大阪の中央であった午前と午後の会議に出席して学校にもどる途中、公園を通り抜けました。
広々とした草の上を歓声をあげて鬼ごっこをしている子どもたちの一団がありました。近づくと中学生であることがわかり、さらに近づくと私たちの生徒たちであることがわかりました。 放課後の活動が中止になって、彼らはここでBackpackを放り投げ自由な時間を楽しんでいるのでした。 質問です。
始まる前の名刺交換という儀式に見られた活気とつくられた笑顔とは対照的に、会議が始まると参加者の表情はすぐに色彩を欠き、誰もが好んで参加しているのではないことが明らかです。 私は、このPandemicの中になぜonlineでやらないのか、なぜ紙の資料を配布するのか、一体この集まりの目的は何なのか、なぜ参加者はこの愚行に耐えているのかということを考えていました。 次回は私たちが当番校なのだそうで、引き継ぎ資料が入っているというCDを渡されました。紙ではないということに自慢気でしたが、残念ながら私はCDを読み取る道具をとうの昔に廃棄しています。 私たちの番にはどの程度変えることができるか予測がつきませんが、会議の意味を明確にしたいと考えています。家事をしながら聞いていたpodcastの中に “Unpack nouns into verbs” という習慣について述べている部分がありました。 会議という名詞をその場で行う行動が何であるかを吟味して的確な「動詞」に置き換えることは、目的を明確化する行為であるように思います。そうすれば会議そのものが必要なのかどうかということも明確になるでしょう。 私は今までに参加することが楽しみで、実際に楽しかった会議の経験がたくさんあります。それらは振り返ってみると「共に学ぶ」「共に遊ぶ」集まりだったように思います。
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Author萩原 伸郎 Archives
10月 2024
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