女性解放活動家で作家のbell hooksさんの死亡記事がありました。筆名を小文字で書くところにこの方の信念が伝わってきます。特に脈絡があるわけではありませんが、詩人の石垣りんさんや茨木のり子さんを思い出しました。
“Dominator culture has tried to keep us all afraid, to make us choose safety instead of risk, sameness instead of diversity. Moving through that fear, finding out what connects us, reveling in our differences; this is the process that brings us closer, that gives us a world of shared values, of meaningful community.”bell hooks (2003) A Pedagogy of Hope 「(社会の中で)優位を占めている文化は、私たちを恐れさせ、リスクではなく安全を、多様性ではなく同質性を選ばせようとしてきました。その恐怖を乗り越え、私たちをつなぐものを見つけ私たちの違いを楽しむ。これこそが、私たちを近づけ価値観を共有する世界、意味のある共同体を生み出す過程なのです。」 質問です。
校内の様々な教育活動やその評価方法を注意深く観察すると、先生方の頭の中では同質化を最大の到達目標としているのだろうという予想が明確になってきます。必然性も根拠もない漠然とした「もの」に寄りかかって安全を得ようとする心理が働いているようにも見えます。 安全や同質性を選ぶ傾向、その思考回路と行動形態は多くの人々の中にdefaultとして棲みついているので、新しい考え方や方法を冷静に客観的に調べてみようという過程さえもむずかしくしている場合があるのが現状でしょう。 茨木のり子さんの作品の中に「落ちこぼれ」という詩があります。 落ちこぼれ 和菓子の名につけたいようなやさしさ (中略) 落ちこぼれ 結果ではなく 落ちこぼれ 華々しい意思であれ 意思として同質化を拒むという選択肢を人生の中で何回か選びました。実際には他の選択肢がなかったというのが事実ですが。
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Author萩原 伸郎 Archives
10月 2024
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