8月14日はKolbe神父がAuschwitzで犠牲になった日です。朝、全校生徒と教職員が集まってMass(Missa)をしました。この大切な行事を運営したのは、Accounting最大手の会社を辞めて昨年から私たちの学校に来た若手です。恒例の内容を継承しながら、新しい要素も加わったあたたかく希望に満ちた時間でした。
彼は子どもたちに名字ではなく名前で呼ばせています。Massの後に校長が全校の前で彼に感謝の気持ちを伝えた時もMattと呼んでいました。皆が彼の選択を認めています。 その光景を見ながら、自分が教師になりたての頃に受けた諸々の指導を思い出しました。私は子どもたちからあだ名で呼ばれていました。ある時、年長の先生からその習慣をやめるよう言われたこともそのひとつです。 質問です。
学校で見られるMicro managementは、先生方の判断や行動をある型にはめることを目的としますが、「ある型」が職務規約に載っている場合もあれば一部の人たちが持つ基準で強要される場合もあります。いずれの場合でも一番の危険性は、自ら考えて自発的自主的に行動する習慣も機会も奪ってしまうことにあると思います。 NetflixのCEO、Reed Hastingが社員に向けた”Culture”という題名のpresentation(2009)には社員を管理する発想とは正反対の “Freedom and Responsibility” の価値観を提示しています。 Most companies have complex policies around what you can expense, how you travel, what gifts you can accept, etc. Plus they have whole departments to verify compliance with these policies. Netflix policies for expensing, entertainment, gifts and travel: “Act in Netflix’s best interest” (5 words long) 「私たちの学校にとって最善の仕事をしましょう」という一文を先生方に提示したら、それに続く具体的な行動規範は自身の思考から自然に生まれてくるでしょう。学校を運営する人はそれができる人を育てることに投資をすれば良いのではないでしょうか。
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Author萩原 伸郎 Archives
8月 2024
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