家の近くの理髪店では二人の理容師が客の髪を切っています。霧吹きの冷たい水が首筋を流れ、ゴワゴワする前掛けの首回りの不快感と細かい毛が入り込んでチクチクすることを我慢するうち、15分そこそこで散髪が終わり代金の$24を払い通り一遍の会話をして出てきます。
できるものなら二度と来たくはないといつも憤りながらも、この人たちに日本のどの街にもある普通の理髪店の理容師さんたちの腕前と入念な接客作業を見せたら腰を抜かすだろうと思うとおかしくなります。 この理容師たちは20年、30年と生業として仕事をしながらも、作業の速さと正確さをあげること以外にはおそらく何も自らを改革してこなかったのでしょう。新しいことを学んで前に進もうという意識もなかったのかもしれません。世界の高水準の技術や接客方法に触れる機会もなかったのでしょう。 $100近く払うような店でさえ満足度の高い体験はなかったのでこの国の理髪店の水準はこの程度なのだという結論を出すことはできますが、問題は私たちはどのように生きれば成長することができるかということにあります。 質問です。
生涯学習という言葉は一般的に使われていますが、敷えんすると三つの発展的な過程から成ると思います。それは "Learn” 学ぶこと "Unlearn” 以前に学んだことを捨てること "Relearn” 新しい知識や技能を学びなおすことの循環作用ではないでしょうか。 自分が学んだことや身につけたことを捨てて、あるいはそれらを土台として、新しい物事を学ぶことは勇気のいることですが、社会に対して影響力の強い職業に従事している人々は常にその自己成長の循環を実践しているでしょう。 知らないことを知るという意味では、NETFLIXの先月の新作 "The Social Dilemma” (邦題「監視資本主義: デジタル社会がもたらす光と影」)には多くの事実が暴露されています。とりわけGIGA構想でにわかに物事を決定し実践する立場にいる人々には考えるべきことが見えてくると思います。
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Author萩原 伸郎 Archives
8月 2024
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