2008年からiPod touchなどのMobile devicesを活用した学習形態の実践研究を始めました。これまで教室の中だけで行われてきた学習活動の概念を打ち破る革新的な可能性に興奮したことを思い出します。その頃によく使われた表現がAnytime, Anything, Anywhereでした。その同じ時期に、文脈は少し異なりますが、いつでもどこでもというICTの特徴に黄信号を出していた人がいたことを最近知りました。
“Continuous partial attention is an always on, anywhere, anytime, any place behavior that creates an artificial sense of crisis. We are always in high alert. We are demanding multiple cognitively complex actions from ourselves. We are reaching to keep a top priority in focus, while, at the same time, scanning the periphery to see if we are missing other opportunities. If we are, our very fickle attention shifts focus. What’s ringing? Who is it? How many emails? What’s on my list? What time is it in Bangalore?” Linda Stone (2009) Beyond Simple Multi-Tasking: Continuous Partial Attention 「連続性部分注意力とは、人工的な緊張感を生み出し、いつでも、どこでも、どんな場所でも、常に注意を払い続ける行動のことです。私たちは常に厳戒態勢にあって、私たちはいくつもの認知的に複雑な行動を自分自身に要求しているのです。」 Stoneは、Muti-taskingは生産性や効率を上げたいという欲求がもとになっている行動だと定義し、連続性部分注意力(CPA )とは区別しています。 質問です。 ① 子どもたちにとってCPAの典型的な行動の一例として、家庭学習の際に常にSNSをチェックしながら課題に向かうということが挙げられるかも知れません。学習や生活の障害になっていることは今日的な事実ですが、正しい学習・生活習慣を身につけるという観点から何らかの指導や働きかけは必要でしょうか。誰が責任を持つべきでしょうか。 ② 大人も車を運転している時、作業や仕事をしている時にCPAが常習的になっている人がいます。このタイプ人たちはいつ、どの場面でその悪習から抜け出ることができるのでしょうか。 5年ぶりにFinlandの学校を訪問して気がついたことは、Smart Phoneを禁止するサインが教室や廊下に必ずあることでした。5年前に地元の校長先生たちと談話をしている時に、SNSが原因で子どもたちの中で起こる問題の処理に多くの時間がかかっていると指摘されていたことを思い出しました。 CPAの問題は、人がdeviceを手にしているかどうかよりも、何を見ているか、何とつながっているのか、何を意識しているのかが他の行動と区別されるところであり、そこに危険性が潜んでいるようです。
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Author萩原 伸郎 Archives
10月 2024
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