way of life, in which market thinking and market values begin to dominate every aspect of life: personal relations, family life, health, education, politics, law, civic life.” Michael Sandel (2013) Why we shouldn't trust markets with our civic life 「過去30年間、私たちは静かな革命を経験してきました。私たちはほとんど気づかないうちに、市場経済から市場社会へと移行してきたのです。その違いはこうです。市場経済とは、生産活動を組織化するための価値ある効果的な「道具」に過ぎませんが、市場社会とは、ほぼすべてのものが売り物となる場所なのです。それは、市場的な思考や価値観が、人間関係、家庭生活、健康、教育、政治、法、市民生活など、生活のあらゆる側面を支配し始めるような生き方なのです。」 中東情勢を報道するニュースは、痛みや悲しみの最中にいる人々を置き去りにして、常に株価や原油価格の動向などとセットになって報道されます。それを見るたびにSandel教授のこの言葉を思い出します。あれから10年以上過ぎ、教授が憂うべき現象として訴えていた市場社会が私たちを取り巻く日常的な現実になっていることを感じます。 質問です。 ① もしあなたが公共放送の国際報道担当だったら、あるいは全国紙の新聞社の国際部担当だったら、中東情勢についてどのような視点で取材をしてどのような情報を日本に住む人々に伝えるでしょう。 ② 教室の子どもたちは遠く離れた地域や国で紛争や戦争が起きていること、子どもたちや市民が犠牲になっていることをどのような媒体を通して状況を正確に知るのでしょうか。子どもたちの感情や心情を学校や教師はどのように受け止めているのでしょうか。 自分の生活を守ることや世の中の動向に敏感になることは当然のことですが、市場的な思考や価値観の浸透は、道義的、倫理的な判断基準ではなく自分にとって価値がある物事だけを支持し、数値化や効率性を追い求め、業績主義 Meritocracyを蔓延させます。広い視点で物事の連鎖反応や因果関係を理解する能力や、社会的弱者への共感や共同体意識を持ち共通善 Common goodのために自分ができることを模索し行動に移す能力と対極にあります。 世界の中枢にいる人々がこれまでの惨状について何も発言、行動しない中で、レオ14世教皇の厳しい現状批判に世界中の多くの人々が、宗教を超えて共鳴しています。 "To them we cry out: stop! It is time for peace! Sit at the table of dialogue and mediation – not at the table where rearmament is planned and deadly actions are decided.” "Enough of the idolatry of self and money! Enough of the display of power! Enough of war! True strength is shown in serving life.” Pope Leo 11 April 2026 「私たちは彼らに向かって叫びます。やめてください!今こそ平和の時です!再軍備が計画され、殺戮的な行動が決定される場ではなく、対話と調停の場についてください。」 「自己や金銭への崇拝はもういい! 力の誇示はもういい! 戦争はもういい! 真の強さは、命を慈しむことにこそ表れるのです。」 学校の教育活動の基本理念をもとに策定されたVision for Learningのような構想や方向性は、学校コミュニティの中で共有され、具体的に挙げられているCompetenciesが日常の教育活動を通して系統的に指導され評価されることによって、理念が現実化され子どもたちが必要な能力を獲得するという一連のつながりについて先週述べました。
系統的な知識の習得を確実なものにするためにカリキュラム、学習活動、評価という要素が有機的に連結されています。それと同様に、Competencies 能力や資質の獲得も3要素の中に含まれ、多くの教室で実践されているはずです。しかし教育評価の対象は常に評価しやすいものに重点が置かれるという慣習から、正しく測定することがむずかしいCompetencies の評価は見過ごされてきたように思います。 この点についてYale UniversityのGordon名誉教授は次のように指摘しています。 "we have been evaluating the outputs of education while neglecting the processes of learning that produce those outcomes. The result is an underutilisation of assessment's potential: its potential to guide teaching, to inspire students, and to support the cultivation of intellective competence–that is, the capacity and disposition to use knowledge and thinking skills to solve problems and adapt to new challenges." Edmund W. Gordon (2025) Toward assessment in the service of learning 「私たちは、教育の成果を評価する一方で、その成果を生み出す学習のプロセスを軽視してきました。その結果、評価が持つ可能性 - すなわち、指導を導き、生徒を励まし、知的能力つまり知識と思考力を活用して問題を解決し、新たな課題に適応する能力と姿勢を育む可能性 - が十分に活かされていないのです。」 質問です。 ① これまでにCompetenciesの直接的・間接的な獲得をねらって実践された学習活動の中にどのような成功例や予想通りに展開しなかった事例があるでしょうか。その際にどのような評価方法を採用されましたか。 ② 教科学習の中で、どちらかというと主観的に拾い上げた子どもたちの努力やがんばりを「努力点」として点数化する習慣がありますが、Competenciesを正しく評価するという観点で考察するとどのような仕組みや方法があるでしょうか。 "If our aim is to understand learners' thinking and guide their progress, we must look beyond right-or-wrong answers. We need to examine process: How did the student arrive at this answer? What misconceptions were revealed in their intermediate steps? How did they respond to hints or setbacks?", "Our assessment systems should ultimately aim to foster and capture these broad competencies: critical thinking, adaptability, creativity, and the capacity to learn how to learn.” Edmund W. Gordon (2025) 「学習者の思考を理解し、その成長を導くことが目的であるならば、正誤という結果だけにとどまらず、その過程にも目を向ける必要があります。具体的には、次のような点を検討する必要があります。その生徒はどのようにしてこの答えにたどり着いたのか?その過程でどのような誤解が明らかになったのか?ヒントや挫折に対して、どのように対応したのか?」「評価システムは、最終的には、批判的思考力、適応力、創造力、そして「学び方を学ぶ」能力といった幅広い能力を育成し、把握することを目指すべきです。」 多くの教育者が時間を厭わず細やかな個別指導を実践されてきました。私たちはそれらの実践例に触れるときに大きな感動があります。しかしながら、組織としての学校を考えた時、現在の最大の可能性はAIの活用にあると考えます。 AIを積極的に活用する学校の一例としてAlpha Schoolがあります。ここでは子どもたちはMastery based AI tutorと毎日2時間の教科学習をします。その後はlife skills (リーダーシップ、チームワーク、起業、プロジェクト)の活動に時間を使います。Joe Liemandt校長のインタビューです。 多くの学校コミュニティが、存在理由の認識と教育活動の基本理念をもとに策定したビジョンは、Vision for Learning、Learner Profile、Portrait of a Graduateなどの名称でホームページや教室に掲載されています。これらは、子どもたちが人生や将来の学び・キャリアで成功するために必要な、従来の学業成績を超えた包括的で持続的な能力や資質(Competencies)を定義するものです。Australiaの私立学校では時間と予算をかけて作成するのが一般的でどの学校にもその成果物があります。2023年に訪問したHelsinkiの公立学校では、すべての教室にTransversal Competencesという標題でポスターが掲示されていました。
この一連の作業は、これまでの学校の歩みや成果、現在の課題、中長期的な戦略や展望をもとに、超現実的でありながら哲学的な深い考察が要求される過程です。完成した時の充足感や達成感は大きいものですが、実際はそれから先の方が重要でたいへんであることを見落としている場合が多いように感じます。 "As Norwalk continues its Portrait of a Graduate journey, we have found that explicit instruction matters. When competencies are taught intentionally, aligned with the curriculum, and reinforced through consistent instructional routines, the Portrait moves from an aspirational vision to something students experience every day in classrooms.”Abby Benedetto and Kimberly Erickson (2026) Lever 2 for Deeper PoG Implementation: Teaching the Skills Behind the Portrait, Getting Smart 「ノーウォーク地区の学校が「卒業生の姿」プロジェクトを推進する中で、私たちは明確な指導がいかに重要であるかを実感してきました。掲げている能力を意図的に指導し、カリキュラムと整合させ、一貫した指導の習慣を通じて定着させることで、「卒業生の姿」は単なる理想像から、生徒たちが教室で日々体験するものへと変わっていくのです。」 質問です。 ① お勤めの学校やお子様が通われている学校は、抽象的な教育目標ではなく具体的な能力や資質を学校運営や教育活動のビジョンとして学校のコミュニティーに共有しているでしょうか。それらは学習活動や行事などを通して子どもたちに育んでいく姿勢や過程があると認識されていますか。 ② 教師として、大人として、いわゆる21世紀の社会に必要とされる能力や資質をどのように育み、鍛えられていますか。その過程の中で自己評価の成功基準は何でしょうか。 現実の教室で目の前にいる子どもたちの中に、ここで取り上げているCompetencies 能力や資質を十分に獲得しているかどうかその事実を見出すのはむずかしいと感じています。私たちは実像のないふわふわとした雰囲気の中で希望的観測を拠り所に、根拠のない自己評価に満足しているように思います。 Critical Thinking、Communication、Collaborationなど、具体的なスキルの獲得を一つひとつの場面で指導していかなければ、子どもたちにそれらの不可欠な能力を習得してもらうことは不可能に近いのではないでしょうか。とりわけ、Australiaの学校では待ったなしの状況です。ここで必然的に表出する課題は、それらのCompetenciesをどのように評価するか、そしてどうやって子どもたちや保護者に伝えるかという次のレベルの未解決課題です。 先週から10年生のMedia Artsのクラスは3、4人のグループでMusic Videoの制作に取り組んでいます。曲を選び、歌詞を分析し、Storyboardを丁寧に組み立てるなどの準備に4コマ(1週間)使いました。クラスのWebページにはAI toolsのリストがあげられていて、担当の先生からは必要に応じて活用するように指示が出ました。子どもたちの反応はと言うと、SOUNDDRAW、Suno、IIElevenLabs、Stable Diffusion、Runway、Design Playground などリストにあるものを早速試すグループもあれば、使いたくないときっぱりと拒絶するグループもありました。
あるAI startupの創業者が2月9日に配信したblog “Something Big Is Happening” が1週間で8000万回以上読まれました。この中で筆者はAIの急速な進歩、特にプログラミング分野における進展がまもなく全産業に影響を与えると予測しています。筆者はさらに、AIが既に自身の技術的業務を代替し、最小限の人為的介入で完全に機能するアプリを生成している実態から、現在のAIの能力が一般の認識を大きく上回っていることを強調し、差し迫った変化に備えるよう読者に促しています。 教育に関しては次のように述べています。 "Rethink what you're telling your kids. The standard playbook: get good grades, go to a good college, land a stable professional job. It points directly at the roles that are most exposed. I'm not saying education doesn't matter. But the thing that will matter most for the next generation is learning how to work with these tools, and pursuing things they're genuinely passionate about. Nobody knows exactly what the job market looks like in ten years. But the people most likely to thrive are the ones who are deeply curious, adaptable, and effective at using AI to do things they actually care about. Teach your kids to be builders and learners, not to optimise for a career path that might not exist by the time they graduate.”Matt Shumer (2026) 「しかし次世代にとって最も重要なのは、これらのツールの活用方法を学び、心から情熱を注げる分野を追求することです。10年後の雇用市場がどうなっているかは誰にもわかりません。けれども成功する可能性が最も高いのは、深い好奇心と適応力を持ち、AIを駆使して本当に大切に思うことに取り組める人材なのです。」 質問です。 ① ICT機器が学校に導入され、やがてひとり1台の環境に発展した過程と比較すると、AIの教育現場への出現は根本的に何が異なるでしょうか。 ② AIの活用の仕方についてPassive Culture (受動的文化・習慣)とPurpose Culture (目的に基づく文化・価値観)と言う分類があります。この種の議論に触れるのは初めてではないと感じるのはなぜでしょうか。 多くの学校では操作スキルやセキュリティー、情報モラルなどを含むDigital LiteracyやDigital Citizenshipと呼ばれる系統的で継続的なプログラムと指導の確立を目指している途中で、AIという強力な威嚇にも改革の可能性にもなる「黒船」が入港し、乗組員が下船して学校コミュニティーに静かに浸透し始めているというのが現状でしょう。学習評価の基準 Assessment Policyの改訂も必要になってきます。 何かに追われてする作業ほど、危ういものはないでしょう。" 'Go slow to go fast.’Build a few successes, then take another tiny step.” Michael Fullan (2023) 「 '急がば回れ'。小さな成功を積み重ね、それからまた一歩踏み出そう。」が得策かもしれません。 先日ある場でMental Health First Aidのコースが紹介されたとき、自分はその領域についてほとんど無知であったばかりでなく、First Aidという認識もその必要性さえも理解していなかったことに気がつきました。これまで救急法救急員や水上救助員の講習は日本でもオーストラリアでも取得し更新してきました。これらは日常生活での事故防止や手当の基本、水に関係する事故防止や水の事故に遭った際の救助や手当の方法などの知識と技術を習得することを第一義に構成されています。さらに、オーストラリアの学校では、日本の学校とは異なり養護教諭や看護師が学校に配属されていないため、多くの教職員、中でも体育科教員やスポーツのコーチは受講することが義務付けられています。
先週末に2日間のMental Health First Aidコースに参加してみました。 質問です。 ① 国の公的機関であるNational Mental Health Commissionの2020年から24年までの調査では、オーストラリアの16歳から24歳の若者のうち38.8%が1年以内に何らかの精神疾患があったと回答しました。2007年の調査では25.8%でした。一方、2025年のWorld Happiness Reportに公表されているGallup World Poll (2022-2024)によると、オーストラリアは11番目に幸福度が高いという結果が出ています(日本は55番目)。この相反するデータは何を示唆しているのでしょうか。 ② 同じ調査で16歳から24歳の女性の場合には、45.5%が1年以内に何らかの精神疾患があったと回答しました。2007年の調査では28.5%でした。この傾向は日本にもあらわれています。どのような要因が考えれれるでしょうか。 私たちが体調不良やけがの際に医療機関で診察を受けるのと同じように、メンタルヘルスの不調がある時にも専門的な処置や周囲の人によるサポートが必要であることが講師から何回も繰り返し伝えられました。不安症やストレスなどの場合には「認知行動療法」Cognitive Behavioral Therapy (CBT)が薬物療法と同等に有効であることも知りました。CBTは行動や思考パターンを意識的に変えて、Well-beingや幸福感をあげることに有効であることを以前学んだことがあり、個人的に実践していました。 "We need to really focus on ways that we can fight the negative feelings that come with social comparison, perfectionism and guilt. All this stuff that in some sense causes us to get so busy. We develop this sort of scarcity mindset, which winds up making us do too much and messes with our head.” "You know, especially given that our world is changing, which success and fulfilment is increasingly feeling out of reach, that can intensify this culture of comparison. And that gets worse when we're watching influencers online and all these online trends. They set these unrealistic expectations around what a normal or a normal milestone might be, what parenting strategies should be, achievements and all this stuff. And this is causing parents to kind of push, push, push. And when we start chasing these unreasonable expectations, many families are left feeling exhausted, burned out and perpetually behind. " Laurie Santos (2025) The Science of Well-being for Parents 「親が理不尽な期待を追いかけ始めると、多くの家族は疲れ果て、燃え尽き、いつまでも遅れを取っていると感じるようになるのです。」 さて、このMental Health First Aidコースには受講者が23人いました。出生地はAustralia, Croatia, Finland, India, Ireland, Italy, Japan, Philippines, UK など、オーストラリアならではの典型的な構成でした。幸福度を上げるひとつの要因です。 私たちの日常生活の中にはたくさんのフィードバックにあふれています。電灯のスイッチを入れた時の「カチッ」という音、スマホのアプリを長押しした時の微かな振動など、それらの物理的フィードバックで自分の操作が確実に実行されたことを確認することができます。これらは製品のユーザーインターフェイス(UI)の設計の中で意図的に組み込まれます。
"Feedback that works surrounds us every day, so we rarely think about it. It's feedback that defines how a product behaves in response to what you want. It's feedback that allows designers to communicate to their users in a language without words. Feedback is the keystone of the user-friendly world." "Feedback is what allows information to become action—and not just at the level of data, neurons, and nerves.” Cliff Kuang with Robert Fabricant (2019) User Friendly 「フィードバックこそが、情報を行動へと変えるものです。それはデータやニューロン、神経のレベルだけにとどまりません。 」 質問です。 ① 日常的に使う道具や製品が使用中に何らかのフィードバックを出さなかった場合、私たちはどんなことを感じどんな行動に移るでしょうか。使用する人に対してまったくフィードバックを出さない道具や製品があるでしょうか。人とのコミュニケーションの際にフィードバックがなかった場合に、私たちはどのような反応をするでしょうか。 ② 私たちは学習する子どもたちにどのような内容のフィードバックをどのくらいの頻度で届けているでしょうか。学習活動をある種のシステムととらえて、子どもたちのUIやUX (ユーザーエクスペリエンス)の指標を測定すると、どのような数値が出るでしょうか。 学校の多様な場面で教師と子どもたちの間でさまざまな言葉かけや対話が発生します。特に学習活動の過程では言葉を媒体としたやりとりは重要な意味があり、私たち教師には有効なフィードバックを適時に届ける実践が期待されています。有効なフィードバックとはどのようなものか、Stanford, Yale, Columbia Universityなどの心理学研究者による共同研究があります。 "They had middle-school teachers assign an essay-writing assignment to their students, after which students were given different types of teacher feedback. To their surprise, researchers discovered that there was one particular type of teacher feedback that improved student effort and performance so much that they deemed it "magical." Students who received this feedback chose to revise their paper far more often that students who did not (a 40 percent increase among white students; 320 percent boost among black students) and improved their performance significantly. What was the magical feedback? Just one phrase: I'm giving you these comments because I have very high expectations and I know that you can reach them. That's it. Just 19 words. But they're powerful because they are not really feedback. They're a signal that creates something more powerful: a sense of belonging and connection." Daniel Coyle (2009) The Talent Code 魔法のようなフィードバックとは何だったのか?それはたった一文でした「私があなたにこのコメントを届けているのは、あなたにとても高い期待を持っているからで、あなたが良い成果を達成できることを私は知っているからです。」 ある単元を学習していく過程で、形成的評価を継続しながら子どもたち一人ひとりの理解や習熟度のデータを分析し、それを元に作成したフィードバックを届けることができたら、どんな効果が期待できるでしょうか。この一連の作業が簡易化され、的確なフィードバックを容易に子どもたちに送る方法があったら活用してみますか。 Google Workspaceを採用されていて、生徒さん方がGmail accountをお持ちの学校向けのAI搭載の形成的評価分析シートを作成しました。無料のGoogle AIを使用していますのでフィードバックの生成に時間がかかったりすることがありますが、確実に有効なフィードバックを子どもたちに届けることができます。ご希望の方はメールでお知らせください。 |
Author萩原 伸郎 Archives
4月 2026
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