Sympodium での発表のために先週 Melbourne に行きました。広島や長崎のように、ここでも市電が縦横に走っています。他の交通機関にはないあたたかさやなつかしさを感じます。
向かっていた目的地までは歩いても行ける距離ですが、久しぶりにご当地の市電に乗ってみようと思い立ち、市街地の混雑した市電の駅で、さてどの路線に乗れば良いかと、壁にある分かりやすいとは言えない路線図を調べていました。頭の中にある地図と路線図はなかなか一致しません。すぐに市電が来てドアが開きました。大勢の人が昇降してドアが閉まり市電は出ていきました。人のいなくなった駅に橙色の上着を着た駅員さんがいました。私のところに来て「どこに行きたいの。」とたずねました。目的地を伝えると「It’s gone. You just missed it.」と教えてくれました。 次の日に発表する内容が学習内容や評価の多様化・個別化、深い学習についてだったので一日中それらのことを頭の中で反芻していたからかもしれません。この短い会話の瞬間にある種のひらめきがありました。この駅員さんの態度や物事のとらえ方は Summative assessment (総括的評価)の特徴を表しているということです。機会は一回だけ。できてもできなくてもそれで終わり。その後の援助・指導は原則としてない。市電は頻繁に走っているのだから、駅員さんは「You are standing at the right station. The next one is coming soon.」などと言えたはずです。 学校の定期試験は決められた時間内に学習内容の「再構成」がどれだけ可能かということが試され、その結果が生徒の評定の最大の判定材料になります。もし、学習の過程と習得したものの両方を公平に記録する方式が導入されたら、加えて、各自が評価の内容や方法、実施時期を選択することができる仕組みが導入されたら、さらに、わからなかった内容について再度学習し診断を受ける機会があったら、一人ひとりの生徒たちの達成感、成就感、満足感は確実に異なるでしょう。教師のための(評定のための)評価から、学習の主体者である生徒たちのための評価にかえる必要がありそうです。 質問です。 ① 通知表のためではない、学習のための評価 Formative assessment (形成的評価、診断的評価)を実践しているか。 ② テストや定期試験に見られる学習内容の「再構成」は何が問題か。 ③ 学習内容の「再構成」ではない評価とはどのようなものか。 Melbourne ではその市電以外はすべて Uber で移動していました。共通していたことはどの運転手さんも乗車すると水やお菓子を勧めてきたことです。新しい体験でした。
0 コメント
返信を残す |
Author萩原 伸郎 Archives
8月 2024
Categories |