日本では日常の生活の中で、大学4年生を判別することができます。個性や個人の選択に対して寛容な社会ができたにもかかわらず、その正反対の没個性的な標準化をあえて演出するのも「社会」の不文律なのでしょうか。4月上旬の日本で見かけた黒装束の若者たちは車内では席があると必ず座りました。そして必ず鞄の中から就職試験の問題集を出します。しかしすぐ寝てしまいます。
先週、地域の一員として長く関わっているRockingham市のある委員会の会議がありました。この委員会を担当する部署に昨年10月にKolbe Collegeを卒業した生徒がinternshipで仕事をしています。会議室に通じる入口でhot chocolateのcupを持った彼女と鉢合わせました。ついこの間までの制服姿とは見違えるほどのすてきな装いで溌剌としたさわやかさに好感を感じました。 会議が始まると市長さんや議員さん、部長さんや私たちと臆することなく自然にしかも積極的に話し合いに加わっています。ある案件で様々な意見が出て立ち往生した際に、打開案を提案したのも彼女でした。全会一致で彼女の案を採用しました。たいしたものだと感心しながら、一体彼女の自信のある立ち振る舞いはどこからくるのだろうかと疑問に思いました。 私が社会人になりたての頃、会議で発言することなどは論外でした。それでも思い切って自分の考えを発表した時には当然のことながら各方面からの指導がありました。2017年の今、新社会人たちは会議で自由に自分の考えを述べているのでしょうか。自身を極めて標準化・規格化することに必然性を感じているように見受けるあの黒い服の人たちが、組織の中で若者らしい伸びやかさを発揮できるのかどうか不安になります。 質問です。 ① 新卒や新着任の教職員に学校での仕事に実力を発揮してもらうためにどんな工夫をしていますか。 ② 生徒たちの個性を尊重し様々な活動を通して個性を育てるように、先生方にも調和を保ちながら個性の伸長を可能にする工夫をしていますか。 ③ 組織の中で自分を見失わず、自分らしさを大切にしていますか。 会議の後で、彼女は来月internshipが終わったら日本を2週間一人で旅行する予定があることを話してくれました。大阪、京都、東京と回るのだそうです。初めての一人旅の期待と興奮が伝わってきました。旅行を通してどんなことを感じ取ってくるか楽しみです。経験や年齢の差、役職などの立場の違いを超えて話し合うということは気持ちの良いものだとあらためて感じました。
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Author萩原 伸郎 Archives
10月 2024
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