自分の子どもの育て方を予め決めていた人、育てながら何となく形ができてきた人、とりわけ考えずに自然に任せた人、子育てに直面する親にはいろいろな場合があるでしょう。例えば、子どもを「庭師」のように育てる、「大工」のように育てるという例はどうでしょうか。
“(A gardener) works to create fertile soil that can sustain a whole ecosystem of different plants with different strengths and beauties—and with different weaknesses and difficulties.” Alison Gopnik (2016) The Gardener and the Carpenter (庭師さんは)強さや美しさ、弱さやむずかしさを持つさまざまな植物の生態系を維持するために、肥沃な土壌を作る仕事をしています。 つまり、子どもたちが成長するための条件を整えることはできても、私たちの定義する成功を満たす子どもたちを作り出すことはできないという認識に基づいています。 一方の大工さん型の子育ては、自分の思い描く目的を明確に意識して自分の子どもを「作って」いきます。 質問です。
受験という特殊な事例を考察すると、子どもたちも保護者も学校の先生方が大工さん型であることを望み、先生方も大工さん型であることに専門性や使命を感じているでしょう。現実の社会の制度や状況は簡単には変えることができないので一定の期間内では許容されるという了解が得られるかもしれません。問題は3年間、あるいは中高の6年間の学習活動が受験という目的を念頭に置いた大工さん型になっている場合です。 肥沃な土壌を作るという段取りや作業を狭義に解釈し、6年間を「準備」に費やすことを正当化することは容易ですが、子どもたちの全人的な成長やこれからの社会に必要な能力を育むこと、今の学びに夢中になって楽しむことを保証するべきでしょう。 「庭師」と「大工」のたとえは、これまでの学校教育は工業・工場型で、これからは農業型の教育が必要になるという主張と共通点があることに気がつきます。
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Author萩原 伸郎 Archives
10月 2024
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