私たちの学校のInnovation Teamは毎週2回、子どもたちの学習や生活、学習環境、教職員の学習、教育理論と実践、technologyの活用などの分野について、収集した資料や観察、分析をもとに学校全体の進むべき方向性や改善、注力するべきことを議論しています。そして一般的な議事録ではなくGoogle SheetにprojectごとのSheetを設けて何について誰がどのように作業しているのか記録しています。
このTeam内で子どもたちの深い学びを実現するための具体的な方法としてActive Learningについて漠然と話してきましたが、今週はそれぞれが思い描いているものを持ち寄って共通認識を築くことにしました。私はこれまでに読んだ本の中から、Active Leaningを定義する要素について述べられている箇所を抜粋してまとめてみました。自分の教育観や信条の精度を高めるうえで、この作業は大切な意味があると感じました。 この「私が考えるActive Learning」には含めなかったのですが、1874年(明治7年)に出版された『学問のすゝめ』十二編にその定義が的確に述べられていると思います。「故に学問の本趣意は読書のみに非ずして精神の働きに在り。この働きを活用して実地に施すには様々の工夫なかるべからず。「ヲブセルウェーション」とは事物を視察することなり。「リーゾニング」とは事物の道理を推究して自分の説を付(つく)ることなり。」 質問です。
19世紀の日本人が既にどのように学ぶべきかということを理解していたことは、注目に値すると思います。そして、おそらく多くの教師がその思想に触れて、何をどう教えるべきかということも考えていたのではないでしょうか。さらに、「精神の働き」を非認知活動、「この働きを活用して実地に施す様々の工夫」を認知活動と解釈することはできないでしょうか。Active Learnigは活動型の学習と一般的に受けとめられますが、むしろ学習に際して脳がactiveに活動することと理解するべきです。 福澤諭吉が草葉の陰から「此方はチャント知っている」(福翁自伝)とつぶやかれているように感じます。
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Author萩原 伸郎 Archives
10月 2024
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