2回にわたって時間について考えてきました。そして今回も時間について考えたいと思います。
時間が豊富にあるという状況は子どもから大人まで、既にありえない現実になっているのかも知れません。学校で何か新しいことを始めようとする時、すぐに聞こえてくる意見は「時間がない」です。私たちは慢性的なTime poorの世の中で生活しているのでしょうか。 “The most obvious explanation for today’s time famine is that we simply spend more hours doing routine chores and working. But there is very little evidence that supports this idea. Some of the best time diary research suggests that in the United States, men’s leisure time has increased by six to nine hours a week over the past 50 years, and women’s leisure time has risen four to eight hours a week. And according to the OECD, in 1950, people in the U.S. worked an average of 37.8 hours a week; in 2017 they worked an average of 34.2 hours a week.” Ashley Whillans (2019) Time for Happiness 「現代の時間不足を説明するのに最もわかりやすいのは、単に日常的な家事や仕事に費やす時間が増えたというものです。しかし、この考えを裏付ける証拠はほとんどありません。最新のタイムダイアリー研究によると、米国では過去50年間に男性の余暇時間は週に6~9時間増加し、女性の余暇時間は週に4~8時間増加しています。またOECDによると、1950年アメリカの人々は週に平均37.8時間働いていましたが、2017年では週平均34.2時間の労働時間です。」 質問です。 ① 私たちは時間をかける物事に優先順位をつける習慣があるでしょうか。 ② これもあれもするというTo do listではなく、これもあれもしないというNot to do listの習慣を推し進めることは現実的でしょうか。 ③ 組織の中に長い間あった習慣や事柄を、効率性や必然性や価値という観点で「やめる」という決定をするのは誰であるべきでしょうか。 私はどの学校でも見られるような各教科が採用している副教材に大きな疑問を持っています。Whyの質問をしてみると、それに対して返ってくる説明はどれも私の疑問に対しての答えではなく弁解になっています。けれどもその弁解の中にしばしばあらわれる「時間」についての認識は、教育活動の根幹に関わる問題だと思います。 BYODの環境だが、生徒一人ひとりに正しいリサーチの方法を指導する時間がない。十分なリサーチに時間をかける余裕はない。これだけ多岐にわたる資料を子どもたちに提示するのは副教材がないと不可能だ。練習問題を作成する時間はとれない。 私の反論です。では、そのような「時間」を確保して深い学びを実現しなければ、一体子どもたちはどこでその能力と技術を身につけるのでしょうか。
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Author萩原 伸郎 Archives
8月 2024
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