休止していた研究講座を4月25日に1年3か月ぶりに再開しました。Screenを通して久しぶりに会う先生方から近況や実践報告をしていただきました。
ある先生から「全盲の人は美術館に行く意味があると思いますか」という問いかけがありました。環境が障がいをつくっているという指摘です。Universal Designの思想と実践が社会に根付いていないことを気づかせる本質的な問いです。 質問です。
学校を閉鎖してonline学習に切り換えた2日目に7年生の子どもから嘆願のmailが届きました。 2日間オンライン授業を受けましたが、それぞれの先生の授業の入り方や出席の仕方がよくわからなくて、パニックになってしまいました。オンライン授業は、全く初めてです。小学校でもしませんでした。ぼくは、パソコン操作が早くありません。スマートフォンも中学校になってから、使いはじめました。電車通学なので、もしもの場合のためにと親からすすめられたので持っているだけです。何だか取り残されている感じで、不安です。来週もオンライン授業だと聞いて、とてもショックです。辛くなってきました。ふつうに学ぶことが好きなのに、これ以上続けられるか、心配です。 環境で障がいをなくすことができるということを信じて努力することは教師の仕事のひとつだと共通理解されていることでしょう。しかしながら、何割の教師が誰もが学習しやすい環境を提供すること、学びの喜び、達成感や充足感を体験できるような学習の内容や方法を提供することに使命感を持って実践する習慣があるかどうか。そもそも多様な子どもたちへの共感があるのかどうか。 “You are more important than my personal preferences.” “I am willing to learn about you to help you reach your life goals.” (Andratesha Fritzgerald, Antiracism and Universal Design for Learning) 灰谷健次郎著『兎の眼』の中の小谷先生は、学級の子どもたちのことを知る努力を続けたことで新しい学習環境を提供することができました。その感動の余韻があった大学3年生の時、教育実習先の職員室で若い女性の先生が「小谷先生みたいなことできないわよね」と大声で話すのを聞きました。こうはなるまいと強く反発したことを思い出します。
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Author萩原 伸郎 Archives
8月 2024
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