民俗学の研究者である宮本常一さんは全国の村を歩いてそこに住む人々の話を聞きました。『忘れられた日本人』の岩波文庫版(1984)のあとがきに「いま老人になっている人々が、その若い時代にどのような環境の中をどのように生きて来たかを描いて見ようと思うようになった。それは単なる回顧としてでなく、現在につながる問題として、老人たちのはたして来た役割を考えて見たくなったからである。」とその理由を述べています。
私はこれまで、意識をしてあるいは目的を持って高齢者の方々と対話をしてきた体験が薄かったと思います。そのことで得ることができたはずの情報や二次的体験の損失量は計り知れないという事実に直面しています。 前に進むことだけが最善の選択肢という潜在意識が昔の話を聞くという謙虚な態度や習慣を潰してきたのだと思います。 質問です。
New model、update、upgradeという歯車の中にいることが世の中の革新や進歩を導き出すという保証はありません。 2016年の1月にCzechの各地の学校を人伝をたどって訪問しました。人口1万3千人程のいなか町の小学校を訪問した朝は零下17度まで下がりました。子どもたちが歩いたであろう凍った道を歩いてその学校にたどり着きました。巨大なUSSRの影響のもとに建てられたことがわかる校舎でした。 昼休みに子どもたちは1階の食堂へ集まります。そこでは地域のお年寄りの方々も楽しそうに子どもたちと昼食を食べていました。歩いて学校に来れない高齢者にはvolunteerが給食を家まで届けます。 私もいただいたその日のmenuはhot chocolate、pancake with cream and jamでした。何と自然であたたかく、しかも地域の人々をつなげるために余分なお金のかからない方法なのだろうと感心しました。何よりも子どもたちとお年寄りの方々の笑顔が印象に残っています。一緒に食べながらきっとお年寄りが昔話をして、それを子どもたちは聞いていたことでしょう。
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Author萩原 伸郎 Archives
8月 2024
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