Differentiation 分化、個別適正化について考える機会が2回ありました。ひとつは非常勤講師採用の面接の中でした。どのようにして学習を計画し進めますかという質問に対して、テストなどの結果でクラスの中間にいる生徒たちを基準にして授業を組み立てるという答えが返ってきました。教育実習をしている時に指導教官が同じことを言っていたことを思い出しました。
二つ目は体育科の先生との対話の中で、自分は運動が得意だったから何かができなかったという体験がない、そのためにできないということの理由がわからない、できる子どもを中心に考えてしまう。ということでした。 どちらも正直な発言で、おそらく多くの先生方が無意識のうちに意識していること、実践していることだろうと思います。 質問です。
子どもたちのノートを見せてもらうと、担当の先生が示されたであろう方法で左側には先生が作成された学習内容のまとめのプリントが貼られ、右ページに丁寧に学習内容が再現されています。そして赤ぺんで評点が記されています。 その繰り返しがどのページにもあり、先生の献身的な作業と子どもたちの努力に敬意を表すると同時に疑問が湧きました。これは、高次の思考過程を経た学びだろうか。自分の学びやすい方法で学ぶ機会があるのだろうか。学習内容の根本的な部分を理解することができずにただノート作りをさせられて、子どもは理解した気分になり先生も理解していると誤判断してしまうことはないのだろうか。 Although the names of intelligences vary, educators, psychologists, and researchers have drawn three significant, consistent conclusions: We think, learn, and create in different ways. The development of our potential is affected by the match between what we are asked to learn and how we are able to apply our particular abilities to the process of learning. Learners need opportunities to discover and develop their abilities in a range of intelligence areas. Carol Ann Tomlinson (2014) The Differentiated Classroom 「人の可能性を伸ばすには、何を学ぶかということと、自分の能力をどう活かすかということが一致しているかどうかが影響します。」 Differentiation の考え方と習慣が程遠い現実と、先週取り上げた“ I’m-not-biased” biasの例がここにもあることを感じました。
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Author萩原 伸郎 Archives
8月 2024
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