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小さな習慣

21/2/2019

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月曜日の中休み、Learning Centreに来た7年生に週末に何をしたかたずねると、今週金曜日にある水泳大会に備えて地域の大きなプールに行って練習をしたと話してくれました。

​入学したての
7年生らしい健気さだと感じながら、自分も子どもの頃、運動会など大きな行事の前にはそのように練習をしたものだと思い出しました。間際になって練習をして良い結果に結びつくかどうかは別にして、自然に必要性や必然性を感じたものです。

この7年生との会話を12年生に話すと、「かわいらしいね。」「そういえば僕もそんなことをしていた。」などという感想が返ってきました。何れにしても成長するうちにそのような自発的行動は少なくなってくるように思います。それは練習の量と結果の相関関係を理解するようになるからでしょうか。それとも物事にある種の諦観を持つからでしょうか。

水泳大会の前に自発的に練習をしたことを例にとって、人間がある行動を起こす理由を考えてみるとおもしろいことに気がつきます。

質問です。
  1. 何か大切な物事や行事の前に目標を設定する理由は何でしょうか。
  2. 私たちは目標を設定すること、目標に到達するための仕組みや方法を考えることのどちらに多くの時間を使う傾向があるでしょうか。どちらがむずかしいでしょうか。

この
7年生の生徒にとって、練習の目標はいろいろあったことと推測できます。50mを泳ぎきることができるか、飛び込みのスタートができるか、バタフライの泳ぎ方を忘れていないか。それらの目標は他の子どもたちも少なからず頭の中に描いていたと思いますが、この7年生が一歩抜きんでている点は目標に到達するための仕組みや方法に気がついて行動したことでしょう。

もう一つこの短い会話を通して気がついたことは、小さい行動や細かな点に気を配る習慣が結果として大きな成果を生み出す可能性が高いということです。この新学期からいくつか「小さい習慣」を始めました。そのうちのひとつ、教室に入ってくる生徒一人ひとりと入口で言葉を交わし、学習の後にもドアの横に立って一人ひとりに言葉をかけるということです。

放課後にstaffroomがある棟に誰かが車を停めて何かを運んでいることに気がつきました。行ってみると校長先生でした。秘書に頼まず自分で酒屋に行き、水泳大会の後に職員に提供するための飲み物を冷蔵庫に運んでいました。このような小さい習慣や気配りは彼女の Leadership style で、教職員、生徒、保護者、地域の市民にとっての調和のとれた共同体作りに寄与しています。多くの人がその気配りなどに気がつかないほど目立たずに実行することも彼女のやり方です。
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Work as a group

11/2/2019

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​今年も東京から高校生を迎えました。Challenge Based Learning で校内選抜に勝ち抜いてきた二組です。この学校とは2014年からCBLを通して交流をしています。発表にあらわれる分析力、着眼点、行動力、創造力が毎年向上しているのがわかります。日常生活の中から問題を拾いあげ調査を深めて実現可能な解決策を導き出す長い過程ですが、忙しい日本の高校生が時間を絞り出してやり遂げた粘り強さと協働の質はAustraliaの同年代をはるかに越えてています。

Ideas 43に取り上げたように日本の子どもたちの Collaborative Problem Solving の能力の高さは日本の学校文化が産み出した成果だと感じます。

ご一行が帰国された翌日、新学期初めての9年生のCBLのクラスがありました。Communication そのものの力というよりは進んでクラスのメンバーとかかわりを持とうとするかどうかを測定するために People Bingo というゲームをしてみました。20分ほどの時間の中で最大で25人とBingoにある質問を通して応答をすることができます。

回収したBingoの用紙から対話をした人数の合計を調べてみると、予想に反して0人から21人まで広がりました。一桁の人としか言葉を交わさなかった子どもたちが多くいたことにも驚きました。

​質問です。
  1. ペアやグループで学習や活動をすることは多くあると思いますが、グループは子どもたちが自由に作るべきでしょうか。教師が作為的に作るべきでしょうか。
  2. グループで学習することとグループとして学習することの違いは何でしょうか。

できるだけ多くの人と質疑応答をしてくださいという指示を教師からもらわないと、この9年生たちは自分をある種の緊張感や気まずさを感じる場面に追いやらないということがわかります。新学期だからかもしれませんが、ここに入学してきて3年目です。

穏やかで人当たりの良い子どもたちですが、意外にも殻から出ようとしない傾向があることに改めて気がつきました。思春期の特徴かもしれません。あるいは、長い間学校で体験してきた安易なグループ活動 (work in a group) の反作用かもしれません。もしかするとグループとして学習すること (work as a group) の難しさと楽しさを十分に体験していないからかもしれません。さらに、楽ではないことでも一歩を踏み出すちょっとした勇気を身につけていないからかもしれません。

子どもたちが無意識のうちに楽な方向へ流れてしまう傾向や癖をそのままにしておいたら、これから取り組む課題に向かい合い、いくつかの壁を乗り越えてすばらしい成果に到達することは難しいでしょう。強制ではなく自主的で内発的な学習行動を導き出す方法を考えています。
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Teachers become learners of their own teaching

30/1/2019

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​Australiaの新学年がもうすぐ始まります。はじめてPrimary schoolやHigh schoolに入学する子どもたちや保護者の喜びと期待、不安と緊張が最も大きくなる頃でしょう。ひとつ上の学年に進学する子どもたちも同じような感情を持って初登校までの日を数えているかもしれません。

Dyslexia の子どもを持つお母さんから長めのmailが日曜日の午後に届きました。新学期からの教科の担任に一言伝えておきたいと思われたのでしょう。特徴的な症状の解説や対処法の説明の中からお母さんの気持ちが伝わってきましたが、同時に、学校という場所は未だに集団をひとまとめにして、一人ひとりの違いに対応する場所にはなっていないのかもしれないということを感じました。

質問です。
  1. 教師や学校は一人ひとりの子どもたちの知的・精神的成長度や様々な知性、性格や好みを正確に把握しているでしょうか。そのための仕組みを設けているでしょうか。
  2. 一人ひとりの違いを認め、尊重し、その違いにぴったり合う内容や方法を準備しているでしょうか。   
  3. 教師や学校、教育行政の都合や効率で学習の主体であるべき子どもたちを置き去りにしている事例はないでしょうか。

植物を種や苗から育てるとき、人間は誰に教えられたわけでもなく生まれたての生命に丁寧に優しく向かい合います。そういう本能的な感性の働きを学校でも発揮し続けたいと思います。

さて、学校には1年を単位に明確な区切りがあり、そこにかかわる人々はみな新しいページを開くような感動を味わうことができる場所だと思います。毎年新しい出発点に新鮮な心持ちで立つことができる教職に就いている幸せを感じます。

幸せを感じているだけではありません。気持ちを引き締めてこの1年間取り組みたい目標も考えています。そんな時John Hattieの言葉が頭に浮かんできます。

“…the greatest effects on student learning occur when teachers become learners of their own teaching, and when students become their own teachers. When students become their own teachers, they exhibit the self-regulatory attributes that seem most desirable for learners (self-monitoring, self-evaluation, self-assessment, self-teaching). Thus, it is visible teaching and learning by teachers and students that makes the difference.”

一人ひとりの子どもたちの知的好奇心や創造力、批判的思考力を存分に引き出して深い学習を導きたいと思います。そして子どもたちが充実した時間を過ごしたと実感し各自が納得できるような学習成果と成就感を手に持たせてあげたいと思います。
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比較と説明

15/1/2019

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学校での学習活動の後には学習の成果をはかる評価が伴うのが一般的です。学ぶことが第一義で評価が従であるはずですが、実際の教室をのぞくと、主従関係は反転し、評価のために教科書の内容を教え込んでいる現状を目の当たりにします。

学習の成果の何をどのような方法で評価しているのかを調べることも今回のDenmarkの学校訪問のねらいでした。

質問です。
  1. 教師や学校が一人ひとりの子どもを評価する目的は何でしょうか。
  2. 単元を終えたら、作品を完成させたら、学期が終了したら教師や学校は一人ひとりの子どもの評価を出す必要があるでしょうか。   
  3. 子どもたちの学習に直接かかわる教師が学習評価にもかかわることの問題点は何でしょうか。

Innovation という教科には個別の知識ではなく社会科学分野の知識をもとにした分析力や思考力、企画力、発表力など総合的な能力をはかる試験があることがわかりました。各グループが担任教師から提示された事例を分析し48時間以内に解決策を発表するというCase Studyです。

社会科系、理科系の教科では担任教師から提示された資料を各自90分間分析し、自らが質問を導き出し、30分でその質問に口頭で答えるという方法をとります。その発表は二人の教師(一人は教科の担任、もう一人は他校の教師)が採点します。

採点について興味深かったことは、美術のような芸術教科では制作した作品の一作ごとを評価せず、作品や練習、学習ノートなどをまとめたportfolioを総合的に評価していること。記述・論述が主要な試験となる教科では指導した教師ではなく、他校の二人の教師が採点するということです。

​9年生の最後には全員が受ける到達度試験が
7教科にわたってありますが、ここでも筆記と口頭、あるいは口頭のみの方法で能力や技能をはかります。結果は点数化されず、さらに合否の判定もありません。教育省のwebsiteには次のような解説がありました。”Each examination subject is assessed on its own merit; results cannot be summed up to give an average mark, in the same way, there are no pass or fail criteria.”

​Denmarkでは教育評価の要素である比較と説明のうち、「説明」に徹していることがよくわかります。教師たちの時間と専門性を最大限活用して、試験を個別に実施するという生産性の低い方法をあえて選択している事実。質の良いものを追求し提供する、この国の教育に対する価値観を別の視点からも認識することができました。
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Making Thinking Visible

11/1/2019

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2年前にDenmark各地の中等教育学校を訪問しました。その際に目にした斬新な校舎の設計や構造、家具、校内にあふれる本物の芸術作品群に驚き、日本にもAustraliaにもない教科に驚きました。

その時に案内をしてくれた先生に様々な質問をしましたが、帰国してからも次々に疑問が浮かびあがってきました。そこで再び訪れて、じっくりと学習活動を見せてもらうことにしました。

その疑問のひとつはどの教室にもあるLEGOをどう活用するのかということでした。とうにその種の遊びを卒業した高校生がどのように向き合うのか、価値のある活動になるのだろうか。2年生のBusiness Caseの教室でその例を見ることができました。3、4人で構成するグループで企業が抱える問題点の分析をして改善点を探り当てるという大きな課題解決学習を始める前の導入として、各自のExpectations (目標、意気込み、期待) をLEGOで表現するというものです。

質問です。
  1. 目標や期待などのような目に見えないものを具体物で表現することにどのような意味があるでしょうか。
  2. 学校行事ではなく通常の学習活動の中で、課題に入る前にお互いの目的意識や期待度を確認し合い、グループや全体の学習目標を明確にすることの意義は何でしょうか。   

先生が簡単に説明すると短い歓声があがりました。
LEGOを使うのが好きなようです。青い受け皿に使いたいLEGOの部品を集めると作業が始まりました。いろいろ考えながら、まわりの友だちとかかわりながらそれぞれが自分のExpectationsを表現しました。

HarvardのProject Zero teamが提唱するMaking Thinking Visibleを数年前から自分なりに実践してきましたが、具体物を使うことは試したことがありませんでした。頭の中のぼんやりした考え、抽象的な思考や感情、感覚を具体的な形にするという活動の意味を深く理解するべきでした。何よりもその楽しさに気づくべきでした。"if we are going to make thinking visible in our classrooms, then the first step will be for us as teachers to make the various forms, dimensions, and processes of thinking visible to ourselves.” (Making Thinking Visible)

グループ内で各自が表現したものを発表し終えると、
Google DocにグループとしてのExpectations
に集約し、それに一人ずつ署名をして先生に提出しました。今後の進捗をその先生に知らせてもらうことにしました。

この教科の担当
の先生は年間20社程の企業と協働して実際の問題点を生徒たちに提供しています。本物の課題、生きた学習 (Authentic learning) の実例だと思いました。
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ikigai

28/12/2018

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​今年しばしば目にした言葉が “ikigai” です。今月出版された本の第1章にも出てきました。

Literally, ikigai means "a reason for being"; more colloquially, it means the reason one gets up in the morning. To find your ikigai, you draw four overlapping circles, one for what you love, one for what you are good at, one for what you can actually be paid to do, and one for what the world needs. What lies in the middle is your ikigai. If you are being in the particular school you are in and doing the particular work you are doing is your ikigai, brilliant. If not, it may be time to consider either how you spend your time in the school or whether this school or this specific job is right for you.

​Dream Team, Aaron Tait and Dave Faulkner


​四要素が重なり合った部分が
“ikigai” というのが定説ですが、日本人が一般的に「生き甲斐」という言葉を使うとき、有償無償に関係なく、誰かのためになっているという確信から個人が抱く自己有用感、充足感に基づいているように感じます。ここの説明にあるように「世界(世の中)が必要としているもの」という定義づけはやや強引な印象を受けます。

しかしながら、仕事を基準に考えた場合、自分にとって得意で好きなことをして給与を受け結果として世の中のためになっていると実感できることが理想の職業選択かもしれません。教職はそのような幸福感を感じることができる職業のひとつだと思います。

質問です。
  1. 教師の仕事を考えたとき、好きなこと得意なことにはどんな事柄があがるでしょう。
  2. ある教師が得意だと感じていることが、子どもたちや保護者も「これが先生の上手なこと」と同様に感じる可能性はどのくらいでしょうか。   

教師が日々の仕事から生き甲斐を感じるのは、自分のしていることやめざしていることが子どもたちや学校のためになっていると確信するからでしょう。だからこそ、私たちは自分の時間や私生活を後回しにしてまで教師としての任務に向き合います。

多くの先生方にとって、2018年もそのような毎日の積み重ねだったことと思います。そして、手にするものは必ずしもその労力と時間に見合うものではないかもしれません。子どもたちの反応や成長が期待通りではなかったかもしれません。保護者や管理職からの感謝や労いの言葉も届かなかったかもしれません。それでも私たちは教職の意味と意義を全身全霊で理解しているので、へこたれず不平も言わず前へ歩き続けます。

年末年始には、そんなご自身の心と体に十分な労いとご褒美をあげて主電源を切ってみませんか。そして再び主電源を入れるとき、2019年はご自分の好きなこと、得意なことの量と質を上げることをめざしてみてはいかがでしょうか。もちろん生活と仕事の平衡感覚も保ち続けてほしいと思います。
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クリスマスに思うこと

25/12/2018

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​毎年クリスマスが近づくと家族どうしの付き合いがある友人たちとプレゼントの交換をします。こちらでは手づくりのものが一番珍重されます。1年ぶりに味わう…さんのお菓子。親しみのあるいつもの味を楽しみながら、ゆく年を振り返るといった感じです。

今年もある友人から恒例の手づくりのプレゼントをいただきました。10種類の焼き菓子やペーストなどが我が家のクリスマスのテーブルを豊かなものにしてくれました。

各家庭では25日の家族、親戚、友人たちとの大会食のために数日前から準備を始めます。そして誰もが楽しいクリスマスを過ごせるように、やさしい気配りが静かにゆき渡ります。この国に移り住んだ30年前から毎年多くの友人たちが会食に家族として迎えてくれました。手づくりのごちそうを囲んであたたかくゆっくりとした時間を過ごすことができました。

質問です。
  1. 日本の社会では人の手で作る習慣を大切にしているでしょうか。そして手づくりの品物にある価値を認めているでしょうか。
  2. 家庭を単位として家族や友人たちが横につながる機会が十分にあるでしょうか。そういう人とのつながりの大切さやあたたかさを子どもたちは十分に体験しているでしょうか。   

一年を通して数々の行事やイベントに私たちを家族として迎え入れてくれた友人たちの存在は、もはや日本で冠婚葬祭で目にする親戚以上の意味があります。生まれ育った環境以外の場所で、地域に生きることはこういう現象をもたらすものだということを感じます。

同時に日本の社会や地域の人々が、日本以外の国から来られた人々をあたたかく迎え入れているか気になります。「あたたかく」ということは感覚的なものだけではなく、人権や尊厳といった不可侵の絶対的権利が認められているかということも含みます。

さて、日本各地のスーパーマーケットは、おいしそうなお惣菜や食料品であふれています。とりわけこの時期になると一層にぎやかなことでしょう。このことはもしかすると日本人が家庭で「手づくり」をしなくなったということを示しているのかもしれません。

私は東京にいたこの夏、ペットボトル入りの麦茶を買うことに抵抗を感じ、焙煎麦をやかんで沸かして作りました。手間はかかりますが、安価で自分の好みの濃さに作ることができました。

物事の選択は様々な事実や理由が複合的に絡まった結果でしょう。安直に良し悪しをいうべきではありませんが、ある種のこだわりを持つことは価値がありそうです。
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2030年の言語教育

20/12/2018

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​昨年学校に訪ねてきたドイツの大学の研究者から、言語教育に関する研究のためのインタビューの依頼を受けました。日時を決めてFaceTimeですることにしました。

FaceTime
の前に送ってきた質問に目を通すと主題は2030年の教育の姿についてでした。テクノロジーがさらに進化し、世界中の様々な分野で2018年とはまったく異なった新しい常識が一般化する時、学校で言語を教える教師の仕事はどうなっているだろうか、大学での教員養成はどうなっているだろうかという質問です。

答えを準備している時、昨年のある出来事を思い出しました。7年生の日本語の一番最初のクラスが出張と重なってしまいました。そこで自習課題を出しておきました。学校に戻って子どもたちの学習に目を通すと、何人もがひらがなで私にメッセージを書いてくれていました。まだ習っていない言語で一体どうやって書いたのだろうと率直に疑問に思いましたが、各自が持っているiPadでそのようなことは「朝飯前」なのです。

インタビューで出た質問の一部です。
  1. What are educational requirements in a digitally shaped and connected world?
  2. What are the consequences in terms of learning and teaching?
  3. What measures can be taken in order to strengthen future teachers’ training in the field of digital education? 

言語、とりわけ外国語の学習はどれだけ多くの単語や熟語を暗記し、あるいは辞書の助けを借りて、与えられた文章などを読み砕いていくという作業の繰り返しでした。現在でもその暗号解読に似た方法は継承されています。

これまで学習内容の中核的な内容を占めていたWhat (単語、文法、発音など)とHow (読解、聴解、表現) は必然性を失うだろうと予想しています。人間の頭で学習し習熟されていく領域はWhyだと思います。例えば、母国語と外国語の比較を通して、表現のし方や語順の違いを発見して分析する学習、単語の意味範囲や含蓄の違い、物事の見方や考え方の違いなどが学習の中心になるのではないでしょうか。

そうなると、英語、フランス語、中国語などを個別な教科として学習する意味も薄れていくでしょう。教科として区別されてきた地理、歴史、政治経済、音楽、美術、家庭科、国語、外国語が有機的に混ざり合って、例えば「フランス革命」を総合的に学習していくというようなカリキュラムが主流になると信じています。さらに、教科書を学習していく受け身の学習は存在し得なくなり、子どもたちが様々なつながりを自分たちで探っていき「知識」をつくっていく主体性の高い学習活動になるでしょう。

​インタビューを受けながら私の答えは大きくなりました。
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天職へ転職

6/12/2018

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​2か月ほど前から相談を持ちかけられていましたが、お互いの日程が合わずにのびのびになっていました。ようやく先日の土曜日の午後に都合が合い会うことがきました。

8
年前の卒業生で、お父さんが弁護士をされているので、その影響もあって法学部に進学しました。こつこつと努力を重ねて大学を卒業し、弁護士になるための課程を無事に終えて、企業を顧客とする法律事務所に就職しました。しばらくして、自分は家庭や家族にかかわる分野に向いていると感じて、それらを専門とする法律事務所に転勤して今に至ります。そして今回の相談の理由となる「別の考え」が彼の頭の中を支配し始めます。

「たどり着いた職を辞めて、自分に本当に合う仕事、本当に好きな仕事がしたい」と言いました。机に向かって膨大な資料や調査をまとめ法律と照らし合わせる高度な作業を長時間続けながら、これは自分がしたかった仕事、天職ではないという感覚が次第に大きくなってきたと言います。彼が今感じている天職とはHigh schoolの教師です。

質問です。
  1.   毎日仕事を続けている大人の中でどのくらいの人々がこれが自分の天職だと感じながら仕事をしているでしょうか。
  2. 中学生、高校生、大学生が自分の将来の道筋を選択していく過程で、便宜的な学校選びや会社選びではなく、自分自身の気持ちや考えと向き合い本質的な将来の夢や情熱を描く時間や機会が十分にあるでしょうか。 

毎年5人ぐらいの卒業生を訪ね、彼らの卒業後の人生の歩みを映像にしています。数回にわたって会い、いろいろと話を聞き、職場も見せてもらっています。誰もが順風満帆には物事が進まず辛抱や試練の時期を持っていますが、その時のたゆまない努力が現在の幸福感や充実感と結びついていることを感じます。その部分の映像もまた観る人々、とりわけ在校生にとって、価値の高い示唆になります。今年撮った卒業生、専門学校で学んだ内容が自分の興味とは合わないことを直感し建築作業員として一から学び、総工費が数億円の建設を扱う会社を経営。大学を中退し高校生の時からアルバイトをしていた全国チェーンの衣料雑貨大型店で働き続け、州のマネージャに昇格。4人の子育て中の34歳の時に大学で看護学を学び始め、公立病院の看護師として勤務。音楽院2年生でJazzに情熱を失いClassical music専攻に切り替えて博士号まで取得、音楽院で教鞭。

教師への転職を決めた彼は、来年新学期から教員養成の講座を受講する予定です。しばらくは現在の仕事を続けながらの二重生活になりますが、彼なら無事に乗りきることができるでしょう。弁護士の経験が子どもたちとの学習活動にどんな特徴や個性を生み出すのか、その教室で生徒として見てみたいものです。
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学校の功罪

29/11/2018

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​同僚の娘さんは、今年の中ごろ通っていたHigh schoolをやめてHome schoolingという選択肢を選びました。最近はどう過ごしているかさりげなくたずねると、onlineのコースで学習しながら友だちとは誕生日パーティーに行ったりしてつながっていると話してくれました。安心したとは言っていましたが親として心配な表情は読み取ることができました。

そんな会話をしながら、息子の友人のことを思い出しました。地域のテニスクラブで知り合い、十数年たった現在でも再会するたびに一緒にテニスをしています。その彼は学校に通うことなく成人になりました。


学校では教科学習の他に、社会性や協調性、話し合いの仕方や人との接し方など人間社会を生きるうえでの必要な能力を身につけるところという認識があります。従って、何らかの理由で子どもが学校に通わないと重大な問題となります。

質問です。
  1.   学校に通う間に子どもの好奇心や想像力は減少していくというとらえ方がありますが、その実例や実体験がありますか。
  2. 同じように、学校に通うことで他人への思いやりややさしさ、協働の意欲などが削がれていき反人間的になる可能性もあると言えるでしょうか。 

息子の友人と接すると、個性と一言では言いきれない「何か」を感じます。彼の優れた資質の一つは対話力や対人能力でしょう。聞き上手であらゆる年齢の人と様々な話題で対話をすることができます。彼が人気のレストランのバーで働いている時に家族で食事に行ったことがありました。大勢のお客さんであふれかえっている中で、彼は常に冷静でしかも一人ひとりのお客さんと丁寧に笑顔で会話をしながらカクテルなどを休みなく作っていました。隙間を見つけては私たちのテーブルにも飲み物を運んでくれました。

ある保育園での実証実験の様子を撮影した記録を見ました。画面にあらわれたのは気持ちよさそうに床に体を伸ばしている子ども、おもちゃを持ちながら先生の話を聞いている子ども、先生の膝の上に座っている子どもなどの姿でした。この子どもたちが小学校に通い始めると、それらの行動は「してはいけないこと」になります。

学校という場所での教育は本来の人間らしさを消し去る作業の繰り返しかも知れません。そんなことを考えている時に偶然このTED Talkを見ました。私たち教師が教室で日常的にしている言動が、子どもたちの成長の過程で様々な問題や障害の原因になる可能性があることを注意深く見つめたいと思います。
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    Author

    Noburo Hagiwara
    Director of Innovation
    Kolbe Catholic College
    ​WA, Australia

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