初めて新しいものに触れた時の驚きや感動はいつまでも心に残っています。初めて家に来たステレオのスピーカーから流れてきたSimon & Garfunkelの曲の立体感のある歌声とギターの音。それ以前には電話が家にひかれた時、テレビが届いた時など我が家の一大イベントでした。
自分でモノが買えるようになって手に入れたSONYスカイセンサー、Walkman、Toshiba Rupoにも大きな感動があり、使い込みました。最近ではiPod touch, iPad, iPhone, Apple Watchなどで小躍りしました。 Information helps you to see that you’re not alone. That there’s somebody in Mississippi and somebody in Tokyo who all have wept, who’ve all longed and lost, who’ve all been happy. So the library helps you to see, not only that you are not alone, but that you’re not really any different from everyone else. There may be details that are different, but a human being is a human being. Maya Angelou (2010) 「情報は、あなたが一人ではないことを教えてくれます。ミシシッピにも東京にも、泣いたことのある人、憧れや喪失感を抱いたことのある人、そして幸せな気持ちになったことのある人がいるのです。」 この文章を読んだ時、前述の自分自身が様々な「情報」に初めて触れた時のことがよみがえり、その感動と重なりました。 作者はこの文章をNew York Libraryに寄稿しているので、ここに出てくる”information”は図書文献を指しているのだと思いますが、確かに図書館にある「情報」、たとえば物語や詩を通して他の人の感情に共感して、自分は一人ぼっちではないことに気づかせてくれます。 今、ICTが生活も仕事もそのものと言えるほど当然の道具になってしばらく経ちますが、得られる情報から、ひとりではないという他の人々との連帯感や人の温かみを感じることがどれほどあるでしょうか。 質問です。 ① 今月は、Society 5.0やEducation 4.0などのようなテーマを掲げた記事が目につきました。たとえば、Society 2.0の予想が初めて世の中に出てきた時の衝撃度や話題性に比べると、5.0にはすでにそれほどの発信力や影響力がないのはなぜでしょうか。 ② World Economic Forumが提案するEducation 4.0に新鮮度や共感度が鈍く感じられるのはなぜでしょうか。 数字が持つ連続性のために、人々に誤った感覚や印象を与えてしまうことがあると感じます。とりわけ前述の例は、私たちの学校は現在のところEducation 2.5だとは表現できないほど定義や境界線が曖昧です。しかも、Education 4.0が定義する基準で状況を観てみると、実際には日本では3.0どころか2.0も達成したかどうかあやしいところです。
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Author萩原 伸郎 Archives
8月 2024
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