水曜日は8年生が予防接種の日でした。クラスごとではなく名字のアルファベットの順で受けるので、教室には接種を受けた生徒、これから受ける生徒、今受けている生徒が混在します。どういう訳か、こちらの子どもたちは注射を極度に嫌います。
2時間目の日本語の教室はそんな興奮状態でした。通常の学習はやめにして、ペアやグループになって選んだ分野や領域の日本語の名詞集めをすることにしました。iPadなどの機器やinternetがなかった一昔前には不可能な学習活動です。自由に会話をしながらそれぞれがひらがなで名詞を書き上げて、学習時間が終わりました。 4時間目の中ごろに先ほどのクラスのひとりからmailが届きました。「日本語の時間には課題をしなかったので今やり終えました。失礼な行動をしてすみませんでした。」とあって、32の動物の名詞をひらがなとカタカナで書いたノートの写真も添付されていました。 私から課題を終わらせるように促されたわけでもなく、学習態度が悪いと注意されたわけでもないのに一体どうしたのでしょうか。 質問です。
週明けの朝、11年生数人とLearning Centreで話していました。話題が化学のテストのことになると、そのうちのひとりが先生からテストの結果について言われたことをつぶやきました。明らかに間違った表現です。感情を抑えるのに精一杯のこの友だちをいたわりながら、別の生徒が数学の先生が教室の全員に言ったことを再現しました。これも残念な発言です。 生徒たちからそのような生の声を聞くときは、彼らと同じように憤りを感じます。同時に、自分もそのような間違えをしていないか、無意識のうちに配慮に欠けた言動をしていないか心配になります。 教職員の専門性や人間性が子どもたちの知的、社会的発達に直接影響していることを常に認識して、自分を高めることの重要性はIdeas 82でJohn Hattieの言葉 the greatest effects on student learning occur when teachers become learners of their own teaching を引用して述べました。指導技術を高めたり教材研究を深めるだけにとどまらず、子どもたちと確実な信頼関係を築くこと、教科を超越して学校生活のすべての場面で彼らを育てるという意識を持ちたいと思います。
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Author萩原 伸郎 Archives
8月 2024
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