世界の各地で起きたことが、時と場合によっては地理的な距離に関係なく、人々の日々の生活を根底から変えることを私たちは今実感しています。このような事態になって初めて、「地球市民」という概念や意識に気がつきますが、果たして平時の学校での学習活動に世界を標準にして、あるいは視野に入れて物事をとらえる習慣があるでしょうか。
Andreas Schleicher氏はしばしば各国の教育内容が「内向き」傾向にあることを指摘しています。 “While globalisation is having such a profound impact on economies, the workplace and everyday life, education remains very local and often inward-looking. Education systems have a habit of building “walls” that separate teachers, schools or the systems themselves from learning from each another.” Andreas Schleicher (2018) World Class 文化や価値観、学校教育制度の仕組みの違いを勘案しても、日本の実例は外を向いてはいないように思えます。 質問です。
日本国内をめぐる報道も、残念ながら極端な内向性を持っています。とりわけこの時期に新聞やテレビで扱われる国外からのニュースの量と質を、他国の有力な報道機関の比率と比較すれば一目瞭然です。少し前までは世論を導き形成する役割を担っていた報道機関は、いつの間にか軽薄短小な生活習慣に迎合するだけの立場に停頓しているように見えます。 Internetで様々な情報、たくさんの人々とつながることができるようになったことは、仮想であっても良い意味があると思います。アンテナを高く伸ばして、世界中の報道機関が何をどう伝えているのかを知ること、どのような論説があるのか探ろうとする自らの情報収集は知的な生活を送る一つの方法であると同時に「外に目を向ける」習慣になるでしょう。 家庭で学習している中高生に投げかけてみるのも一案だと思います。「もしあなたがAustraliaに住んでいる16歳の高校生だったら」非常事態宣言の期間は? 学校はあいているの? 制限されている行動は? 収入が途絶えたお姉さんへの補償は? どんな店が開いているの? お父さんお母さんはテレワーク? 友だちとどうやってつながっているの? 運動してる?
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Author萩原 伸郎 Archives
8月 2024
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